「廃墟と再生」中西繁展 Ⅱ
2013年9月1日(日)
昨日の続きです。
作者中西繁氏の作品は、デカイのが特徴です。写真どおりではありませんせんが、リアリズムです。克明に、特徴を描いています。それだけに、作者の意図がよく伝わります。悲惨な情景が暗い色調になるのは、必然を感じます。
たまたま、誰もいませんでした。
真っ青の空と風の流れを示す雲だけを見ると、何事もない世界ですが・・、どうしても軍艦島をイメージしてしまいます。私の軍艦島の「イメージ」は、「後は野となれ山となれ」です。
「水蒸気爆発」とありますが、「水素爆発」ではなかったかしら・・。
赤い屋根と白い壁の対比が美しさを際立たせています。
左の方が、作者の中西繁氏です。
50歳まで一級建築技師をしておられて、画家に転じたということです。
高知県の観光特使でもあります。「リョーマの休日」「わざわざ行こう志国高知へ」。この駄洒落、たまりません。
名刺の裏は、無料入場券となっています。
「廃墟」と「再生」というテーマですが、廃墟を目の当たりにして、再生への課題を突き詰めることが必要と思いました。
福島原発で、汚染水が大量に流出している現状でも、「収束宣言」を撤回していない政府に、課題を突き詰めるという姿勢があるのでしょうか・・。
この展示開催に係わった、妻の友人の話によると、カンパが100万円集まったということです。
この展示そのものは、無料でした。
県立美術館の本館では、ゴッホの展示が行われていたのですが、私が知る限りでは、ゴッホより良かったと言う人ばかりでした。
安全は大好きだ。神話も好きだ。安全神話作りは得意で、すぐに信じられる。広めるのもたやすい。
我が国の国策は、安全神話と深く関係しているに違いない。
だが、最悪のシナリオを想定するのはひどく難しい。恣意(本音)の人ならそうなる。
これは、平和ボケのようなものか。
太平洋戦争初期に、フィリピンの米比軍はキング少将もジョーンズ少将も投降して、75000人以上の将兵の命を救った。
太平洋戦争後期に、日本軍は米空軍の飛来をゆるし、1945年3月10日未明、東京の下町の江東地区がB29約300機による空襲をうけ、死者10万をこす被害を出した。
日本人の指導者には、作戦の成否を予測する力はないのか。
人命の尊重はどのように考えられていたのであろうか。
それでも日本人は、原発の再稼働を選んだ。
一億総ざんげへの道。動き出したら止まらない。
この道は、いつか来た道。ああ、そうだよ、民族の歴史は繰り返す。
意思のあるところに方法はある。(Where there’s a will, there’s a way).
意思のないところに解決法はない。
意思は未来時制の内容であり、日本語には時制がない。
それで、日本人には意思がなく、解決法が見つけられない。
自然鎮火を待つのみか。成り行き次第。
>親戚のじいちゃんはガ島で地獄を見てきた。
>「あれは決して国のために尊い命を落とす姿じゃ無かった」という言葉を忘れない。
兵卒は優秀。参謀は愚鈍。日本語脳の定めであるか。理不尽に耐える心を養うべきか。
耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで、もって万世のために太平を開かんと欲す。
不自由を常と思えば不足なし。
座して死を待つか、それとも腹切りするか。
私の父は、玉砕した。何のお役に立てたのかしら。
安らかに眠ってください。過ちは繰り返しますから、、、、
わかっている、わかっている。皆、わかっている。
ああしてこうすりゃこうなると、わかっていながらこうなった、、、、、
十二歳のメンタリィティには、知恵の深さが見られない。教養 (洞察力) がない。
わかっちゃいるけど やめられない。ア、ホレ、スイスイ、、、、
白く塗られた黒いオオカミの足を見破ることは難しい。
だます人は悪い人。だまされる人は善良な人。おとり捜査は難しい。
この調子では、人の命はいくつあっても足りるものではない。
我々は、自らは望むことなく危機に陥る民族なのか。
貴方が憂いておられることについて、共感する部分があります。