今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

伊豆長岡から韮山まで

2008年03月21日 | 
伊豆長岡から韮山にかけては、北条氏の本拠地で、頼朝挙兵の頃の史跡がある。
それに室町末期の堀越公方・北条早雲関係、幕末の名代官江川太郎左衛門関係の史跡が重なっている。
長岡駅で自転車をレンタルすれば、これらを一気に廻れるが、そうすると今後、長岡に湯治に来ても、時間をつぶす所がなくなるので、小出しに見ていく事にする。

まず今回は、鎌倉時代を生んだ北条氏関係。
長岡温泉から狩野川の堤防に出て、富士はもちろん、まだ雪が残る箱根と天城を左右に見ながら、千歳橋を渡って北に進む。

国道136号線に平行した住宅地の裏道を通って、まず最初の寺は曹洞宗信光寺。
ここには清和源氏で鎌倉初期の甲斐武田の武田信光の供養塔(五輪塔)がある。
信光は小笠原長清らとともに「弓馬四天王」と言われたという。

信光寺前の細い道を北上すると、広い道に交差し、その道を左折すると天台宗願成就院。
北条時政の開基といい、跡地には南塔跡の土盛りがある。
今の願成就院は、荒れ果てた寺を、浅草の人たちが講を組んでバックアップして、再興したもので、
本堂には重要文化財の阿弥陀如来がある(庫裡に頼めば、300円で宝物殿とともに拝観可能だが、入り口から見えるし、なんかめんどうなのでやめた)。
ここには北条時政の墓があり、あと北条早雲に攻め殺された最後の堀越公方・茶々丸の墓がある。
境内には現代人を彫刻にした羅漢像が並んで、独特の雰囲気を出している。

この寺の奥、守山の中腹に守山八幡神社があり、頼朝が挙兵した地となっている。
長い石段を上ると、江戸時代の社殿が残っている。
左右が杉林の石段から見下ろす舞殿が、質素だが気品ある鎌倉武士の雰囲気を感じさせる(写真)。

さらに北上し、光照寺は拝観不可なので素通りし、その先に北条氏の末裔が住職をしている浄土真宗成福寺がある。
ここには北条時宗一族の供養塔(五輪塔)がある。

このルート最北の長徳寺の門前で、地元野菜の無人スタンドがあったので、
新鮮野菜を実家のみやげにと、シイタケと青菜の一種(洋名で名を忘れた)を買った(名を忘れた菜は、初めて目にしたのだが、今日の夕食時に母がオリーブオイル+塩コショウで炒めた。皿に山盛りだったが、おいしくて空になった)

国道136号線を渡って、東に進めば韮山駅。
韮山で昼飯をとろうと思ったが、駅前にはその手の店がないので、
三島に出て、駅そばでも食べようと思ったが、
駅前を歩いていたら気が変って、期間限定発売の駅弁「アジ寿司」を買って、新幹線内で食べた。