水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

新共通テスト試行「国語」第三問 文学的文章

2018年12月13日 | 国語のお勉強(小説)

  第三問は、センター試験の第二問に該当するが、小説ではなく詩とエッセイが出題されている。
 小説にはこだわらず文学的素材から、そして複数テキストを出題するよというメッセージが伝わる。
  複数テキストであっても、解き方が変わるわけではない。言葉と言葉、文と文、主役と対役、作者と世間といった対比もしくは類比関係の一つとしてテクスト同士が付け足されるだけだ。評論や実用的文章でも同じだといえる。



  紙


 愛ののこした紙片が
 しらじらしく ありつづけることを
 いぶかる


 書いた ひとりの肉体の
 重さも ぬくみも 体臭も
 いまはないのに


 こんなにも
 もえやすく いのちをもたぬ
 たった一枚の黄ばんだ紙が
 こころより長もちすることの 不思議


 いのち といふ不遜
 一枚の紙よりほろびやすいものが
 何百枚の紙に 書きしるす 不遜


 死のやうに生きれば
 何も失はないですむだらうか
 この紙のやうに 生きれば


 さあ
 ほろびやすい愛のために
 乾杯
 のこされた紙片に
 乾杯
 いのちが
 蒼(あお)ざめそして黄ばむまで
(いのちでないものに近づくまで)
 乾杯!



 詩は、次の対比をつかむ。


  愛・肉体・こころ・いのち・ほろびやすいもの
     ↑
     ↓
  紙・紙片・いのちをもたぬ黄ばんだ紙・いのちでないもの



  永遠の百合


1 あまり生産的とはいえない、さまざまの優雅な手すさびにひたれることは、女性の一つの美点でもあり、(何百年もの涙とひきかえの)特権であるのかもしれない。近ごろはアート・フラワーという分野も颯(さっ)爽(そう)とそれに加わった。
2 去年の夏、私はある古い友だちに、そのような”匂わない“百合の花束をもらった。「秋になったら捨てて頂戴ね」という言葉を添えて。
3 私はびっくりし、そして考えた。これは謙虚か、倣慢か、ただのキザなのか。そんなに百合そっくりのつもりなのか、そうでないことを恥じているのか。人間が自然を真似る時、決して自然を超える自信がないのなら、いったいこの花たちは何なのだろう。心こめてにせものを造る人たちの、ほんものにかなわないといういじらしさと、生理まで似せるつもりの思い上がりと。
4 枯れないものは花ではない。それを知りつつ枯れない花を造るのが、つくるということではないのか。――花そっくりの花も、花より美しい花もあってよい。それに香水をふりかけるもよい。だが造花が造花である限り、たった一つできないのは枯れることだ。そしてまた、たった一つできるのは枯れないことだ。
5 花でない何か。どこかで花を超えるもの。大げさに言うなら、ひと夏の百合を超える永遠の百合。それをめざす時のみ、つくるという、真似るという、不遜な行為は許されるのだ。(と、私はだんだん昂(こう)奮(ふん)してくる。)
6 絵画だって、ことばだってそうだ。一瞬を永遠のなかに定着する作業なのだ。個人の見、嗅いだものをひとつの生きた花とするなら、それはすべての表現にまして在るという重みをもつに決まっている。あえて それを花を超える何かに変える――もどす――ことがたぶん、描くという行為なのだ。そのひそかな夢のためにこそ、私もまた手をこんなにノリだらけにしているのではないか。もし、もしも、ことばによって私の 一瞬を枯れない花にすることができたら!
7 ――ただし、と私はさめる。秋になったら……の発想を、はじめて少し理解する。)「私の」永遠は、たかだかあと三十年――歴史上、私のような古風な感性の絶滅するまでの短い期間――でよい。何故(なぜ)なら、(ああ何という不変の真理!)死なないものはいのちではないのだから。
8 私は百合を捨てなかった。それは造ったものの分までうしろめたく蒼ざめながら、今も死ねないまま、私の部屋に立っている。



