水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

ROLAND(2)

2022年02月25日 | 学年だよりなど
1学年だより「ROLAND(2)」


 やりたいことが見つかった、少しやってみた、でもうまくいかない、そうか自分には才能がないのだろう、諦めよう……。こんなふうに判断するのも、筋は通っている。
 才能があるかどうかは、やってみないとわからないから。
 ただ才能のありなしは、どれくらいやってみると、はっきりするのだろうか。
 実際のところ、これについては誰も判断できない。
 周りからみて、「さすがに才能が不足しているのではないか、あきらめて別の道をさがした方が幸せなんじゃないか」と言いたくなる人は、実際いるだろう。
 一方で、客観的に才能がなさそうに見えていて、かなり高齢になってから突然花開く例も、たくさんある。60歳過ぎて商業作家デビューした方とか。
 けっきょく、どっちを選ぶのも、その人しだいということだ。


~「才能がない」なんて、別にそんなにたいしたことじゃない。
 成功と失敗を分ける、決定的要素なんかじゃないんだ。
 才能がないからって諦めるのか? 「たかが」そんなことで。
 人は事が上手く運んでいるときに、自分を見つめ直すことはなかなかできないもの。
 苦難の時期は、徹底的に今取り組んでいることに向き合い、自分を見つめ直すことができるチャンスなんだ。
 その瞬間はつらいかもしれないが、悩んで試行錯誤した期間は、のちに成功するための、とても大事な財産になる。
 今君が、なかなか結果が出せず、そんな才能のない自分を後ろめたく感じているのなら、才能がないことも、一個の才能だと知ってほしい。
 さあ、努力で才能をぶっ倒そう。
 そして、数年後にこう言ってやるのさ。
 ああ! 私は才能がなくて、なんてラッキーだったんだろう! 
 とね!        (ROLAND『君か、君以外か。』KADOKAWA)~


 「自分には才能がなさそうだから諦める」という人の場合、そこまでやったのかな? と首をかしげたく場合も実際には多い。
 才能があるかないかなど思い悩まず、ひたすらやり続けている人が、最終的に高みに達するというのが、本当のところではないだろうか。
 あきらめる人は、「自分はこんなにがんばっているのに」と言う。
 あきらめない人は、「まだまだ足りない」と言う。
 あきらめる人は才能のせいにするし、あきらめない人は努力する。
 どんな分野でも、最高レベルに達する人というのは、「あきらめなかった人」、もしくは「あきらめられなかった人」たちのことを指すように思える。
コメント
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