明日、朝日新聞が書きそうなことを書いてみた。
来年から大学入試に導入される予定であった、英語の民間試験利用が延期されることになった。これまで、様々な批判を受けながらも、予定通り実施すると萩生田文科大臣は答えていたが、事態は急転したかっこうだ。高校現場では、今月一日から民間試験利用のための「共通ID」取得申請がはじまるところだった。多くの受験生、つまり今の高校二年生は、先月のうちに来年の「英検」の予約金3000円を納入している。大学も、民間試験の成績をどう判定に用いるかを決定して、受験生に通知していた。すでに大きく進行していたのだ。しかし、現実には問題が山積し、解決されないままでもあった。
最も大きな問題は、受験機会の公平性が確保されていない点だ。そもそも、民間の英語試験は受験できる場所がかぎられる。最も受験者の多い実用英語技能検定試験、いわゆる「英検」でさえ、二次試験レベルになれば実施されない県がある。もともと受験料が高額なうえに、宿泊をともなわなければ実施会場に行けない生徒は、受験料以外に、交通費や宿泊費用もかかる。逆に都市部に暮らす、裕福な家庭の受験生であれば、練習をかねて複数回受験することも可能だろう。このような都市部と地方との大きな格差をどうすればいいのか。誰もが疑問に思い、受験生をもつ親であれば不安に感じるのは当然だ。そのことを尋ねられた萩生田文科大臣は、それぞれの「身の丈」に応じて対応してほしいと述べた。格差をなくすのが仕事である大臣の発言としては、あまりに不用意であったと言わざるを得ない。期せずして、大きな反発をうみ、今回の急転直下の決定となったということだろう。
今回の決定は急だったかもしれないが、入試制度の改革自体は何年もかけて準備されてきたことであった。安倍首相の諮問会議として設置された「教育再生会議」が、高校と大学の接続のあり方の見直しを答申したのは、2013年である。グローバル化が進む社会に対応できる人材の育成のために、英語教育のあり方が問題となり、「読む」「書く」に偏重する大学入試を改める方向に大きく舵が切られることになった。そして「話す」「聞く」の技能は、民間の英語試験で測る方向で話がまとまる。
教える側である高校も、選抜する側の大学でも、実施に対しては強い危惧が表明された。しかし、大学は国からの補助金交付というという大きな足枷をもつ。いわんや高校をや。この流れはとめるべくもなく、実施自体は動かしようがないという流れのなかで、関係各所で工夫が重ねられた。方向性が定まって数年、当初心配された様々な問題は解決に向かっていたのだろうか。実施が近づき、当事者性をもって技術的な問題が検討されればされるほど、あまりにも杜撰なままであることにみなが気づくことになる。
民間試験の利用は、新年度からの実施が見送られ、2024年実施を目指すという。つまり自信をもって実施できる体制になるまで、今時点から4年を要するということであり、その状態でありながら来年見切り発車しようとしていたわけだ。ここにくるまでに、どこか立ち止まって考え直すタイミングはなかったものか。現状を見る限り、文科省には新制度を実施できる体制が整っていなかったのだ。まさに今の教育行政の「身の丈」に合う結果となったと言えまいか。
来年から大学入試に導入される予定であった、英語の民間試験利用が延期されることになった。これまで、様々な批判を受けながらも、予定通り実施すると萩生田文科大臣は答えていたが、事態は急転したかっこうだ。高校現場では、今月一日から民間試験利用のための「共通ID」取得申請がはじまるところだった。多くの受験生、つまり今の高校二年生は、先月のうちに来年の「英検」の予約金3000円を納入している。大学も、民間試験の成績をどう判定に用いるかを決定して、受験生に通知していた。すでに大きく進行していたのだ。しかし、現実には問題が山積し、解決されないままでもあった。
最も大きな問題は、受験機会の公平性が確保されていない点だ。そもそも、民間の英語試験は受験できる場所がかぎられる。最も受験者の多い実用英語技能検定試験、いわゆる「英検」でさえ、二次試験レベルになれば実施されない県がある。もともと受験料が高額なうえに、宿泊をともなわなければ実施会場に行けない生徒は、受験料以外に、交通費や宿泊費用もかかる。逆に都市部に暮らす、裕福な家庭の受験生であれば、練習をかねて複数回受験することも可能だろう。このような都市部と地方との大きな格差をどうすればいいのか。誰もが疑問に思い、受験生をもつ親であれば不安に感じるのは当然だ。そのことを尋ねられた萩生田文科大臣は、それぞれの「身の丈」に応じて対応してほしいと述べた。格差をなくすのが仕事である大臣の発言としては、あまりに不用意であったと言わざるを得ない。期せずして、大きな反発をうみ、今回の急転直下の決定となったということだろう。
今回の決定は急だったかもしれないが、入試制度の改革自体は何年もかけて準備されてきたことであった。安倍首相の諮問会議として設置された「教育再生会議」が、高校と大学の接続のあり方の見直しを答申したのは、2013年である。グローバル化が進む社会に対応できる人材の育成のために、英語教育のあり方が問題となり、「読む」「書く」に偏重する大学入試を改める方向に大きく舵が切られることになった。そして「話す」「聞く」の技能は、民間の英語試験で測る方向で話がまとまる。
教える側である高校も、選抜する側の大学でも、実施に対しては強い危惧が表明された。しかし、大学は国からの補助金交付というという大きな足枷をもつ。いわんや高校をや。この流れはとめるべくもなく、実施自体は動かしようがないという流れのなかで、関係各所で工夫が重ねられた。方向性が定まって数年、当初心配された様々な問題は解決に向かっていたのだろうか。実施が近づき、当事者性をもって技術的な問題が検討されればされるほど、あまりにも杜撰なままであることにみなが気づくことになる。
民間試験の利用は、新年度からの実施が見送られ、2024年実施を目指すという。つまり自信をもって実施できる体制になるまで、今時点から4年を要するということであり、その状態でありながら来年見切り発車しようとしていたわけだ。ここにくるまでに、どこか立ち止まって考え直すタイミングはなかったものか。現状を見る限り、文科省には新制度を実施できる体制が整っていなかったのだ。まさに今の教育行政の「身の丈」に合う結果となったと言えまいか。