水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

歌姫

2016年10月11日 | 演奏会・映画など

 

 サンシャイン劇場で宅間孝行作「歌姫」を観た。
  東京セレソンデラックスという主宰していた劇団を解散し、宅間フェスティバルと銘打った公演をうつようになって四年目。
 役者さんは公演ごとにカンパニーを組む形となったが、ヒロイン役は、森田涼花さん(「くちづけ」)、内山理名さん(「夕」)といった十分な実績のもつ女優さんが演じてきた。とくに神がかっていたとさえ感じた田畑智子(「晩餐」)のお芝居は、いまも思い出すと胸があつくなるくらいだ。
 今回のヒロインはAKB48の入山杏奈さん。正直、大丈夫か? と思った。ていうかよくオーディション通ったなとも。でも、予想に反してといったら申し訳ないし、あの厳しいレッスンで知られる宅間氏のおめがねにかなったのだから、杞憂にきまっているのだが、ほんとによかった。
 ヒロインのお姉さん役の原史奈さんも、記憶を失った主人公の元奥さんを演じる酒井美紀さん、みんなきれいでみんないい。そして上手。勝手な推理だけど、宅間さんチームに入ることで、お芝居ってこうだったんだって気づいた部分があるのではないだろうか。
 とにかく女優さんの充実ぶりでは、宅間さんのお芝居の歴史で一番だったと思う。
 超ベテランの役者さんが、「宅間くんの芝居にでられてよかった、きびしいけど勉強になった」と、以前カーテンコールの後かたられていたことがある。
 そんな宅間氏が、開演前にはパンフにサインし続け、終わったあとはみんなでダンスをする。お客さんに喜んでもらえるためなら何でもしたいという気持ちを、ここまで実践できる演劇人はいない。
 もちろんお芝居自体がすばらしいのは言うまでもない。笑わされ、泣かされ、考えさせられ、最後は明日からも頑張って生きていこうという気にさせられる。あの場にいられたことの幸甚これに過ぎたるは無し。
 音楽であれ、お芝居であれ、お客さんにこんな気持ちになってもらえたら、演奏する側、演じる側も幸せなはずだ。

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「る・らる」の見分け方

2016年10月10日 | 国語のお勉強(古文)

 

「る・らる」の見分け方


a 「何々に」「誰それに」と書いてあったら、または書いてなくてもあきらかに想定できたら「受身」。

 〈 物に 〉おそは〈 るる 〉心地して、おどろき給へれば、火も消えにけり。

 ありがたきもの〈 舅に 〉ほめ〈 らるる 〉婿。


b 動作主が、それなりに目上の人だったら「尊敬」。高貴な人が主語の場合と説明されがちだが、本当に高貴な方の動作を「る・らる」で敬う例は少ない。

 こはいかなる〈 尼君たちの 〉、かくは舞は〈 れ 〉て、深き山の奥よりは出で給ひたるぞ

 かの〈 大納言 〉、いづれの舟にか乗ら〈 る 〉べき。


c 思わず、意図せずの動作だったら「自発」。

 またきこり人どもも、〈 心ならず 〉舞は〈 れ 〉けり。

 住みなれしふるさと、限りなく〈 思ひ出で 〉〈 らる 〉


d 打消とセットのときは基本「可能」。ただし、兼好法師『徒然草』以降は、肯定文でも用いられる。

  知らぬ人の中にうち臥して、つゆまどま〈 れ 〉〈 ず 〉。

  かくてもあら〈 れ 〉けるよと、あはれに見るほどに、


 もともとは「自分の意志と関係なくものごとがすすんでいくこと」を表す助動詞で、「自発」が大元である。
 自分の意志と関係なくできてしまうと「可能」になるし、他人のせいで「受身」になる。
 あなたが動作に私の意志などまったくないですとの表明が「尊敬」でもある。
 現代の「れる」「られる」も働きはまったく同じだから、「る・らる」は、古今同義語の仲間だ。

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受身の用法

2016年10月09日 | 国語のお勉強(漢文)

 

〈 受身 〉


1 助動詞「見・被」を用いたもの 

 S 見レV 。 … SはVされた。【 S・助・V 】

  王 見レ殺。   王殺さる(王は殺された)。
  有レ功、被レ誅。 功有れども、誅せらる(功績があったのに、罰せられた。)


