折節の移り変わるこそ

季節の移ろいの中に、感じたままを一日一日。

雨の宇佐神宮

2006年03月13日 21時36分19秒 | 啓蟄

昨日の日曜日、大分に住んでいながら、初めて宇佐神宮を訪れました。
車で約1時間半、そう強くはなかったですが、冷たい雨の降る中の参拝となりました。

たいへん広くて、一言、たいそうりっぱな神宮だったという印象でした。
3月の日曜日なので、貸切バスの団体客も多く、私たちはできるだけ離れて歩きました。

家内は、美しいを何度も口にして、私は心の中で同じ言葉(きれかね~)を連発しておりました。
ニ礼四拍一礼、あまり押し合い圧し合いにはならず、落ち着いて参ることができました。
木立も玉砂利の道も石畳も、すべて春の雨に濡れて、静かに佇んでおりました。



天気のいい朝なら空気がぴんと張り詰めて、身も心ももっと「しゃきっと」なるよ、とは家内。
これ以上しゃきっとなりたい願望も、今のところ特にありませんので、聞き流していました。

うちの「あんこ娘」は、おみくじを引いて、木の枝に・・・・どうだったんだろう。
こちらも、今持っているお正月の大吉券は、年内いっぱい有効だと思ってますので、
ここで好き好んで等級を下げることはないと、これも知らんふりを決め込みました。


(これは何?と尋ねられて ・・・・ 百万両!知るわけないでしょ)

そして、ご存知!梅の花が、あちらこちらに咲いていました。



雨が降る中の佇まいって、どうしてこんなにも静かで柔らかいものなんでしょうか。



なかなか直覚的には、梅の香りがもう一つわからない無粋な私でも、
さすがにこの白梅の芳しさには、恐れ入谷の鬼子母神(!?)でした。





(due poesie di oggi)

     春の夜のやみはあやなし梅の花色こそ見えね香やはかくるる        

     やみがくれ岩間を分けて行水の声さへ花の香にぞしみける
              
                              凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)

遅い昼食と少しばかりのおみやげを手に、神宮をあとにしました。

雨がいつの間にか上がって、冷たい北風が吹き抜ける中、
目の前の視界の何箇所かだけ、寒さに負けてしまいそうな日が差していました。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする