義兄が黒い雨の地域に疎開していたんです
2021年12月30日(木)
義兄が黒い雨の地域に疎開していたんです。
21月28日の赤旗です。
岸田政権のデタラメさが出た、黒い雨訴訟決着での対応でした。
黒い雨の地域の人には原爆手帳を交付するというのですが、条件として11疾病を付けちゃった。→これ、何の合理的理由もありません。直爆や入市被爆ではこのような条件は付いていません。「11疾病」というのは健康管理手当該当疾病です。
赤旗の記事では、この違いを「新たな分断」と指摘しています。確かにその通りなのですがそれ以前の次元のもので、理屈になっていないのです。
例えていうなら、コロナ患者は医療費は無料になっていますが、ある地域について、他の疾病もあることを条件として無料にするといった類いです。こんな無茶苦茶な仕組みを公務員が考える訳ありませんので、岸田政権の指示と思いますです。
今後、岸田政権に付ける冠として、「幻想を振りまきやがて裏切る」に加えて「デタラメ」を追加いたしましょう。
23日、疎開していた時に通学していた学校へ行きました。
その小学校の「沿革誌」です。何と明治34年から記録がありました。凄い!
1945年4月18日に集団疎開で百名が来村とあります。
9月7日、赤痢患者続発とあります。義兄も赤痢にかかり相当重症だったようです。
義兄が疎開中に寄宿していた寺にも行きました。「大和寮」の看板が今でもありました。貴重な資料です。
義兄の家は原爆投下地点から約700㍍の所にあり、義兄の母や姉妹は直爆でした。これまで、疎開により運良く原爆の惨禍から逃れていたという意識であった訳ですが、原爆の威力は遠く離れた疎開地まで及んでいたのであります。
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