1学年だより「ROLAND(2)」
やりたいことが見つかった、少しやってみた、でもうまくいかない、そうか自分には才能がないのだろう、諦めよう……。こんなふうに判断するのも、筋は通っている。
才能があるかどうかは、やってみないとわからないから。
ただ才能のありなしは、どれくらいやってみると、はっきりするのだろうか。
実際のところ、これについては誰も判断できない。
周りからみて、「さすがに才能が不足しているのではないか、あきらめて別の道をさがした方が幸せなんじゃないか」と言いたくなる人は、実際いるだろう。
一方で、客観的に才能がなさそうに見えていて、かなり高齢になってから突然花開く例も、たくさんある。60歳過ぎて商業作家デビューした方とか。
けっきょく、どっちを選ぶのも、その人しだいということだ。
~「才能がない」なんて、別にそんなにたいしたことじゃない。
成功と失敗を分ける、決定的要素なんかじゃないんだ。
才能がないからって諦めるのか? 「たかが」そんなことで。
人は事が上手く運んでいるときに、自分を見つめ直すことはなかなかできないもの。
苦難の時期は、徹底的に今取り組んでいることに向き合い、自分を見つめ直すことができるチャンスなんだ。
その瞬間はつらいかもしれないが、悩んで試行錯誤した期間は、のちに成功するための、とても大事な財産になる。
今君が、なかなか結果が出せず、そんな才能のない自分を後ろめたく感じているのなら、才能がないことも、一個の才能だと知ってほしい。
さあ、努力で才能をぶっ倒そう。
そして、数年後にこう言ってやるのさ。
ああ! 私は才能がなくて、なんてラッキーだったんだろう!
とね! (ROLAND『君か、君以外か。』KADOKAWA)~
「自分には才能がなさそうだから諦める」という人の場合、そこまでやったのかな? と首をかしげたく場合も実際には多い。
才能があるかないかなど思い悩まず、ひたすらやり続けている人が、最終的に高みに達するというのが、本当のところではないだろうか。
あきらめる人は、「自分はこんなにがんばっているのに」と言う。
あきらめない人は、「まだまだ足りない」と言う。
あきらめる人は才能のせいにするし、あきらめない人は努力する。
どんな分野でも、最高レベルに達する人というのは、「あきらめなかった人」、もしくは「あきらめられなかった人」たちのことを指すように思える。
やりたいことが見つかった、少しやってみた、でもうまくいかない、そうか自分には才能がないのだろう、諦めよう……。こんなふうに判断するのも、筋は通っている。
才能があるかどうかは、やってみないとわからないから。
ただ才能のありなしは、どれくらいやってみると、はっきりするのだろうか。
実際のところ、これについては誰も判断できない。
周りからみて、「さすがに才能が不足しているのではないか、あきらめて別の道をさがした方が幸せなんじゃないか」と言いたくなる人は、実際いるだろう。
一方で、客観的に才能がなさそうに見えていて、かなり高齢になってから突然花開く例も、たくさんある。60歳過ぎて商業作家デビューした方とか。
けっきょく、どっちを選ぶのも、その人しだいということだ。
~「才能がない」なんて、別にそんなにたいしたことじゃない。
成功と失敗を分ける、決定的要素なんかじゃないんだ。
才能がないからって諦めるのか? 「たかが」そんなことで。
人は事が上手く運んでいるときに、自分を見つめ直すことはなかなかできないもの。
苦難の時期は、徹底的に今取り組んでいることに向き合い、自分を見つめ直すことができるチャンスなんだ。
その瞬間はつらいかもしれないが、悩んで試行錯誤した期間は、のちに成功するための、とても大事な財産になる。
今君が、なかなか結果が出せず、そんな才能のない自分を後ろめたく感じているのなら、才能がないことも、一個の才能だと知ってほしい。
さあ、努力で才能をぶっ倒そう。
そして、数年後にこう言ってやるのさ。
ああ! 私は才能がなくて、なんてラッキーだったんだろう!
とね! (ROLAND『君か、君以外か。』KADOKAWA)~
「自分には才能がなさそうだから諦める」という人の場合、そこまでやったのかな? と首をかしげたく場合も実際には多い。
才能があるかないかなど思い悩まず、ひたすらやり続けている人が、最終的に高みに達するというのが、本当のところではないだろうか。
あきらめる人は、「自分はこんなにがんばっているのに」と言う。
あきらめない人は、「まだまだ足りない」と言う。
あきらめる人は才能のせいにするし、あきらめない人は努力する。
どんな分野でも、最高レベルに達する人というのは、「あきらめなかった人」、もしくは「あきらめられなかった人」たちのことを指すように思える。