今日は、卒業記念パーティ。
場所は名古屋駅の高層ビルのホテルアソシア。
学生たちはめいっぱい着飾ってくるので、私も年に一度の礼装で応じる。
若い時にバブルを経験した身なので、そのあたりの出で立ちには抵抗ない。
スタンドカラーシャツにボウタイ・カマーバンドをつけ、タキシードにポケットチーフをあしらう。
ふふ、我ながらキマったと満足し、パーティ会場についたら、後悔。
だってホテルの従業員に溶け込んじゃうんだもん。
以前(東京時代)、やはり卒業パーティの時、ホテルのエレベータを待っていたら、知らないおばさんが近づいてきて、「新館へはどう行ったらいいんですか?」ときかれたっけ。
それ以来、オーソドックスな礼装ではなく、あえてどこかを崩すようにしているが、それでも副支配人って感じになってるかも。
パーティは始まったが、同じ学科の男性教員がほかに来ない(女性教員はいる)。
他学科の教員になんで来ないのか尋ねたら、「だって心理やる人って、こういう大勢の中って苦手でしょう」。
なるほど、確かに自分もその部類だが、巣立っていく卒業生たちを見送る側がいないのも問題だろう(そういう自分も大学院の卒業記念パーティは欠席)。
もっとも、出席した教員は、ただ学生たちの記念撮影に加わるしかする事がなく、たのしくおしゃべりするわけでもない。
でも最後に壇上で花束を贈呈され、一言送る言葉を求められた。
「四年間の一番の収穫は、今ここに一緒にいる友だちだよ」と言っておいた。
自分が大学を卒業した時の記念パーティは、(陸の孤島だったので)なんと大学の学食でやった。
しかも自分は4月からは大学院であと5年ここにいることが決まっていたので、卒業は単なる折り返し点にすぎない。
それに仲のいい友人たちもこぞって院進学だったから、「別れ」の実感がなく、ちっとも感慨がわかなかった。
でも、パーティの風景は今でもありありと思い浮かぶ。
卒業記念パーティって結局は「別れ」の儀式だから、パーティそのものは陽気でも、終わった後は、寂しさがこみあげてくる。
笑顔で「卒業おめでとう」とは言うものの、少なくとも送る側にとっては、もう顔をみることがない、永遠の別れなんだから。
場所は名古屋駅の高層ビルのホテルアソシア。
学生たちはめいっぱい着飾ってくるので、私も年に一度の礼装で応じる。
若い時にバブルを経験した身なので、そのあたりの出で立ちには抵抗ない。
スタンドカラーシャツにボウタイ・カマーバンドをつけ、タキシードにポケットチーフをあしらう。
ふふ、我ながらキマったと満足し、パーティ会場についたら、後悔。
だってホテルの従業員に溶け込んじゃうんだもん。
以前(東京時代)、やはり卒業パーティの時、ホテルのエレベータを待っていたら、知らないおばさんが近づいてきて、「新館へはどう行ったらいいんですか?」ときかれたっけ。
それ以来、オーソドックスな礼装ではなく、あえてどこかを崩すようにしているが、それでも副支配人って感じになってるかも。
パーティは始まったが、同じ学科の男性教員がほかに来ない(女性教員はいる)。
他学科の教員になんで来ないのか尋ねたら、「だって心理やる人って、こういう大勢の中って苦手でしょう」。
なるほど、確かに自分もその部類だが、巣立っていく卒業生たちを見送る側がいないのも問題だろう(そういう自分も大学院の卒業記念パーティは欠席)。
もっとも、出席した教員は、ただ学生たちの記念撮影に加わるしかする事がなく、たのしくおしゃべりするわけでもない。
でも最後に壇上で花束を贈呈され、一言送る言葉を求められた。
「四年間の一番の収穫は、今ここに一緒にいる友だちだよ」と言っておいた。
自分が大学を卒業した時の記念パーティは、(陸の孤島だったので)なんと大学の学食でやった。
しかも自分は4月からは大学院であと5年ここにいることが決まっていたので、卒業は単なる折り返し点にすぎない。
それに仲のいい友人たちもこぞって院進学だったから、「別れ」の実感がなく、ちっとも感慨がわかなかった。
でも、パーティの風景は今でもありありと思い浮かぶ。
卒業記念パーティって結局は「別れ」の儀式だから、パーティそのものは陽気でも、終わった後は、寂しさがこみあげてくる。
笑顔で「卒業おめでとう」とは言うものの、少なくとも送る側にとっては、もう顔をみることがない、永遠の別れなんだから。