第三問は、センター試験の第二問に該当するが、小説ではなく詩とエッセイが出題されている。
小説にはこだわらず文学的素材から、そして複数テキストを出題するよというメッセージが伝わる。
複数テキストであっても、解き方が変わるわけではない。言葉と言葉、文と文、主役と対役、作者と世間といった対比もしくは類比関係の一つとしてテクスト同士が付け足されるだけだ。評論や実用的文章でも同じだといえる。
紙
愛ののこした紙片が
しらじらしく ありつづけることを
いぶかる
書いた ひとりの肉体の
重さも ぬくみも 体臭も
いまはないのに
こんなにも
もえやすく いのちをもたぬ
たった一枚の黄ばんだ紙が
こころより長もちすることの 不思議
いのち といふ不遜
一枚の紙よりほろびやすいものが
何百枚の紙に 書きしるす 不遜
死のやうに生きれば
何も失はないですむだらうか
この紙のやうに 生きれば
さあ
ほろびやすい愛のために
乾杯
のこされた紙片に
乾杯
いのちが
蒼(あお)ざめそして黄ばむまで
(いのちでないものに近づくまで)
乾杯!
詩は、次の対比をつかむ。
愛・肉体・こころ・いのち・ほろびやすいもの
↑
↓
紙・紙片・いのちをもたぬ黄ばんだ紙・いのちでないもの
永遠の百合
1 あまり生産的とはいえない、さまざまの優雅な手すさびにひたれることは、女性の一つの美点でもあり、(何百年もの涙とひきかえの)特権であるのかもしれない。近ごろはアート・フラワーという分野も颯(さっ)爽(そう)とそれに加わった。
2 去年の夏、私はある古い友だちに、そのような”匂わない“百合の花束をもらった。「秋になったら捨てて頂戴ね」という言葉を添えて。
3 私はびっくりし、そして考えた。これは謙虚か、倣慢か、ただのキザなのか。そんなに百合そっくりのつもりなのか、そうでないことを恥じているのか。人間が自然を真似る時、決して自然を超える自信がないのなら、いったいこの花たちは何なのだろう。心こめてにせものを造る人たちの、ほんものにかなわないといういじらしさと、生理まで似せるつもりの思い上がりと。
4 枯れないものは花ではない。それを知りつつ枯れない花を造るのが、つくるということではないのか。――花そっくりの花も、花より美しい花もあってよい。それに香水をふりかけるもよい。だが造花が造花である限り、たった一つできないのは枯れることだ。そしてまた、たった一つできるのは枯れないことだ。
5 花でない何か。どこかで花を超えるもの。大げさに言うなら、ひと夏の百合を超える永遠の百合。それをめざす時のみ、つくるという、真似るという、不遜な行為は許されるのだ。(と、私はだんだん昂(こう)奮(ふん)してくる。)
6 絵画だって、ことばだってそうだ。一瞬を永遠のなかに定着する作業なのだ。個人の見、嗅いだものをひとつの生きた花とするなら、それはすべての表現にまして在るという重みをもつに決まっている。あえて それを花を超える何かに変える――もどす――ことがたぶん、描くという行為なのだ。そのひそかな夢のためにこそ、私もまた手をこんなにノリだらけにしているのではないか。もし、もしも、ことばによって私の 一瞬を枯れない花にすることができたら!
7 ――ただし、と私はさめる。秋になったら……の発想を、はじめて少し理解する。)「私の」永遠は、たかだかあと三十年――歴史上、私のような古風な感性の絶滅するまでの短い期間――でよい。何故(なぜ)なら、(ああ何という不変の真理!)死なないものはいのちではないのだから。
8 私は百合を捨てなかった。それは造ったものの分までうしろめたく蒼ざめながら、今も死ねないまま、私の部屋に立っている。
エッセイでは次の対比をおさえる。
ひと夏の百合・生きた花・一瞬・ほんもの
↑
↓
永遠の百合・枯れない花・花を越える何か・にせもの
造花の意味をいったん否定的にとらえながらも、そうせずにいられないのが人間の性(談志なら業というか)だという。一瞬のいのちを形あるものに残そうとする「ひそかな夢」をもつのが人間で表現欲求だ。
詩ではそれを、「残された紙片に 乾杯!」と反語的に謳う。
文学的文章の方で、記述が出題される可能性もあるだろう。
〈問題例〉 第4連の「不遜」、5段落の「不遜」について、次の問いに答えよ。
① 「不遜」とほぼ同じ意味の言葉をエッセイの中から五文字で抜き出せ。
② 二つの「不遜」は、(ⅰ)具体的に何をどうすることをこう述べているのか、(ⅱ)その行為は共通してどういうことだといえるのか、(ⅲ)そのことを筆者はどう捉えているかを、次の条件に従って説明せよ。
条件
(1) 二つの文に分けて、全体を百三十字以上、百五十字以内で書くこと(句読点を含む)。
(2) 一文目には、(ⅰ)の内容を書くこと。
(3) 二文目は、(ⅱ)・(ⅲ)について書くこと。
(4) 二文目の中に、①で抜き出した単語を一回用いること。
〈解答例〉
① 思い上がり
② 詩では、人のいのちとともに消えゆく愛を紙に書き記して残そうとすることを、36
エッセイでは、ひと夏を生きる百合を永遠に残そうと造花することを不遜とよぶ。37
ともに、一瞬のはかなさを永遠に定着させようとする作業であり、30
それを思い上がりと言いながらも、16
人が憧れ求めてしまう表現行為として肯定的にとらえている。28