折節の移り変わるこそ

季節の移ろいの中に、感じたままを一日一日。

昨日・今日・明日Ⅱ

2006年03月28日 21時43分01秒 | 春分
  
昨日の今日は、もう昨日、昨日の明日が今日・・・・。

  ~ 昨日、一昨日の花たちの様子を添えて ~

けさ、この季節にしては抜けるような青空の下、乗り換えのバス待ちをしてました。

毎日は、こうして順送り、確実に過去が積み上げられていって、希望の明日も今日に、
そして次はもう過去の一日に。



ブログのコメントのお返事をさせていただきながら、ふと思い出しました、
私のつらかった頃のこと・・・・また、つぶやいてしまいます。

その頃、ぼんやりテレビで見てましたのが、アニメ「牧場の少女カトリ」

フィンランドが舞台でしたか、確か日曜日の夜7時30分から放映されてました。
シベリウスの交響詩「フィンランディア」なんかが挿入曲になってました。
今度久しぶりに聴いてみよう、森と湖のすがすがしいイメージ。
CD、どっかにあったかなあ・・・・・。



その頃の私は、何をやるにしても自信喪失の時代。
何でもできたのに、何にもできなくなったことがショックで・・・・。

スパイラル状に落ちて行く、こわかった、それすら感じないこともあったり。
あげくの果ては、誰にも会えなくなったし、家族との会話すらできなくなったり。

 ※ いまの私からは、私をご存知の方はどなたも想像すらできないはずです。
   いまは、こんなに、アッパラパーッ!!



そんなとき見た~というか、テレビが勝手にこっちを向いてました~少女向けアニメ。
主人公のカトリが、様々な苦難にも負けず、一つひとつ乗り越えていく、感動のドラマ。

底抜けに明るくて、どこまでも前向きで・・・・。
どんなに苦しくても悲しくても、たった一つでも良かったと思えることがあれば、
きっと耐えることができる。
そんな筋だったと思います。

だから、場面のところどころで出てきたせりふが、心にいつまでも残っています。

    「私はいつも良かった探しをするの」



前向きな姿勢を忘れずに、主体的に動いてさえいれば、そして、最も大事なこと、
できないときはゆっくり休む「勇気」を持ってさえいれば、どんな状態であっても、
最低1日に1回は、そういう「良かった」に出会うことができます。
こんな私でも、いつもそうなんです。

良かったと思えることが、きっと明日には待ってると思うから、
今日もまあなんとか歩いて行けると・・・・。



ブログ始めて「良かった」と思うのも、その「良かった探し」ができるからです。
そうした気持ちで、想いを込めて正直に発信したら、
必ず良かったと思えることがあります。



そんなことを思いながら、ふと何年かぶりに(またも!)、こんな歌が浮かんできて、
少しうろたえました。
もうバスがそこまで来てるのに、こみ上げてきそうになったから・・・・
若者じゃないのに・・・・ねぇ。



(una poesia di oggi)

         若者たち

   君の行く道は 果てしなく遠い
   だのになぜ 歯をくいしばり
   君は行くのか
   そんなにしてまで

   君のあの人は 今はもういない
   だのになぜ なにを探して
   君は行くのか
   あてもないのに

   君の行く道は 希望へと続く
   空にまた 陽がのぼるとき
   若者はまた
   歩きはじめる


♪ The Beatles "Here Comes The Sun" これも歌ってましたが・・・・
  マイク持ったら離さない状態、すでに。

コメント (24)
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