贅沢は素敵だ
2015年4月28日(火)
67歳の私は、小学校の先生から、戦争中「贅沢は敵だ」という標語があったことを良く聞いていました。
そして、戦後70年にして、その標語のパロディを知りました。「贅沢は素敵だ」。
2015年4月28日、朝日新聞
この朝日新聞の投稿者の記事を見ると、「贅沢は敵だ」というポスターの「敵」の前に庶民のささやかな抵抗で「素」を入れたとあります。何という素敵なパロディでしょう。(「敵」には痛いパロディです。)これ、戦時中に特高に見つけられると、監獄にぶち込まれるほどのことだと思います。
この投稿者は、「金もちがお金を使うことだけが贅沢ではない」、と結んでいます。まぁ、確かにそうかも知れませんが、「懐は貧しくとも、心は豊かに。たまには贅沢を楽しむ心の余裕を持ちたいと、改めて思う。」という精神論には、私は疑問を持ちます。
2015年4月22日、朝日新聞
「折々のことば」には、「『贅沢は素敵だ』と言い合える心の自由だけは確保しておきたい。真の贅沢は、高額の消費ではなく、困窮のなかにあってもねぎらいの声をかけてくれる人たちがいることにあると心得つつ。」とありすが、それは言論の自由あってのことと思います。「敵」の前に「素」をいたずら書きしたら、監獄へぶち込まれる時代にあっては、、「贅沢は素敵だ」と言い合える心の自由の「確保」は難しいでしょう。
私は、真の贅沢とは、貧しくとも言論の自由があることと思います。
投稿者の奥様の、「贅沢はステーキだ」には、ペーソスを感じて、哀しくて、でも面白くて、泣き笑いしました。
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