アキが転校してきて、ぼくの隣の席に座るようになったのは、たまたまそこが生徒がいない席だったからだ。だが、その偶然はぼくを幸福にした。アキはどこか寂しげな翳りがあったが、とても綺麗な子だったのだ。
アキはおとなしいが、勝気で、勉強もよくできた。ぼくは、アキをミセス・
キャンベルの教会のバイブル・クラスに誘った。アキは、ミセス・キャンベ
ルに英作文をとてもほめられた。前に住んでいた炭鉱町のボタ山にも、春に
なると、すみれが咲くという、わかり易い英語の文章だった。
夏に近い頃、アキを裏の丘の散歩に誘った。雑木林を過ぎると、丘の端に出る。そこから町が一望できた。
「この辺は春にはすみれがいっぱい咲くんだよ。来年、ここにすみれを見にこよう」
ぼくたちは草の上に腰を下ろし、町を眺めた。駅から汽車が出てゆくところだった。
夏休みはしばらく会わなかった。ホテルのバイトをしていたというアキは、
日焼けした白い歯で笑った。すごく綺麗だった。
秋の学園祭は、アキもぼくも図書係なので、すみれとシェイクスピアの関係をパネルにして展示した。ミセス・キャンベルは講評のなかで高校生にしては着眼点がいいと書いてくれた。しかしオフェリアの埋葬の場面で「彼女の美しい清らかな身体からすみれが咲きますように」と祈るところで、アキが泣いたことは、パネルを一緒に作ったぼく以外は誰も知らなかったろう。
学園祭が終わって冬に入った頃、卒業を待たず、アキは学校を去った。
アキが町をたつ前の日、ぼくらは丘に登り、町の見える丘の端にいった。雪が町を覆い、屋根に白く雪の積った汽車が駅にとまっていた。
「すみれが見たかったわ」
アキが言った。
「咲いたら押し花にして送るよ」
ぼくはアキと指切りをした。
アキが去ってから、ぼくは約束どおりすみれを送った。アドレスは北のほうの見知らない町の名であった。
その後、ぼくがミセス・キャンベルの故郷への留学から帰ってきたとき、
アキと別れて8年たっていた。ぼくは、すぐに、明日にも会いたいと手紙を
出した。返事はなかなか来なかったが、見知らぬ人の名前からの手紙には、
アキが二年前に亡くなったこと、ぼくへの手紙が託されていることなどが書
かれていた。
ぼくは呆然としてアキの手紙をひろげた。アキは細かい字で英語の時間の思い出、ミセス・キャンベルのこと、丘のすみれが見たかったことなどを書いたあとで、こう続けていた。
「私ね、父に死なれたり、病気になったり、運が悪かったけど、あなたに会えたことだけは運がよかったのよ。それ一つだけで幸せよ。いい方を奥さんにしてね。でも、私のこと忘れないで。すみれが咲いたら思い出して」
そして手紙のなかにいつかの押し花が入っていた。
辻邦生 「花のレクイエム」

◇ 3、4年前、読んで泣けました。
なぜかはよくわからないのですが、ただ涙が勝手に、男なのに。
今も心が揺さぶられます、この話・・・・。
with F.Chopin's Waltz No.9 in A flat major,op.69 No.1 "L'adieu"