2 前置詞「於」によるもの

 S V(二)於A(一)。 … SはAにVされた。【 S・V・M 】

  窮 者 常 制(二)於 人(一)。 窮する者は常に人に制せらる(追い込まれた人は常に人に制せられる)。


3 代名詞「所」を用いたもの【 S・V・C 】

 S 為(二)A 所(一レ)V 。 … SはAにVされた。

  我 為(二)先 生 所(一レ)叱。 我先生の叱る所と為る(私は先生に叱られた)。


4 Vの意味上、受身に読むもの

 S V(二)[地名・官職](一)。 … Sは[地名・官職]にVされた。

  ☆ V … 封 禄 叙 任 用 遷 謫 etc 

  我 兄 任(二)一 年 生 担 任(一)。

   我が兄一年生担任を任ぜらる(私の兄は一年生の担任を任命された)。


 「受身」は、基本的に「不幸」または「予期しない」内容を表現する。
 自分の意に反して起こった出来事、自分の意志ではどうすることもできない内容だ。
 「弑される(殺される)」「逐はる(地位を奪われる)」「遷せらる(左遷される)」のように。
 ある地位を「任ぜられる」のは不幸ではないかもしれないが、自分の意志ではなく、あくまでも「恩寵」である。

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16番

2016年10月08日 | 日々のあれこれ

 

 試験一週間前となり原則部活は休みになる。アンコンに出るメンバーは毎日ロングトーンだけしておいてと告げ、昨日の放課後様子を見にいったら、求めている以上に練習してる風だったので、「早く切り上げて勉強しなさい」と注意せざるを得なかったが、好きなことはやれるのだ。
 とくに試験前で、何時までパート練、その後合奏というようなメニューがなくなった解放感もあるにちがいない。ずっと自由だと多分楽しくなくなってくるものでもあるのだろうが。
 楽器にのめり込むように勉強もできたなら、自然と結果もついてくる。 ただし勉強は、みんながみんな楽しめるような代物ではない。むしろ面倒だったり、つらかったりもする。
 だから、たとえ義務感であったも(ちょうど仕事のように)勉強しようかなという気持ちになれることは大事で、それはやはり自分が将来どうなりたいかという未来への希望が支えるしかないのだろう。
 勉強した結果としてこんないいことがあった、という過去からの支えもあるにこしたことはないが、未来の自分を夢見ることはそれ自体が快楽だ。
 今日は、選択科目の説明会の最後に、学年主任としてすばらしい言葉を贈った … はずだったのが、「混乱してたから、おれがフォローしておいたぞ」とある担任の先生から言われた。やはり … 。
 いいんじゃないかな、それも。各教科の先生の言うことと自分の話したことが全然ちがってても。実は全く一緒に聞こえた人だっていたにちがいない。
 たんに受験のための選択科目を考えるのではなく、その先何をしたいかがあるとなお自分を支えられると思い、「志望理由書を書く前アンケート」を配布して、どれくらい書けるかみてごらんと話した。
 そして1~15の項目のあとに、書いてない16番がある、それもこれからの自分を支える大事な質問なんだけど、時間もないことだし今日は言わないから、自分で考えてみてねと投げかけた。そろそろ答えを教えてあげるねと話す日には、忘れられてる気はする。
 放課後、小講堂に顔を出し、Sくんにちゃんとやるよう釘をさした後、やっとウニクスに「怒り」を観に行けた。
 重厚なテーマ、一切妥協の許されないカットとセリフ、それを演じきる役者さんたちはさすがとしかいいようがない。とくに宮崎あおいちゃんはすごかったなあ。

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「志望理由書」を書き始める前に

2016年10月07日 | 大学入試

 

 AOや推薦入試を目指す三年生が例年よりやや多いので、「志望理由書」「自己推薦書」の添削指導を何人分か担当することになる。自分の学年だったら、対象者全員に、まずこれをやろうというプリントを渡して強制するのだが、その権限がない。下準備として書かせておくアンケートだ、これをびっちり埋めてこられる生徒さんは、その後の面接の準備もさくさく進む。


 

書き始める前に

1 あなたが志望する学部・学科はどんなことを研究するところですか。

2 その学部・学科で扱うテーマに関係して、今、世界や日本で、どのような問題が起きていますか。

3 上で答えた問題の背景・原因には、どのような事情があると言われていますか。

4 志望する学部・学科の内容に関して、これまでにどんな本をこれまで読みましたか(または読む予定ですか)。これまでにどんな経験をしましたか(する予定ですか)。

5 あなたが、その学部・学科で、研究したいことを、具体的に、人にわかるように説明してください。

6 あなたは将来、どんな職業につき、どんな仕事をしたいと考えていますか。

7 そういう職業につきたいと思い始めたのはいつごろですか。またそのきっかけは何ですか。

8 そのような自分の目標を実現するために、高校時代にどのようなことをしてきましたか。

9 あなたは、性格面で、どのようないい点をもっていますか。どういう点がアピールできますか。

10 それを具体的に表すエピソードを書いてください。

11 あなたが志望する大学の教育理念はどういうものですか。

12 あなたが志望する大学の学部・学科に所属する大学の先生を誰か知っていますか。そして、その先生はどんな研究をしていますか。

13 あなたが志望する大学の特徴はなんですか。他大学とはどの点が違うと思っていますか。

14 あなたがその大学を志望する最も大きな理由はなんですか。

15 入学後、どんな学生生活を送りたいと考えていますか。

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調教作業(2)

2016年10月06日 | 学年だよりなど

 

   学年だより「調教作業(2)」


 たとえば東大に入学できる高校生は約3200人。しかも毎年だ。
 何百年に一人の作家かもしれない村上春樹氏の「才能」が「恵まれていないもの」のだとしたら、受験勉強に必要な「才能」など、ほとんどなくていいようなものではないだろうか。
 類いまれな才能を有していたとしても、それを形にし続ける力をもたない場合、才能は発揮されずに終わる。結果として、その人は才能がなかったということになる。
 「やればできる」という言葉を私たちは好んでつかいたがるし、たしかにそうなのかもしれないが、やらなければできないし、何も生み出さない。
 逆にきわめて少量の才能しかなくても、とにかくやり続け、やり続けることによって集中力と持続力を養い続けていけば、才能の不足分は十分に補いうる。


 ~ 才能にそれほど恵まれていない  というか水準ぎりぎりのところでやっていかざるを得ない  作家たちは、若いうちから自前でなんとか筋力をつけていかなくてはならない。彼らは訓練によって集中力を養い、持続力を増進させていく。そしてそれらの資質を(ある程度まで)才能の「代用品」として余儀なくされる。しかしそのようになんとか「しのいで」いるうちに、自らの中に隠されていた本物の才能に巡り会うこともある。スコップを使って、汗水を流しながらせっせと足元に穴を掘っているうちに、ずっと奥深くに眠っていた秘密の水脈にたまたまぶちあたったわけだ。まさに幸運と呼ぶべきだろう。しかしそのような「幸運」が可能になったのも、もとはといえば、深い穴を掘り進めるだけのたしかな筋力を、訓練によって身につけてきたからなのだ。 (村上春樹『走ることについて語るときに僕が語ること』文春文庫) ~


 作家であってさえ、集中力と持続力は才能の「代用品」になる。
 なんとか「しのいで」いくこと。とりあえず訓練していくこと。穴を掘っていくこと。
 それは、隠されているかもしれない自分の才能にたどりつくための「筋力」づくりなのだ。
 毎年何千人もの人間がたどりつくレベルだったら、「本物の才能」など必要ない。
 ただ、確認しておきたいが、みなさんには勉強の才能はあると思う。
 え? と思っただろうか。だったら苦労しないよ、と。そんなことはない。
 勉強の才能とは、理解の早さや、問題を見た瞬間に解法を思いつける洞察力とかではない。
 机に向かってかりかりと字を書き、電車の中で単語をおぼえ、プリントをファイルしていくことができるのは、まちがいなく勉強の才能があることの表れだ。
 それは決して万人に与えられた能力ではないのだから。
 ほんのわずかでもそれがあることさえわかれば、後は「筋力」の問題だ。
 腕立てや腹筋をするように、毎日少しずつ集中して机に向かうことを持続していけばいい。
 それくらいの運動的鍛錬ができなくては、自分のやりたいことには近づけない。

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どういうことか

2016年10月05日 | 日々のあれこれ

 

 「~とはどういうことですか?」「~のはなぜですか?」と日に何回訊くだろう。
 ~とはどういうことか? 50字以内で書きなさい、理由を示しなさい、全文の主旨をふまえて説明しなさい … 。

 細胞のなかにゴミがあるのはどういうことですか?
 ちがうをちげーと発音するのはなぜですか?
 y=f(x)とはどういうことですか?
 Everybody's business is nobody's business.とはどういうことですか?

 どの教科も同じ作業をやっている。
 目の前の現象を、どういう数式で表すのか、化学式で表すのか、別言語で表現するのか … 。
 音楽も「レミファ~」とはどういうことですか、と尋ねられている。
 そう言えば、男祭りのリハーサルのとき、「どういうことですか」がわかってない子に対する植田先生の指導は厳しかった。
 全員で同じ振り付けで踊るとはどういうことか、おもいきり声を出すとはどういうことか、人前で何かをやるとはどういうことか。
 ここに妥協はなかった。
 「どういうことか」とは究極「世界をどう見るか」ということだ。その「見る」の蓄積が「観」にかわっていく。
 それにどう応えるかの手段は人によって異なる。
 見方を教え、表現の手段をいくつか提示するのが自分の仕事で、それを選ぶのは生徒さんだが、まず提示してあげないことには何もはじまらない。あれ? なんかかっこいいこと書いてしまった気がする。

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ちげーとか言う意味じゃね?

