折節の移り変わるこそ

季節の移ろいの中に、感じたままを一日一日。

想い出

2006年03月06日 21時00分20秒 | 啓蟄
 
私より10歳近く年上のお姉さまでした。
以前お世話になった職場の先輩、花がそれはそれはお好きでした。
家族もみんなお慕いしていました。

私と結構話が合いまして、よくお花についても教えていただきました。
職場での、楽しい雑談、息抜きのひととき。

たぶん半分以上は、上の空で聞いてたんでしょう。
その頃は、花に関しては、全く私の興味の範囲外でした。
もっと真面目に聞いておけばよかった。

映画のこと、音楽のこと、大好きな「裕次郎」のことを、
いつも楽しそうに話されてました。
「太陽にほえろ」は言うに及ばず、
私に見覚えのない映画の情景を仔細に憶えていらして、
それもご自身がまるで裕チャンの恋人のように、
笑いながらうれしそうにお話しされるのが、こちらは愉快でした。

ずっと遠くを見るようなまなざしでした。

  脚の長さが、折節さん(当然実名で)の倍くらいあるのよ

と、きっぱり言われましたし・・・・それを比べられたら、つらいって!

私も、オールド映画ファンでしたので、ヴィヴィアン・リーが、
まるで私の恋人のように対抗したものです。

  ロンドンのウォータールー・ブリッジって、あの「哀愁」の原題なんですが、
  ヴィヴィアン・リーが最も美しかった頃、もうボクはイチコロです・・・・。

  すぐにヴィヴィアン・リーのことばかりね。



音楽も、ショパンのピアノがお好きだったように記憶しています。
私が太鼓腹じゃなかった、太鼓判を押しますから、
ねっ、一度聞いてみて下さいって・・・・。
モーツァルトやらベートーベンやらをいくつかご紹介しました。

その中で、いたくお気に入りだったのが、
ベートーベンの「ピアノ協奏曲第1番ハ長調」。
マルタ・アルゲリッチ=ジュゼッペ・シノーポリ版を
カセットテープにダビングしてお渡ししました。

ベートーベンの28歳のときの作品。
この何にも増して、若々しさ、モーツァルトにも通じる素朴さ、
そして純粋さを私は感じます、いまも。

   ほんと、そのとおり、すべてを洗い流してくれる感じね。

とかなんとか、おっしゃった記憶があります。
きっと今もそうお聴きになってると・・・・。



白い清楚な花のイメージ、これもIさんにつながります。
ほんとにお花が大好きだった人。

この歌も、Iさんのイメージですよって言ったら、今度歌って下さいって。
結局歌わないままでしたが・・・・。

    千曲川

        水の流れに 花びらを

        そっと浮かべて 泣いた人

        忘れな草に 帰らぬ恋 を

        思い出させる 信濃の旅よ


  そうか、忘れな草の苗を一昨日買ったんだ。
  それで、Iさんを思い出した、きっと。
  でも、忘れな草は、紫色。
  清楚な花には違いないけど・・・・ま、いいか。

もうひとつ、白と言えば、この短歌がイメージぴったりだってことも
ずっと昔に、ご本人にお話したことがあります。

   えーっ、これはわたくしのこと?

なんて、このときもうれしそうに微笑んでおられました。



(una poesia di oggi)

  白埴の瓶こそよけれ霧ながら朝はつめたき水くみにけり    長塚 節


職場に置かれていた観葉植物に、毎朝必ず水遣りをされていました。
真っ白な陶磁器のポット、あるいは金属製か、いずれにしろ真っ白なポット。
それがこの歌に結びついておりました。
短歌そのものの中身は、当然ながら、ずいぶん意味合いが違うのですが。



私が転勤しても、これまでどおり、絶対に話に付き合ってくださいよって。
四季折々のお話などを、電子メールに綴っておりました。

そして、このブログのタイトル「をりふしのうつりかはるこそ」
これにまつわるお話が、実は最後になってしまいました。

西の空、夕焼け雲のそのまた向こうのことが、お返事にありました。

もうあれから、3年?
いったい何年になるんでしょう。
今ならば、私もお花の話を止めどなくできますのに・・・・。

  今は亡き人なれば、かばかりのことも忘れがたし   (徒然草 第三十一段)
コメント (12)
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