「ウクライナ問題に関連して思い出すこと」について
2022年09月06日
最近、ある方の手記を読み、感動し感想を書きました。以下です。
一気に読みました。二度読みました。三度以上繰り返し読んだか所もあります。
まず、戦時下から引揚げまでの満州・朝鮮における貴重な実体験を手記として上梓されたことに、心より敬意を表します。と同時に、私は深い感慨に耽りました。
「感慨に耽る」とは、
実は、私の父(1908-1999)は、単身で渡満し満州電電に勤めておりました。戦争が終わっても帰郷しないので、家族は死んだものと思っていたのです。ところが、1946年12月、何の前触れもなくある日突然玄関に佇んでいたというのです。1年4か月もの間、満州から引揚げるについて、想像を絶する体験をしたものと思われます。ところが、父はそのことについて、何ら語ることがありませんでした。何故私が聞かなかったのか、そのことをとても悔やんでいるのですが、〇〇さまの今回の手記にその思いが重なり、しばし黙考したのです。
お母さまを、銃を持ったソ連兵から必死でガードした“事件”は、衝撃でした。
突然の恐怖、必死の抵抗、守り切った安堵、しかしながら引き続く不安、極限の状況での展開は、私の想像を絶するもので、読みながら胸がワナワナ震え、天を見上げ涙いたしました。
プーチンロシアのウクライナ侵攻が動機になった今回の手記ですが、
ウクライナの問題、ロシアの脅威にさらされている北海道の状況、沖縄の基地の問題、憲法の問題、北方領土の問題、拉致問題等非常に幅広く論述し、分析・評価しておられます。その根底に「敗戦国」という視座があり、共感すると同時に、正に正鵠を射る思いをいたしました。
「外交」について論述されています。「近隣諸国との外交、特に土下座外交と言われても平和外交を繰り返し何回も何回もやるべきでしょう」とあります。
しかしながら一方で、「国家総動員法等を発令して、何歳か以上の男子を強制的に徴兵(望むことではないが)させて北海道を守る」と軍事による対抗も述べられています。
率直に申し上げて、「外交」か「軍事」かについて逡巡があったものと思われます。しかし、最後は「外交力で他国と交渉を進める以外方策はないと思われます」と結論付けています。私は全ての単語を数えた訳ではありませんが、恐らく多分「外交」という言葉が一番多かったと思います。現在の政権の外交はアメリカ追随外交で、主権国としての体を成していません。〇〇さまの提唱される「近隣諸国との外交」が今最も必要とされていることだと思います。
私は、この5年間、TVの戦争・原爆の番組は大体視聴いたしました。戦争を実体験された方の証言は非常に重いです。共通するのは、〇〇さまも言っておられますが、「絶対に戦争をしてはいけない」ということです。
昨年亡くなられた半藤一利さんは、(世の中に絶対ということはないが)「戦争だけは“絶対”にはじめてはいけない」とそれをテーマにして絵本を作られました。
「焼けあとのちかい」(大月書店)
私は、〇〇さまに対して大変恐縮ですが、あの“事件”を絵本にしていただきたく思うのです。さきほど私は戦争に関するTV番組を大体視聴したと申しましたが、このような話は聞いたことがありません。次代の子ども達に引き継いでいただきたいのです。
以上 〇〇さまの手記を十分咀嚼できないままに、種々生意気なことを申しました。お許しくださいませ。
とまれ、これからの“人生”をどのように生きるかについて、動機付けをいただきました。心より感謝申し上げます。
私は、つい先日後期高齢者の“仲間”になり、後期高齢者医療被保険者証なる“印籠”をいただきました。(笑) 残りの人生も少なくなった感がいたしますが、〇〇さまの熱意に勇気をいただき、これからも、私なりに反戦・平和に尽力する決意です。
末筆ながら、季節の変り目、どうかご自愛くださいませ。
(追伸)
私の家族は以下です。
父(1908-1999)
母(1911-1994) 被爆者
兄(1932-2016) 被爆者 原爆症で死亡
兄(1935-2001)
姉(1939- )
姉(1943- )
私(1947- ) 被爆2世
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