 エッセイでは次の対比をおさえる。


  ひと夏の百合・生きた花・一瞬・ほんもの
     ↑
     ↓
  永遠の百合・枯れない花・花を越える何か・にせもの



 造花の意味をいったん否定的にとらえながらも、そうせずにいられないのが人間の性(談志なら業というか)だという。一瞬のいのちを形あるものに残そうとする「ひそかな夢」をもつのが人間で表現欲求だ。
 詩ではそれを、「残された紙片に 乾杯!」と反語的に謳う。
 文学的文章の方で、記述が出題される可能性もあるだろう。



〈問題例〉 第4連の「不遜」、5段落の「不遜」について、次の問いに答えよ。


 ① 「不遜」とほぼ同じ意味の言葉をエッセイの中から五文字で抜き出せ。


 ② 二つの「不遜」は、(ⅰ)具体的に何をどうすることをこう述べているのか、(ⅱ)その行為は共通してどういうことだといえるのか、(ⅲ)そのことを筆者はどう捉えているかを、次の条件に従って説明せよ。


条件
 (1) 二つの文に分けて、全体を百三十字以上、百五十字以内で書くこと(句読点を含む)。
 (2) 一文目には、(ⅰ)の内容を書くこと。
 (3) 二文目は、(ⅱ)・(ⅲ)について書くこと。
 (4) 二文目の中に、①で抜き出した単語を一回用いること。



〈解答例〉


① 思い上がり


② 詩では、人のいのちとともに消えゆく愛を紙に書き記して残そうとすることを、36
  エッセイでは、ひと夏を生きる百合を永遠に残そうと造花することを不遜とよぶ。37
  ともに、一瞬のはかなさを永遠に定着させようとする作業であり、30
  それを思い上がりと言いながらも、16
  人が憧れ求めてしまう表現行為として肯定的にとらえている。28

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新共通テスト試行「国語」第一問 記述式(3)

2018年12月11日 | 国語のお勉強(評論)

問3「ヒトの指差し」と指示語についても考えたまことさんは、次の【資料】を見つけ、傍線部「指さされたものが、話し手が示したいものと同一視できないケース」があることを知った。まことさんは、「話し手が地図上の地点を指さす」行為もこのケースに当てはまることに気付き、【文章Ⅰ】と【文章Ⅱ】に記された「指差し」の特徴から、なぜ「同一視できないケース」でも「話し手が示したいもの」を理解できるのかについての考えをまとめることにした。まことさんは、どのようにまとめたと考えられるか。後の(1)~(4)を満たすように書け。


【資料】
「話し手が何を指しているか」を明確に示すには、「あれ」「これ」「それ」のような指示詞や、「あの」「この」「その」を伴う一般名詞を使って、いわゆる「指さし」のジェスチャーを伴わせるのが有効です。しかし現実には、そうやって〈 指さされたものが、話し手が示したいものと同一視できないケース 〉がいくつかあります。一つには、指さしによって示されたものが、それ自体、文字や写真など「何かを表すもの」である場合です。たとえば、レストランのメニューに載っている料理の名前、あるいは料理の写真を指さして「これにしよう」と言った場合、「これ」で指示されているのは指さしの直接の対象である文字や写真そのものではなく、文字や写真が表している料理です。
             (川添愛『自動人形の城 人工知能の意図理解をめぐる物語』による。)
注1 指示詞――「指示語」のこと。


(1) 二つの文に分けて、全体を八十字以上、百二十字以内で書くこと(句読点を含む)。
(2) 一文目は、「話し手が地図上の地点を指さす」行為が「指さされたものが、話し手が示したいものと同一視できないケース」であることを、【資料】に示されたメニューの例に当てはめて書くこと。
(3) 二文目は、聞き手が「話し手が示したいもの」を理解できる理由について書くこと。ただし、話し手と聞き手が地図の読み方について共通の理解をもっているという前提は書かなくてよい。
(4) 二文目は、「それが理解できるのは」で書き始め、「からである。」という文末で結ぶこと。



