文化庁の調査によると、「ら抜き言葉」を使う人が半数を超えたという。
まじで? 半数?
おどろいた。いまどき「ら」を入れてる人が半分近くもいるなんて。
いや、実際にはそんなにいないだろう。アンケートに記入するというよそ行きの行動ゆえに、少しきどって答えた人が多かったにちがいない。もしくはアンケートの対象が特殊な層だったか。
「昨日の帰り、映画観れたの?」「観れた!」がふつうで、「観られた」と答えたなら、自分に敬語つかっちゃった感がただよってしまう。
そんな実感とすりあわせることもなく、ただ結果を発表している感覚が、実にお役所ぽい。
本来は、文法の方が「後付け」の理論なのだから、どっちが正しいとは言えないものだし。
それよりも、「違う」の意味の「ちげー」という言葉が気になる。若者たちは普通にもちいるが、さすがにおじさんには無理だ。
日本語は、母音が二つ並んだとき一つの母音になろうとする。
「ア・ウ」は「オー」に変わるのが日本語の音韻の歴史上の原則だった。
だから「ちがう」を俗語化するなら「ちごー」って言うべきだ。
ちなみに石川県では「ちがう」を「ちごー」という。能登が舞台の「まれ」は、なんといっても門脇麦ちゃんの訛りぐあいが素晴らしかった。
若者の使う「ア・ウ」の「エー」化は、何年前ぐらいからの用例が採取できるのだろう。「ア・イ」を「エー」化する江戸弁の影響下にあるものだろうか。
学部の言語学のレポート一本分ぐらいのネタになりそうだ。
「言い方!」「~する意味!」とかの新しい体言止めの用法も研究課題になりそうだな。ノーベル賞には絶対該当しないけど。