水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

変われ高校生

2010年08月27日 | 日々のあれこれ
 今日の朝日新聞の社説は「変われ高校生」という題でこんなふうに始まっていた。

~ 日本には337万人の高校生がいる。研究機関などの調査によれば、3人に2人が「自分はダメな人間だ」と感じ、10人中7人は「あこがれている人がいない」と答える。そして毎年7万人が中退で去る――。 ~ 

 なるほどねえ。
 ということは、高校生の三分の一は自信をもって生きているのかな。すごい。
 先日の人間ドッグで、メタボの心配もないし、内蔵も大丈夫、あえていえば肝機能が若干よくないので、お酒の量は少し減らした方がいいかもしれないと言われ、「はい、わかりました」と答えたものの、その日以来呑み続けているおれって、ほんとにダメ人間だ。
 「就寝前の2時間以内に夕食をとることがあるか」というアンケート項目にも、毎日と答えざるを得なかったし。

 ♪ッだ~め、だ~め、だめ、だめ人間、だ~め、人間~、人間~ by筋肉少女帯

 10人中3人はあこがれている人がいる。
 つまり、自分は今後こんな人生を送りたい、あの人のようになりたいという設計が見えているのだ。
 そんな高校生が3割もいるなんて。

 7万人が中退しても330万人が中退しない。
 たぶん、諸外国と比較したらかなり学んでいる比率が高いのではないだろうか。

 現場にいる人間の感覚として、または自分の高校時代をふりかえってみて、自分なんかダメだ、と思う高校生はふつうだと思う。
 ほんとに迷いがなく自信に満ちあふれている生徒さんがいたら、すばらしいことかもしれないが、ちょっと気持ち悪いな。
 ていうか、そんな子に教えられる身分ではないことはたしかだ。
 それで、高校生のこういう現状を憂える若者たちが、NPO法人を立ち上げて、高校生と語り合う場をつくるという活動をしていると紹介されていた。
 カタリバという組織の代表の方の言葉が紹介される。

「○か×かの解き方しか教わらないまま、大学に入り、就活でいきなり、自分は何者かと迫られる。もっと早くから考える機会があれば、と思った」
~今村久美「カタリバ」代表~

 自分は何者か、って高校のときはけっこう考えたかもしれない。
 その考えは、たいして深いレベルに達していなかったに決まっているが、やはりそれなりに考えていたと思うし、だから自分に自信などなかった。
 いったいどうなるんだろうと思っていた。
 何モノかにはなりたいと思いながら、そんなにたいそうな人生を過ごすわけでもないのだろうなあという思いが、打ち消し続けても、少しずつ大きくなっていることを感じざるをえなかった。
 そして、自分だけがそのように深く悩んでいるのにちがいない、と思っていた。
 相当数の人間が、そんなふうに思いながら生きてて普通なのが、高校時代ではないだろうか。ちがうかな。 だから「自分のやりたいことを見つけよう」「やりたいことに向かってがんばるべきだ」なんて迷いなく語る人を見ると、いまでも「この人、うすっぺらいよね」的感想を抱いてしまう。
 それを顔に出さずにいられる程度には大人になったつもりだが。

 就活の時期になってはじめて自分は何者なのかと考える人生を、今の若者は本当に送っているのだろうか。
 ちがうような気がするけどなあ。
 「○か×かの解き方しか教わらな」かったのは、誰が悪い?
 おれか? いやあ、そんな解き方は教えてないつもりだ。
 たぶん、誰かが発したそんな言葉を、自分の思考の枠にしてしまったのだ。
 「受験勉強は本当の勉強ではない」なんて言葉を。
 でも、そんなことはない。
 まして、だから勉強しなくていいには、絶対にならない。そのへんだけは勘違いしないでほしいと思う。

 社説はこう結んでいる。

~ 教育という分野で「新しい公共」を担い始めた新世代。彼らが活動しやすい社会づくりを、そのまた少し先輩の大人として、考えてゆきたい。 ~

 あの、一つだけ言っておくと、社説氏はこの先「考え」ないと思う。
 考えたとしても、具体的な行動にうつすこともないだろう。
 そんな雰囲気がただよってませんか。
 たぶん、来年やるけど、小論文でこういう「ほどよい」まとめを書いてきたら、徹底的に書き直ししてもらいます。
 これでは受かりません。受かるとこもあるけど、そのレベルはできれば避けたいな。
 ただし、今日のこの社説は、教育系学部の小論文で資料として用いられる可能性は十分にあるだろう(おっと、まとめたよ)。

コメント
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