〈 資料の読み取り 〉


 指さされたものが、話し手が示したいものと同一視できないケース
   ∥
 指示されたもの=それ自体が「何かを表すもの」である場合 (例)文字・写真


具体例
「これにしよう」(指さす)→レストランのメニューの料理名or写真
         ↓
 「これ」で指示されているもの
        ∥
  文字や写真そのもの  ではなく
   ↑         
   ↓ 
  文字や写真が表している料理


(2)一文目は、「話し手が地図上の地点を指さす」行為が「指さされたものが、話し手が示したいものと同一視できないケース」であることを、【資料】に示されたメニューの例に当てはめて書くこと。


〈 設問の指示と資料とを対応させる 〉


「ここに行きたい」「ここが好きだ」(指さす)→地図上の地点


 「ここ」が指示するもの
        ∥
  地図のその地点そのもの  ではなく
   ↑         
   ↓ 
  地図が示している現実の土地や場所


〈 文章化する 〉


 話し手が地図上の一点を指さした時、指示対象が地図そのものではなく、
 現実のその土地や場所であることを聞き手は理解する。58字



(3)二文目は、聞き手が「話し手が示したいもの」を理解できる理由について書くこと。ただし、話し手と聞き手が地図の読み方について共通の理解をもっているという前提は書かなくてよい。


 理由となる部分を、【文章Ⅰ】【文章Ⅱ】からさがす。


【文章Ⅰ】指差しで指示されている方向を見る
       ∥
     見ている側は、指差した人間の位置に自分の身をおく
       ∥
     「他者の視点に立つ」能力


【文章Ⅱ】対象がもたらす同一のイメージを持つ機会が提供される
       ↓
     特定の対象への関心が共有される素地をはぐくむ


〈 文章化する 〉


 それが理解できるのは、聞き手が無意識のうちに話し手の立場になり、
 共有するイメージにもとづいて会話しているからである。58字



示された解答例


1 話し手が地図上の地点を指すことで、指示されているのは地図そのものではなく、地図が表している場所であることが聞き手には理解できる。それが理解できるのは、他者の視点に立つ能力があるからである。(95)


2 地図上の地点を指差して「ここに行きたい」と言った場合、「ここ」が示しているのは地図の実際の場所である。それが理解できるのは、指さした人間の位置に身を置くことで、指された人間が指さした人間と同一のイメージをもつことが可能になるからである。(119)


3 地図上の地点を指差して「ここに駅がある」と言った場合、「ここ」が示しているのは地図に対応している実際の駅である。それが理解できるのは、指された人間が指さした人間の視点に立つことで、実際に示したいものを想像するからである。(111)



 

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新共通テスト試行「国語」第一問 記述式(2)

2018年12月10日 | 国語のお勉強(評論)

問2「ヒトはどのように言語を習得していくのか」という問題について考えを進めたまことさんは、【文章Ⅰ】の傍線部B「初期の指差しは、言語習得のひとつの重要な要素をなしている」ことについて、【文章Ⅱ】に詳しく述べられていることに気付いた。そこで、【文章Ⅱ】の内容を基に、子どもが「初期の指差し」によって言語を習得しようとする一般的な過程を次のようにノートに整理してみた。その過程が明らかになるように、空欄に当てはまる内容を四十字以内で書け(句読点を含む)。


