三段落〈 第四場面 御坂峠 〉
寝る前に、部屋のカーテンをそっと開けてガラス窓越しに富士を見る。月のある夜は富士が青白く、水の精みたいな姿で立っている。〈 私はため息をつく 〉。ああ、富士が見える。星が大きい。あしたは、お天気だな、とそれだけが、かすかに生きている喜びで、そうしてまた、そっとカーテンを閉めて、そのまま寝るのであるが、あした、天気だからとて、別段この身には、なんということもないのに、と思えば、おかしく、一人で布団の中で苦笑するのだ。〈 苦しいのである 〉。仕事が、――純粋に運筆することの、〈 その苦しさ 〉よりも、いや、運筆はかえって私の楽しみでさえあるのだが、〈 そのこと 〉ではなく、私の世界観、芸術というもの、明日の文学というもの、いわば、新しさというもの、私はそれらについて、いまだぐずぐず、思い悩み、誇張ではなしに、身悶えしていた。
【素朴な、自然のもの、したがって簡潔な鮮明なもの、そいつをさっと一挙動でつかまえて、そのままに紙に写し取ること】、それよりほかにはないと思い、そう思うときには、眼前の富士の姿も、別な意味を持って目に映る。この姿は、この表現は、結局、私の考えている〈 「単一表現」 〉の美しさなのかもしれない、と少し富士に妥協しかけて、けれどもやはりどこかこの富士の、あまりにも〈 棒状の素朴 〉には閉口しているところもあり、これがいいなら、ほていさまの置物だっていいはずだ、ほていさまの置物は、どうにも我慢できない、あんなもの、とても、いい表現とは思えない、この富士の姿も、やはりどこか間違っている、〈 これ 〉は違う、と再び思い惑うのである。
場面 場所 御坂峠
時 夜
人物 私
Q42「苦しいのである」とあるが、「私」は何について思い悩んでいて苦しいのか。該当する部分を40字以内で抜き出せ。
A42 私の世界観、芸術というもの、明日の文学というもの、いわば、新しさというもの
Q43「そのこと」とは何か。10字以内で抜き出せ。
A43 純粋に運筆すること
Q44「単一表現」とはどのような意味か。具体的に言い換えている部分を抜き出せ。
A44 素朴な、自然のもの、したがって簡潔な鮮明なもの、そいつをさっと一挙動でつかまえて、そのままに紙に写し取ること(64)
Q45「棒状の素朴」とは、この場合どういうことを言っているのか。
A45 まるで棒のようにまっすぐで何の虚飾も作為もない美しさ
Q46「これ」とは何か。(30字以内)
A46 月の光に照らし出された眼前の富士のあまりにも美しい姿。
事件 月に照らされた富士を見る … 青白い・水の精みたいな姿
∥
眼前の富士の姿 … 「単一表現」の美しさ
∥
この富士 … あまりにも棒状の素朴(虚飾のない美しさ)
∥
これ
↓
心情 違う
苦しい・妥協・閉口・思い惑う
∥
あまりの美しさに自分の信条が揺らぐ ( ←→ 月見草)
↓
行動 ため息をつく
Q47「ため息をつく」とあるが、その理由を、この場面全体をふまえて説明せよ。(70字以内)
A47 何一つ虚飾のない圧倒的な富士の美しさを前にして、通俗を否定し新しい文学表現を生み出そうする自分の信条が揺るがせられる思いを抱いたから。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます