1学年だより「オンリーワン」
「やりたいことを見つけよう」「自分の将来を設計しよう」「夢はかなう」……。
今ふつうに見かけるこれらの言葉は、大昔からあるものではない。
江戸時代にはなかったし、近代国家を目指し始めた明治時代、誰もそんなことは言わない。
太平洋戦争に負けてぼろぼろになった時にもない。個人の夢うんぬんを語っているヒマなど、日本人にはなかったからだ。
その後、焼け野原からわずか十数年で経済大国への仲間入りという、奇跡的な発展をとげる。
1950年代後半からは高度経済成長とよばれる状態が続き、そのまま1970年代に入ると、そろそろみなさんのお父さんお母さんが生まれた頃だろうか。
その頃の若者も「自分で夢を見つけよう」とは言われなかった。「勉強して、いい大学に入り、いい会社に入れ」と言われた。勉強が苦手だったら、「手に職をつけて、地道に働け」と言われた。
大金持ちにはなれなくても、ふつうに働いていれば、食うに困ることはない、ふつうに幸せになれると、みんなが信じていた。うまくサラリーマンになれれば、毎年少しずつ給料が上がって、定年まで働けた。自営業なら、働けるだけ働いて、その後は年金で暮らせた。
就職して結婚して子どもをつくり、孫を抱いて、のんびり老後をすごし、家族に看取られて旅立っていくという人生の姿を、ごくふつうに手に入るものとして、日本人はイメージできた。
「一億層中流」意識が生まれ、よその国の人から「ジャパンアズナンバーワン」という言葉をいただいたのも、この頃だ。
しかし1990年代、「バブル経済」が崩壊し、景気低迷期が長引くにつれて、「それなりに頑張って、ふつうに幸せになる」というモデルを、人々が疑い始める。
~ 20世紀末から21世紀初めの日本では、バブル経済の崩壊と就職難、その後の不安定な雇用と貧困化が、戦後日本が高度経済成長期以降もち続けてきた、より豊かな未来への希望を多くの若者たちから奪い、既存の社会体制や価値観への信頼を失わせたという認識が、「ロスジェネ」という言葉が21世紀の初めに他称・自称取り混ぜて用いられたことの背景にはある。現代日本のロスジェネたちはまた、「将来」や「夢」と呼ばれる個別的な未来と、それに対する自己責任への強迫に曝されるようになった世代でもある。社会全体で「輝かしい未来」という夢を見ることが難しくなっていった一方で、個々人が自分の「夢」をもち、「将来」に向けてそれを実現してゆくための準備と学習が求められるようになり、「夢はかなう」とか、「夢をありがとう」といった言葉が、決まり文句のように始終耳に入り、目にするようになった社会。それぞれの人間が「オンリーワン」の可能性をもっており、個々の努力と責任で、必要とあればリスクを取ることもいとわず、「将来の夢」に向けて努力することが推奨される社会。それが一九九〇年代以降の日本社会である。
(若林幹男『未来の社会学』河出ブックス)~
幸せを手に入れられるかどうかは「自分次第」「自分の責任」という時代になり、「オンリーワン」という言葉が誕生する。
「やりたいことを見つけよう」「自分の将来を設計しよう」「夢はかなう」……。
今ふつうに見かけるこれらの言葉は、大昔からあるものではない。
江戸時代にはなかったし、近代国家を目指し始めた明治時代、誰もそんなことは言わない。
太平洋戦争に負けてぼろぼろになった時にもない。個人の夢うんぬんを語っているヒマなど、日本人にはなかったからだ。
その後、焼け野原からわずか十数年で経済大国への仲間入りという、奇跡的な発展をとげる。
1950年代後半からは高度経済成長とよばれる状態が続き、そのまま1970年代に入ると、そろそろみなさんのお父さんお母さんが生まれた頃だろうか。
その頃の若者も「自分で夢を見つけよう」とは言われなかった。「勉強して、いい大学に入り、いい会社に入れ」と言われた。勉強が苦手だったら、「手に職をつけて、地道に働け」と言われた。
大金持ちにはなれなくても、ふつうに働いていれば、食うに困ることはない、ふつうに幸せになれると、みんなが信じていた。うまくサラリーマンになれれば、毎年少しずつ給料が上がって、定年まで働けた。自営業なら、働けるだけ働いて、その後は年金で暮らせた。
就職して結婚して子どもをつくり、孫を抱いて、のんびり老後をすごし、家族に看取られて旅立っていくという人生の姿を、ごくふつうに手に入るものとして、日本人はイメージできた。
「一億層中流」意識が生まれ、よその国の人から「ジャパンアズナンバーワン」という言葉をいただいたのも、この頃だ。
しかし1990年代、「バブル経済」が崩壊し、景気低迷期が長引くにつれて、「それなりに頑張って、ふつうに幸せになる」というモデルを、人々が疑い始める。
~ 20世紀末から21世紀初めの日本では、バブル経済の崩壊と就職難、その後の不安定な雇用と貧困化が、戦後日本が高度経済成長期以降もち続けてきた、より豊かな未来への希望を多くの若者たちから奪い、既存の社会体制や価値観への信頼を失わせたという認識が、「ロスジェネ」という言葉が21世紀の初めに他称・自称取り混ぜて用いられたことの背景にはある。現代日本のロスジェネたちはまた、「将来」や「夢」と呼ばれる個別的な未来と、それに対する自己責任への強迫に曝されるようになった世代でもある。社会全体で「輝かしい未来」という夢を見ることが難しくなっていった一方で、個々人が自分の「夢」をもち、「将来」に向けてそれを実現してゆくための準備と学習が求められるようになり、「夢はかなう」とか、「夢をありがとう」といった言葉が、決まり文句のように始終耳に入り、目にするようになった社会。それぞれの人間が「オンリーワン」の可能性をもっており、個々の努力と責任で、必要とあればリスクを取ることもいとわず、「将来の夢」に向けて努力することが推奨される社会。それが一九九〇年代以降の日本社会である。
(若林幹男『未来の社会学』河出ブックス)~
幸せを手に入れられるかどうかは「自分次第」「自分の責任」という時代になり、「オンリーワン」という言葉が誕生する。