【文章Ⅱ】
1 単語が意味を持つとは、指示対象が存在することを表している。名詞ならば、意味する事物が外界に存在する。子どもは「リ・ン・ゴ」と教わって、「リ・ン・ゴ」といえるようになっても、音の組み合わせが、くだんの赤い果物と対応していることがわからないと、「ことば」を話せることにはならないのである。
2 だから言語を習得するのに、大人と子どもが対面してコミュニケートするばかりでは、不十分となってくる。一つの語彙を伝えるには、当のことばの指示対象が眼前になくてはならない。つまり指し示すものを面前にして、かつ大人と子どもがともにそれに注意を向けつつ、指示する語を伝達して初めて、ことばの意味が伝わる素地ができ上がるのだ。こういうように、周囲の大人の指示行為に理解が及ぶようになったとき、子どもは一般に、「三項関係が形成されるようになった」と発達上、呼ばれることが多い。
3 ただ、モデルである単語とその指示対象との対応関係の把握は、容易そうでいて実はさほどやさしい作業ではない。子どもの生活世界は、ものにあふれている。ある単語を耳にしたとき、彼らは無数の潜在的な指示対象の候補のなかから、適切な一つを選択しなければならないのである。しかも大人は、英語の先生が生徒にしてみせるように、本を手にとって“This is a book.”と教えてはくれない。
4 おのずと子どもの方から積極的に、「コレナニ」とたどたどしくとも答えを大人に求める必要に迫られることとなる。そこで、子どもが身体的動作による指示行動を行うようになるかどうか、ということが、言語習得の上でたいへん重要な意味を持つこととなる。だから「指さし」の形成が求められることとなる。
5 指さしとは、外界の対象物を定位しつつ腕を伸ばして「あれ」と指し示す行動のことである。地球上のおよそ八割以上の文化内で、人は人さし指を伸展させることで指示行動として用いているといわれている。この事実から、ヒトを他の生物から分かつ特徴の一つは、自分の身のまわりにある、さまざまな事物の存在を他者に伝達しうる点にあると、古くからいわれてきた。また、単に存在を伝えるばかりではない。対象を自己と他者がともに知覚し、対象がもたらす同一のイメージを持つ機会が提供される。結果として個々人の心のなかの認識世界に、何がしか互いに分かち合い、文化と呼べるような現象が芽ばえる素地が与えられる。特定の対象への関心が共有される素地をはぐくむ点で、指さし行動の出現は発達的にエポックメーキングな出来事と考えられるのである。
     (正高信男『子どもはことばをからだで覚える メロディから意味の世界へ』による。)


注1 エポックメーキング――画期的。新たに一つの時代を開くようなさま。



1 単語+指示対象→意味を持つ
     ∥
  リ・ン・ゴ+くだんの赤い果物→話せる


2 子ども
    ↓↑   ことばの指示対象=指し示すもの
  大人


3 子ども
   ある単語を耳にする
    ↓
   無数の指示対象から一つを選択する
 しかも
   大人は、本を手にとって“This is a book.”と教えてはくれない。
    ∥
   指示対象を手にしてそれを表す単語を発してくれない
    ↓
4 「コレナニ」と大人に聞く必要に迫られる
   ↓
  身体的動作による指示行動を行う = 指さし  言語習得の基盤


5 指さし……外界の対象物を定位しつつ腕を伸ばして「あれ」と指し示す行動
               ∥
  ヒトを他の生物から分かつ特徴
       ∥ 
  対象がもたらす同一のイメージが提供
       ∥
  特定の対象への関心が共有される


  指さし行動の出現……発達的にエポックメーキング



   【初期の指差しと言語習得】
  ある単語を耳にする。
     ↓
  子どもは無数の候補の中から適切な一つを選ぶ必要が生じる。
  しかも
  大人は(     )
         ↓
  だから子どもは積極的に指差しをする。



 第3形式段落を、箇条書きにまとめられるかという主旨の問題。


日常生活のなかで
子どもがある単語を耳にする
大人はそれすべてを指さしながら話すわけではない
だから、自分で指さしをしないといけない


という内容だから、


(大人は)指示対象のものを指し示しながら、単語を発するわけではない
(大人は)単語を発しながら、対応するものを一々提示してくれない


とまとめればいい。


【示された解答例】
  1 自分から指示対象を指し示して、単語との対応関係を教えてはくれない。(33)
 2 適切な対象を手にとって「これが単語に対応するものだ」と教えてはくれない。(36)
 3 英語の先生がするように、本を手にとって「これが本だ」と教えてはくれない。(36)



