水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

習慣化(4)

2019年11月05日 | 学年だよりなど
2学年だより「習慣化(4)」


 何事かを成し遂げる「人」がいて、成し遂げられた結果としての「事」がある。
 人と事との関係は、土と実の関係に似ている。
 立派な実、味のよい実、ずっしりとした重みのある実をつくるのに必要なのは、肥えた土地だ。 それは化学肥料を投与してつくる土地ではない。
 やせた土地によそからもらってきた立派な苗を植えても、よい実はならない。
 土がよければ自ずから実る。つまり、事を実らせるには、人を肥えさせなければならない。
 人を肥えさせるにはどうすればいいか。
 ○○君という土壌を肥えさせるにはどうしたらいいか。
 たぶん特効薬はない。人という土を育てるのが習慣だ。
 習慣とは、無意識にし続けられる行為ではない。歯磨きでさえ時に面倒になるように。


 ~ 何も「走ること自体が善である」と考えているわけではありません。走ることはただの走ることです。善も不善もありません。もしあなたが「走るなんていやだ」と思うのなら、無理して走る必要はありません。走るも走らないも、そんなのは個人の自由です。僕は「さあ、みんなで走りましょう」みたいな提唱をしているわけではありません。
 ただ僕個人に関して言えば、走るという行為は、それなりに大きな意味を持っていたということです。というか、それが僕にとって、あるいは僕がやろうとしていることにとって、何らかのかたちで必要とされる行為なんだというナチュラルな認識が、ずっと変わることなく僕の内にありました。そういう思いが、いつも僕の背中を後ろから押してくれていたわけです。酷寒の朝に、酷暑の昼に、身体がだるくて気持ちが乗らないようなときに、「さあ、がんばって今日も走ろうぜ」と温かく励ましてくれました。 (村上春樹『職業としての小説家』新潮文庫) ~


 書くために必要な習慣だと自覚し、しかも30年以上ランニングを続けてきた村上氏でも、「身体がだるくて気持ちが乗らない」日はある。
 意図的に、かつ少しの努力を伴って実行し、積み上げていくものを、習慣とよぶべきなのだろう。
 決まった時間に机に向かい、決めただけの勉強をすること。
 気持ちが乗らない日も、部活で疲れ切った日も、ほんの少し机に向かうこと。
 朝決まった時間に目覚めること、いただきますと言ってごはんを食べ、自転車を漕いで駅に向かい、決まった電車に乗って英単語を覚え、登校して、あいさつして、授業を受けて、掃除をして、部活に向かう … という日常を淡々とこなしてゆくこと。
 身の丈に応じて、自分なりに努力を続けること。
 身の丈に応じて将来を夢見、少しずつ前に進んでいくこと。 
 そんな地道な毎日のくりかえしが、土壌をじっくり育てていく。
 ちょっと時間があいたとき、英単語を覚えるか、ゲームをするか。
 端的に言ってこの二つしかなくて、未来の方向性も二つあるというだけのことだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする