水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

型を忘れるための型(2)

2023年02月24日 | 学年だよりなど
2学年だより「型を忘れるための型(2)」




 「型を忘れるレベル」になるには、莫大な蓄積がいる。
 「基礎の習得」と、言うのは簡単だが、基礎だからこそ、本当に身に付けるのは時間がかかる。
 何よりもまず、まずゼロから1を立ち上げるときが大変だ。
 先日、羽田を飛び立つときの飛行機を思い出してみるといい。みんなが搭乗して離陸までが一番時間がかかり、エネルギーも必要で、離陸してしまえば後はあっという間に新千歳空港だった。
 ゼロから1が大変。でも1をクリアすると、4、5へはあっという間だ。
 ちょっと頑張れば8、9も視野に入る。
 がんばって10レベルになったとき、自分の成長のスピードが喜ばしくなる。自信が生まれる。
 仕事でも、趣味の世界でも、このへんのレベルの人が一番イキってる感じがする。
 おれはそこそこやれる光線を発したり、初心者を見つけて教えようとしたりする。
 11、12へ登ろうとした人は、そこで初めて簡単にはいかないことに気づく。
 いきってばかりで(調子こいて、の意味ね)気づかないまま終わる人もいる。
 1を10にした程度の努力では、11、12には達しない。
 そこで頑張って、なんとか11ぐらいになったとき、世の中に100を超えている人がわんさかいることに気づく。10でいい気になってた自分が圧倒的に恥ずかしくなる。
 気づかないまま調子にのってた方が、幸せなのかもしれない。
 100になる道は、この時点では見えないが、必死に12、13と進めていくと、50への道、100の道も、うっすら見えてくる気がしてくる。
 そして、途方にくれながらも、やっているうちに別種の楽しみがわいてくる。
 この段階になると、人に教えようとしたり、おれはすごいと言ったりすることはなくなってくる……というようなプロセスを経て、一段一段あがっていくものだろう、何事も。
 この習熟のプロセスを体験しているかどうか、その体験のある人とない人との人生の差は大きい。




~ 長い年月、競技の場に身を置いてきた者として、勝利への情熱はいまだ冷めていないけれど、それ以上に、僕は学習することやトレーニングが何よりも好きになっていた。いくつもの大試合を何年も経験してきたことで、プレッシャーの中で事に臨むことが僕の生活の一部になっていた。相手から猛攻を受けているときの心の持ち方も、こうしてコンピュータの前に座り文章を打っているときの心の持ち方とほとんど変わらないようになった。そして気がついた。僕は太極拳やチェスに長けているわけではないのだ――僕が得意なのは学ぶこと、そう、習得の技法なのだということを。 (ジョッシュ・ウェイツキン『習熟への情熱』みすず書房)~




 みなさんは、勉強や部活で、うまい具合にこの体験に足を踏み入れることができる。
 今は、ゼロから1になったばかり(未だゼロ)の人は多いし、高校ではせいぜい10への道のりが感じられれば御の字ではないだろうか。


コメント
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