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水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

アクション

2022年02月08日 | 学年だよりなど
1学年だより「アクション」


 自分が本当にやりたいことは何か、自分は何を目指したいのか、そもそも自分とはどんな人間なのか……。人は、とくに若者は、時折このような「問い」にとらわれる。
 大人は言う。「しっかり自分で考えよ」「自分を見つめよ」「自分らしく生きよ」と。
 その言葉を素直に信じて自分を見つめた若者は、なかなか見つからずにいらだち始める。
 しっかり見つめれば見つめるほど、自分がいかに空疎であるかに気づいてしまうからだ。
 しかし、そういうものだ。
 それほどたいそうな自分を、みんながみんな持っているわけではない。
 たしかな志がまずあって、それに従って生きているわけではない。
 何かをやり始めて、たまたまそれが結果につながる。
 トップアスリート、トップミュージシャンとよばれる人たちも、多くはそうではないだろうか。
 ジャンプの小林陵侑選手は、たまたま雪国に生まれ、スキーをはじめた。中学時代にすでに日本一になる才能をもっていたが、5歳の段階で「金メダルをとる」と目標を立ててはいないだろう。
 ショパンコンクール2位の反田恭平さんは、幼い頃はサッカー少年だった。骨折をしてサッカー選手になる夢をあきらめてから、本格的にピアノのレッスンをはじめたという。


~ フランスの哲学者アランは名言を遺している。
「幸福だから笑うのではない。笑うから幸福なのだ」
 そのとおりだと思う。アクションから本質が生まれる。本質はあくまでも事後的に発生するものであって、本質という抽象はそれ単独で先行的に存在するものではない。~


 たまたま自分のそばにあったもの、他人にすすめられたことが、その後の人生を決める。


~ ぼくは中学生時代、プログラミングに夢中になった。よくわからないまま手さぐりでパソコンを使っているうちに、多彩な処理システムを構築できるプログラミングの魅力にどんどんのめり込んでいった。それがやがてビジネスにつながり、ぼくはそのビジネスでさらに成功を収めるべく野心をたぎらせていった。
 要するに今日にいたるぼくのキャリアは、プログラミングとの出合いがすべてだ。プログラミングに出合わなければ、それはそれでまたまったく別のキャリアを描いていただろう。
 あらかじめ目指すキャリアがあって、プログラミングに足を踏み入れたわけではないのだ。まずアクションがあって、結果的にキャリアがある。
アクションを起こさなければ、なにもはじまらない。 (堀江貴文『最大化の超習慣』徳間書店)~


 やりたいことをみつけた人とは、何かをやってみた人だ。
 夢を叶えた人は、たまたま始めたそのことに、とりあえずのめり込んだ人だ。
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