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水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

練習問題「利他的行動」

2022年02月09日 | 国語のお勉強
一 次の文章を読み、後の問いに答えよ。

 利他的な行動には、本質的に、「これをしてあげたら相手にとって利になるだろう」という、「私の思い」が含まれています。
 重要なのは、それが「私の思い」で〈 Aしか 〉ないことです。
 思いは思い込みです。そう願うことは自由ですが、相手が実際に同じように思っているかどうかは分からない。「これをしてあげたら相手にとって利になるだろう」が「これをしてあげるんだから相手は喜ぶはずだ」に変わり、さらには「 〈 ① 〉」になるとき、利他の心は、容易に相手を支配することにつながってしまいます。
 つまり、利他の大原則は、「〈 ②自分の行為の結果はコントロールできない 〉」ということなのではないかと思います。やってみて、相手が実際にどう思うかは分からない。分からないけど、それでもやってみる。この不確実性を意識していない利他は、押しつけであり、ひどい場合には暴力になります。
 「自分の行為の結果はコントロールできない」とは、別の言い方をすれば、「見返りは期待できない」ということです。「自分がこれをしてあげるんだから相手は喜ぶはずだ」という押しつけが始まるとき、人は利他を自己犠牲ととらえており、その見返りを相手に求めていることになります。
 私たちのなかにもつい芽生えてしまいがちな、見返りを求める心。先述のハ(注1)リファックスは、〈 B警鐘を鳴らし 〉ます。「自分自身を、他者を助け問題を解決するキュウ〈 Cサイ 〉者と見なすと、気づかぬうちに権力志向、うぬぼれ、自己〈 Dトウ 〉スイへと傾きかねません」(『Compassion』)。
 ア(注2)タリの言う合理的利他主義や、「情けは人のためならず」の発想は、他人に利することがめぐりめぐって自分にかえってくると考える点で、他者の支配につながる危険をはらんでいます。ポイントはおそらく、「めぐりめぐって」というところでしょう。めぐりめぐっていく過程で、私の「思い」が「予測できなさ」に吸収されるならば、むしろそれは他者を支配しないための想像力を用意してくれているようにも思います。
 どうなるか分からないけど、それでもやってみる。ブ(注3)レイディみかこは、コロナ禍の英国ブライトンで彼女が目にした光景について語っています。
 ブレイディによれば、町がロックダウンしているさなか、一人暮らしのお年寄りや〈 E自主隔離 〉に入った人に食料品を届けるネットワークをつくるために、自分の連絡先を書いた手づくりのチラシを自宅の壁に貼ったり、隣人のポストに入れて回ったりしていた人がいたそうです。普通ならば「個人情報が悪用されるのではないか」などとケイ〈 Fカイ 〉するところですが、そうではなく、とりあえずできることをやろうと動き出した人がいた。
 ブレイディは、これは一種のア(注4)ナキズムだと言います。アナキズムというと一切合切破壊するというイメージがありますが、政府などの上からのコントロールが働いていない状況下で、相互扶助のために立ち上がるという側面もある。コロナ禍において、とりあえず自分にできることをしようと立ち上がった人は、日本においても多かったように思います。
 レ(注5)ベッカ・ソルニットの「災害ユートピア」という言葉があります。これは、地震や洪水など危機に見舞われた状況のなかで、人々が利己的になるどころか、むしろ〈 ③見知らぬ人のために行動するユートピア的な状況 〉を指した言葉です。
 このようなことが起こるひとつのポイントは、非常時の混乱した状況のなかで、平常時のシステムが機能不全になり、さらに状況が刻々と変化するなかで、自分の行為の結果が予測できなくなることにあるのではないかと思います。どうなるか分からないけど、それでもやってみる。混乱のなかでこそ純粋な利他が生まれるようにみえる背景には、この「読めなさ」がありそうです。
 他方で平常時は、こうした災害時に比べると、行為の結果が予測しやすいものになります。少なくとも、平時の私たちは、自分の行為の結果は予測できるという前提で生きています。
 でも、だからこそ「こうだろう」が「こうであるはずだ」に変わりやすい。実際には相手は別のことを思っているかもしれないし、いまは相手のためになっていても、一〇年後、二〇年後にはそうではないかもしれない。
 にもかかわらず、どうしても私たちは「予測できる」という前提で相手と関わってしまいがちです。「思い」が「支配」になりやすいのです。利他的な行動をとるときには、とくにそのことに気をつける必要があります。
 〈 ④そのため 〉にできることは、相手の言葉や反応に対して、真摯に耳を傾け、「聞く」こと以外にないでしょう。知ったつもりにならないこと。自分との違いを意識すること。〈 ⑤利他とは、私たちが思うよりも、もっとずっと受け身なことなのかもしれません 〉。
 さきほど、信頼は、相手が想定外の行動をとるかもしれないという前提に立っている、と指摘しました。「聞く」とは、この想定できていなかった相手の行動が秘めている、積極的な可能性を引き出すことでもあります。「思っていたのと違った」ではなく「そんなやり方もあるのか」と、むしろこちらの評価軸がずれるような経験。
 他者の〈 G潜在 〉的な可能性に耳を傾けることである、という意味で、利他の本質は他者をケアすることなのではないか、と私は考えています。
 ただし、この場合のケアとは、必ずしも「介助」や「介護」のような特殊な行為である必要はありません。むしろ、「こちらには見えていない部分がこの人にはあるんだ」という距離と敬意を持って他者を気づかうこと、という意味でのケアです。耳を傾け、そして拾うことです。
 ケアが他者への気づかいであるかぎり、そこは必ず、意外性があります。自分の計画どおりに進む利他は押しつけに傾きがちですが、ケアとしての利他は、大小さまざまなよき計画外の出来事へと開かれている。この意味で、よき利他には、必ずこの「他者の発見」があります。
 さらに考えを進めてみるならば、よき利他には必ず「自分が変わること」が含まれている、ということになるでしょう。相手と関わる前と関わった後で自分がまったく変わっていなければ、その利他は一方的である可能性が高い。〈 ⑥「他者の発見」は「自分の変化」の裏返しにほかなりません 〉。
 利他についてこのように考えていくと、ひとつのイメージがうかびます。それは、〈 ⑦利他とは「うつわ」のようなものではないか 〉、ということです。相手のために何かをしているときであっても、自分で立てた計画に固執せず、常に相手が入り込めるような余白を持っていること。それは同時に、自分が変わる可能性としての余白でもあるでしょう。この何もない余白が利他であるとするならば、それはまさにさまざまな料理や品物をうけとめ、その可能性を引き出すうつわのようです。
 哲学者の鷲田清一は、患者の話をただ聞くだけで、解釈を行わない治療法を例にあげて、ケアというのは、「なんのために?」という問いが失効するところでなされるものだ、と主張しています。他者を意味の外につれだして、目的も必要もないところで、ただ相手を「享(う)ける」ことがケアなのだ、と言うのです。