2016年10月04日 | 国語のお勉強

 

 文化庁の調査によると、「ら抜き言葉」を使う人が半数を超えたという。
 まじで? 半数?
 おどろいた。いまどき「ら」を入れてる人が半分近くもいるなんて。
 いや、実際にはそんなにいないだろう。アンケートに記入するというよそ行きの行動ゆえに、少しきどって答えた人が多かったにちがいない。もしくはアンケートの対象が特殊な層だったか。
 「昨日の帰り、映画観れたの?」「観れた!」がふつうで、「観られた」と答えたなら、自分に敬語つかっちゃった感がただよってしまう。
 そんな実感とすりあわせることもなく、ただ結果を発表している感覚が、実にお役所ぽい。
 本来は、文法の方が「後付け」の理論なのだから、どっちが正しいとは言えないものだし。
 それよりも、「違う」の意味の「ちげー」という言葉が気になる。若者たちは普通にもちいるが、さすがにおじさんには無理だ。
 日本語は、母音が二つ並んだとき一つの母音になろうとする。
 「ア・ウ」は「オー」に変わるのが日本語の音韻の歴史上の原則だった。
 だから「ちがう」を俗語化するなら「ちごー」って言うべきだ。
 ちなみに石川県では「ちがう」を「ちごー」という。能登が舞台の「まれ」は、なんといっても門脇麦ちゃんの訛りぐあいが素晴らしかった。
 若者の使う「ア・ウ」の「エー」化は、何年前ぐらいからの用例が採取できるのだろう。「ア・イ」を「エー」化する江戸弁の影響下にあるものだろうか。
 学部の言語学のレポート一本分ぐらいのネタになりそうだ。
 「言い方!」「~する意味!」とかの新しい体言止めの用法も研究課題になりそうだな。ノーベル賞には絶対該当しないけど。

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調教作業

2016年10月04日 | 学年だよりなど

 

    学年だより「調教作業」


 たとえば「小説家」という生き方ができる人は、おそらく神から命じられた選ばれし方々だけだ。
 そのような限定的な才能を万人がもっているとは普通考えられない。ブンデスリーガでプレーするサッカー選手しかり、メジャーリーガーしかり。
 作家の村上春樹氏は、「小説家にとって最も重要な資質は何ですか」という質問に、「言うまでもなく才能」だと答える。「文学的才能がまったくなければ、どれだけ熱心に努力しても小説家にはなれない」と。
 そして才能の次に大事なのは何かと問われ、氏は「集中力」そして「持続力」だと言う。


 ~ 自分の持っている限られた才能を、必要な一点に集約して注ぎ込める能力。これがなければ、大事なことは何も達成できない。そしてこの力を有効に用いれば、才能の不足や偏在をある程度補うことができる。
  … 集中力の次に必要なものは持続力だ。一日に三時間か四時間、意識を集中して執筆できたとしても、一週間続けたら疲れ果ててしまいましたというのでは、長い作品は書けない。 (村上春樹『走ることについて語るときに僕が語ること』文春文庫) ~


 近年、この時期になると必ずノーベル文学賞の有力候補と話題になり、今年は最有力と予想されている村上氏。近年の作品『1Q84』は、数百万部を越えるベストセラーとなった。
 そんな村上氏は、「自分には才能が不足している」と語っている。
 こちらからすれば「うそ!」と驚くしかないが、あくまでもご自身の感覚としてはそうであり、その才能の不足分を、「集中力」と「持続力」とで補ってきたと言うのだ。
 「才能」はもってうまれたものだが、「集中力」と「持続力」については、いくらでも向上させていくことができると氏は考えている。


 ~ このような能力(集中力と持続力)はありがたいことに才能の場合とは違って、トレーニングによって後天的に獲得し、その資質を向上させていくことができる。毎日机の前に座り、意識を一点に注ぎ込む訓練を続けていれば、集中力と持続力は自然に身についてくる。これは前に書いた筋肉の調教作業に似ている。日々休まずに書き続け、意識を集中して仕事をすることが、自分という人間にとって必要なことなのだという情報を身体システムに継続して送り込み、しっかりと覚え込ませるわけだ。そして少しずつその限界値を押し上げていく。気づかれない程度にわずかずつ、その目盛りをこっそりと移動させていく。これは日々ジョギングを続けることによって、筋肉を強化し、ランナーとしての体型を作り上げていくのと同じ種類の作業である。刺激し、持続する。刺激し、持続する。この作業にはもちろん我慢が必要である。しかし、それだけの見返りはある。 ~


 集中力や持続力は、筋力を鍛えるのと同様に身体的かつ運動的努力で身につけられるのだ。

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ありがとうございました!!

2016年10月02日 | 演奏会・映画など

 

吹奏楽 秋の男祭り2016

みなさま、ご来場ありがとうございました!!

来年もやっていいですか?(^_^)

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