今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

「劒岳点の記」を観た

2009年06月30日 | 作品・作家評

平日の昼を利用して公開中の映画「劒岳(つるぎ)点の記」を観た。
ほんと、映画館に映画を観に行くって久しぶり
(言い換えれば、私を映画館に向わせた久々の映画)。

原作は、山岳小説家の新田次郎(晩年は歴史小説に傾く)。
私は中学の時登山が好きになって以来、
氏の作品はほとんど読んでいる
(最初に読んだのが『孤高の人』)。
なのでもちろん、原作はとうの昔に読んでいる。

氏の山岳小説で映画化されたのは、
「富士山頂」「八甲田山」「聖職の碑」に続いてこれで4作目
(他に「アラスカ物語」など。あと「武田信玄」がNHK大河に)。
その中で、”ひたすら山頂を目指す”という純粋な意味での山岳小説の映画化は
今回が初めて(他は、極地観測と山岳遭難)。

舞台となる劒岳(2999m)は、私にとっては、
大学山岳部の時の岩登り合宿の地で、
その時、北・東・南面の壁を登った。
映画に出てくる、雪渓から頂に達する北陵ルートも通った。

その時を思い出しながら、映画の中で周囲の山の展望を楽しんだ
(ストーリーは既知なので)。
当然、日本最大の岩峰・劒岳自身が隠れた主役。

映画で描かれた人間的な部分といえば、
業務命令で山に行く者、
山を生活の糧にする者、
山をスポーツとして楽しむ日本最初の者、
山を信仰の対象にする者、
これら4者のかかわり合い(異質性と共通性)かな。
その人間的テーマ(”仲間”)がよかったのか、
映画が終わったとき、客席から拍手がわいた。

新田次郎は日本登山史上の重要な記録・事件を小説化して再生した功績者だ。
次に映画化してほしいのは、
真の初登頂を描いた『槍ケ岳開山』あたりか
(山小屋が邪魔でロケがむずかしいか)。
壮絶さでいえば、
宝永噴火の事後処理を描いた『怒る富士』、
富士講の身禄の入定を描いた『富士に死す』もいい。

そうえいば、今日は富士山山開きの前日。
縁日となる駒込富士神社に立ち寄った。

追記:「富士山頂」が7月4日にテレビ放映された。
翌日の石原裕次郎の忌日を記念してとか。
やはり”裕次郎映画”っていう感じだった。