  他人へのケアといういとなみは、まさにこのように意味の外でおこなわれるものであるはずだ。ある効果を求めてなされるのではなく、「なんのために?」という問いが失効するところで、ケアはなされる。こういうひとだから、あるいはこういう目的や必要があって、といった条件つきで世話をしてもらうのではなくて、条件なしに、あなたがいるからという、ただそれだけの理由で享ける世話、それがケアなのではないだろうか。(『「聴く」ことの力』)

 〈 ⑧つくり手の思いが過剰にあらわれているうつわ 〉ほど、まずいものはありません。特定の目的や必要があらかじめ決められているケアが「押しつけの利他」でしかないように、条件にあったものしか「享け」ないものは、うつわではない。「いる」が肯定されるためには、その条件から外れるものを否定しない、意味から自由な余白が、スペースが必要です。 
                                   (伊藤亜紗「『うつわ』的利他――ケアの現場から」)

注1 ジョアン・ハリファックス……一九四二年生まれ、アメリカの人類学者・僧侶。
 2 ジャック・アタリ……一九四三年生まれ、フランスの経済学者・思想家。
 3 ブレイディみかこ……一九六五年生まれ、福岡県出身、イギリス在住の作家・保育士。
 4 アナキズム……政治的・社会的権力を否定して、個人の自由と独立を望む考え方。無政府主義。 
5 レベッカ・ソルニット……一九六一年生まれ、アメリカの作家。

問1 二重傍線部Aと同じ種類の助詞に該当するものを選べ。
 ア 駅から歩いて十五分くらいだ。
 イ そろそろ出発しようか。
 ウ 町に出ると、人があふれていた。
 エ イベントには一万人も集まった。

問2 二重傍線部Bの意味として最も適当なものを選べ。
 ア 注意を喚起する  イ 欠点を指摘する  ウ 危険を察知する  エ 世間に知らしめる

問3 二重傍線部C・D・Fと同じ漢字を書くものをそれぞれ選べ。

C「キュウサイ」
 ア ヘンサイが滞っている   イ 昆虫サイシュウに行く
 ウ サイバン所に訴え出た    エ シザイをなげうった

D「トウスイ」
 ア トトウを組むのはよくない   イ 不法トウキを監視していた
 ウ 定年後はトウゲイを楽しむ   エ 心のカットウを乗り越える

F「ケイカイ」
 ア カイの公式が思い出せない   イ 知人をカイして依頼された
 ウ 厳しいカイリツがあるようだ  エ 病気はカイホウに向かっている

問4 二重傍線部Eと同じ構成でできている四字熟語を選べ。
 ア 権力志向   イ 一切合切   ウ 相互扶助   エ 機能不全

問5 二重傍線部Gの対義語として最も適当なものを選べ。
 ア 混在     イ 顕在     ウ 偏在     エ 自在

問6 空欄①を補う言葉として最も適当なものを選べ。
 ア 相手は喜ぶにちがいない
 イ 相手を喜ばせたい
 ウ 相手は喜ぶべきだ
 エ 相手が喜ぶとはかぎらない

問7 傍線部②とは、どういうことか。最も適当なものを選べ。
 ア 自分の行為を相手がどう受け止めてくれるのかを意識しすぎると、自分の感情がコントロールできなくなってしまうということ。
 イ 自分の行為に対して相手から何らかの見返りがあるかどうかについては、多くの場合において予測するのが難しいということ。
 ウ 純粋に相手のことだけを思った行為のつもりであっても、見返りを求める気持ちが自然に芽生えることを抑えるのは難しいということ。
 エ 相手のためを思ってした行為であっても、それによって相手が喜ぶ結果になるかどうかについては、自分で制御できるものではないということ。

問8 傍線部③とあるが、そのような状況はなぜ生まれたのか。最も適当なものを選べ。
 ア 大きな自然災害に見舞われたとき、政府や自治体の支援を待っていたのでは自分たちの生命さえ脅かされかねないため、平常時とは全く異なる支援のシステムが自然発生するから。
 イ 大きな災害が起きると、日常における人間関係や社会的地位が何の意味も持たなくなり、人として平等な存在同士として新たな関係性を作ることが可能になるから。
 ウ 災害という状況下においては、自分の行為がどういう結果をもたらすかについて全く予測が立たないため、困難に陥っている人を目の前にしたときに、人は後先を考えずに行動するから。
 エ 平常時のシステムがまったく機能しなくなった非常事態におかれ、将来の生活の見通しが全く立たない状況のなかで、ふだんは夢物語にすぎなかった理想的な共同体が出現するから。

問9 傍線部とあるが、何のためか。最も適当なものを選べ。
 ア 利他的な行動をとるため
 イ 自分の「思い」が「支配」にならないようにするため
 ウ 相手の気持ちを十分に予測するため
 エ 自分の「思い」が伝わるようにするため

問10 傍線部⑤には、どのような思いが込められているか、最も適当なものを選べ。
 ア「利他」の本質を理解すればするほど、他者からの承認を受け入れている自分を感じることができ、受け身でいられること自体に喜びを感じるはずだという確信。
 イ「利他」とは、本来は他人のために何かをするという能動的な行為を表す言葉だが、むしろ受け身的にこの言葉をとらえる必要があるのではないかという気づき。
 ウ 他人に何かを「してあげる」のではなく、「させていただく」という受け身の姿勢になることで、本当の「利他」を実践できる自分に変われるのではないかという期待。
 エ 自分の「利他」の行為は、相手が心から受け入れてくれることによってはじめて利他的ふるまいと認められるのだから、相手への感謝を失ってはならないという戒め。

問11 傍線部⑥とあるが、なぜそう言えるのか、最も適当なものを選べ。
 ア 相手の予想外の行動に接し、純粋にそれを受け入れながら相手の思いに気づくことで、自分の中に新しいものの見方の基準がもたらされるから。
 イ 相手の潜在的な希望に気づくという自分の変化は、自分の発見であり、たんなるお仕着せではない他人への行動がそこにあったことになるから。
 ウ それまで外に現れていなかった他者の意外な願いに気づいてしまうと、それまでと全く異なる自分として接したくなるということ。
 エ 相手が意図的に表に出さないようにしていた本当の願いを見抜くことで、真に利他と言える境地に達することができるから。

問12 傍線部⑦と述べるのはなぜか、最も適当なものを選べ。
 ア 意外性にあふれる他者の行為をすべて受け入れようとするケアとしての利他は、どんなものを乗せても大きな余白を感じられる「うつわ」の存在感に通じるものがあると考えたから。
 イ 十分に他者の意見を聞き受け入れながら、ケアとしての利他を計画的に推し進めることにより、人としての「うつわ」の大きさを周囲にアピールすることができるはずだから。
 ウ 自分の思いとは無関係に相手の存在そのものを受け入れようとするケアとしての利他は、どんな料理や品物も受けとめ引き立てようとする「うつわ」に似ていると感じられるから。
 エ ケアとして利他に関わることで自分に変化がもたらされるならば、「うつわ」に乗せられた様々な料理や品物にこめられた作り手の思いを実感できる存在になれると考えるから。



問1 エ   問2 ア   問3 C ア  D ウ  F ウ
問4 ウ   問5 イ   問6 ウ   問7 エ   問8 ウ
問9 イ   問10 イ   問11 ア   問12 ウ

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