 3はほんとうにいいのかな。「This is a pen.」の話は具体例の一つだから、
 今までの国語の試験なら3と1が同じ評価とは思えないが、新テストは大丈夫みたいだ。

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新共通テスト試行「国語」第一問 記述式(1)

2018年12月09日 | 国語のお勉強(評論)

第1問 次の【文章Ⅰ】と【文章Ⅱ】は、まことさんが「ヒトと言語」についての探究レポートを書くときに参考にしたものである。これらを読んで、後の問い(問1~3)に答えよ。なお、解答の際に「指差し」「指さし」など、【文章Ⅰ】と【文章Ⅱ】で表記の異なる語については、どちらの表記でもよいものとする。


【文章Ⅰ】
1 ヒトは、ほかの人になにかを指し示すために指差し(ポインティング)をする。驚く人もいるかもしれないが、これをするのはヒトだけである。ほかの動物はこうした指差しをしないし、指差しの意味も理解しない。チンパンジーでさえ、野生では、指差しも手指しもすることはない。ただ、人間のもとで飼育されているチンパンジーの場合は、人間の指差しを教え込むと、その機能がわかるようにはなる。とはいえ、教え込んでも、欲しいものに手を伸ばすことはあっても、それ以外でものを指し示すために指差しをすることはほとんどないようだ。
2 ヒトにとってはこれがあまりに簡単な行為なので、ふだんは考えてみることもないのだが、指差しで指示されている方向とは、指差した人間からの方向である。見ている側は、その指差した人間の位置に自分の身をおかないかぎり(あるいはそれを想像しないかぎり)、指されている方向やものは特定できない(これは「他者の視点に立つ」能力とも関係している)。私たちにはこれが簡単にできるが、ほかの動物ではそうではないのだ。
3 ここで、ことばを用いずに、指差しも用いないで、頭や目の向きも用いないで、相手になにかを指し示したり、相手の注意をなにかに向けさせたりする状況を考えてみよう。これはきわめて難しいことがわかる(ほとんど不可能かもしれない)。それとは逆の状況を考えてみよう。ことばのまったく通じない国に行って、相手になにかを頼んだり尋ねたりする状況を考えてみよう。この時には、〈 A指差しが魔法のような力を発揮する 〉はずだ。なんと言っても、指差しはコミュニケーションの基本なのだ。
4 指差しは、ヒトでは生後11ヶ月頃から頻発するようになる。子どもは自分から指差しをし、またおとなが指差したものにも目を向けるようになる。指差しは、自分の関心のあるものに他者の注意を向けさせるための(「注意の共有」を喚起するための)強力な手段となる。これがいかに強力かつ自動的かは、「あっち向いてホイ」という遊びをしてみると、よくわかる。相手の指差した方向に目や顔を向けないようにすることは、頭ではわかっていても、きわめて厳しい。
5 最初の指差しの出現から1ヶ月かそれぐらいすると(1歳前後)、初(注1)語も出始め、この指差しの動作には単語がともなうことが多くなる。おそらく、こうした〈 B初期の指差しは、言語習得のひとつの重要な要素をなしている 〉。
(鈴木光太郎『ヒトの心はどう進化したのか――狩猟採集生活が生んだもの』による。なお、一部表記を改めたところがある。) 
注1 初語――乳児が初めて発する意味のある言葉。



【文章Ⅰ】の読解


1 ヒト……ほかの人になにかを指し示すため指差しをする
   ↑
   ↓
  他の動物……指差しできない


2 指差しで指示されている方向
    ∥
  指差した人間からの方向
    ↓
  見ている側……指差した人間の位置に自分の身をおく
    ∥
  「他者の視点に立つ」能力


3 ことば・指差し・頭や目の向きを用いず
    ↓
  相手になにかを指し示す、注意を向けさせる状況
    ↓
  きわめて難しい


  ことばのまったく通じない国
    ↓
  相手になにかを頼んだり尋ねたりする状況
    ↓
  指差し……魔法のような力を発揮する
    ∥
  指差し……コミュニケーションの基本


4 生後11ヶ月頃 指差し頻発
   自分から指差し・おとなが指差したものに目を向ける
    ∥
  指差し……「注意の共有」を喚起する強力な手段


5 1歳前後 初語
   指差しの動作……単語がともなう
    ↓
 B初期の指差し……言語習得のひとつの重要な要素



問1【文章Ⅰ】の傍線部A「指差しが魔法のような力を発揮する」とは、どういうことか。三十字以内で書け(句読点を含む)。


 どういう意味で「魔法」といえるのかを説明すればいい。


  指差しは、5
  ことばを用いずに、9
  他者に何かを伝えることを可能にする 17
  ということ。6


ぐらいがベストな解答だが、字数オーバーになる。


【示された解答例】
1 ことばを用いなくても意思が伝達できること。(21)
2 指さしによって相手に頼んだり尋ねたりできること。(24)
3 ことばを用いなくても相手に注意を向けさせることができること。(30)



 2は、「魔法」という比喩を説明しきれてないため、従来の問題ならば減点される。
 新共通テストはPISA型に従った採点なので、許容範囲は広くなるということだろう。
 としたらあれば、31、32文字の解答でもPISAでは○になるはずだが、そこは「以内」でチェックするらしい。
 1・3が模範解答なら、個人的には傍線部を「魔法のような力を発揮する」にしてほしい。

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才能×努力

2018年12月07日 | 学年だよりなど

  学年だより「才能×努力」


 「M-1グランプリ2018」(テレビ朝日)を見ながら、今のみなさんは若手の芸人さんみたいなものだなと考えていた。
 といっても、M-1決勝に進めた9組のような売り出し中の芸人さんではない。
 いつか自分もテレビで持ちネタを演ってみたいと夢見ながら、地下ライブのチケットを知り合いに手売りしようとして断られ、ふざけんなと悪態をつきながらバイトに向かい、深夜の公園で相方とネタ合わせをしながら行き詰まってケンカしてしまい、アパートで発泡酒を開けているような、あまたいる芸人の卵たちだ。
 お笑い芸人を目指す若者たちは、山ほどいる。俳優、声優、ミュージシャン、ダンサーしかり。 そして夢を叶えることができるのは、ほんの一握りにすぎない。
 売れるためには才能が必要だ。芸人を目指して10年がんばり、それで芽が出ないなら才能がないのだから諦めた方がいい――、そう考えた島田紳助氏(元漫才コンビ「紳助竜介」)が企画して作り上げたのが「M-1グランプリ」だ。だから当初の出場資格は芸歴10年未満のコンビだった。


 ~ 全て才能やねん。世の中。なんの仕事も。才能ってのはわかりやすく言うと、6段階。0から5まであると思うんすよ。努力も0から5まであんのよ。
 ほんで、才能5の人間が5の努力をしたら5×5=25 で最高点の結果が出ると。
 だからひょっとしたらM-1落ちてる君たちの中にもその5の努力をしてへんのちゃうかと。
 やったつもりでいても間違えた努力をしてるんちゃうかと。1ぐらいの努力しかしてへんかったらひょっとしたら才能が3、4あんねんけど、かけたって3、4にしかならない。1×3=3 やと。 (DVD『紳竜の研究』よしもとミュージックエンタテインメント) ~


 NSC(吉本興業養成所)での講義で、彼はこう語る。


 ~ 才能はオレたちが得たんちゃう、親が与えて神様が与えて、でもがんばれる5を覚えるやろ?  ほんだらこの世界でダメでも絶対成功すんねん。
 なんでか。また違うもんを見つけたときに5をかければいいねん。
 またダメやったら、また新しいことに5をかければええねん。だから成功すんねん。 ~


 5の努力をしたところで、ほとんどの卵たちは芽が出ないままに終わる。
 しかし、5の努力をした経験は体に残る。お笑いの才能は1だったことがわかっても、別の分野では3あるかもしれない。それは5の努力をかけてみて初めてわかる。

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