私は、行動経済学的には典型的な”愚者”だ。
個人的な感情に縛られて、的確・冷静な経済行動ができず、
みすみす、いや自ら率先して損をする。
これを「愚者」と言わずなんと言おう。
銀行の担当者から呼び出されて、自分の資産運用の相談を受けた。
一年前、どんどん目減りしていた投信などの金融商品をすべて解約して、
リターンが最小の定期や普通預金に置き換えた。
リスクの波をもろにかぶって辟易したからだ。
ところが、それらを今でも続けていれば、かなりプラスになっていることが示された。
景気の動向を先取りするのが賢者の行動なら、
後追いするのが愚者。
すなわち、後退局面になっているのに、まだ大丈夫とリスクをとり、
その結果大損をする。
そしてそれに嫌気が差してリスク回避をしようとする頃、
実は回復局面になるのに、みすみすリターンを放棄する。
これがまさに私の行動パターン。
異常な円高が続いていた時、今のうちに外貨を買った方がいいことは頭ではわかっていた。
でも、その円高で過去の外貨預金がどんどん目減りしている最中だったので、
外貨を買うのが”嫌気”になっていた。
嫌な思いをするとそれに対する魅力がなくなる、というのは当然の心理なのだが、
その反応は、経済行動では不合理なのだ。
リーマンショックの時も、すばやく解約していれば損失は最小だったのに、
すばやい下げ止まりそして反動的回復を期待して行動できなかった。
もちろん、今はダウ平均株価は完全に回復している。
私はそれを待ちきれず、大損が確定した所で切った。
今後、私が強気に出てリターンを狙う(=リスクを取る)気になるのは、
どうせまた景気の頂きを過ぎた頃だろう。
思い返せば、バブルの頃には定職がない貧乏で、
株はおろか、年利5%の定額預金すら預ける資金がない状態だった。
そして、貯金する余裕ができてからは、ずっと異常な低金利。
景気は”気”というが、経済の気と私個人の気のズレようはどうにかならないものか。
どうみても、金持ちになれない運命なようだ。
個人的な感情に縛られて、的確・冷静な経済行動ができず、
みすみす、いや自ら率先して損をする。
これを「愚者」と言わずなんと言おう。
銀行の担当者から呼び出されて、自分の資産運用の相談を受けた。
一年前、どんどん目減りしていた投信などの金融商品をすべて解約して、
リターンが最小の定期や普通預金に置き換えた。
リスクの波をもろにかぶって辟易したからだ。
ところが、それらを今でも続けていれば、かなりプラスになっていることが示された。
景気の動向を先取りするのが賢者の行動なら、
後追いするのが愚者。
すなわち、後退局面になっているのに、まだ大丈夫とリスクをとり、
その結果大損をする。
そしてそれに嫌気が差してリスク回避をしようとする頃、
実は回復局面になるのに、みすみすリターンを放棄する。
これがまさに私の行動パターン。
異常な円高が続いていた時、今のうちに外貨を買った方がいいことは頭ではわかっていた。
でも、その円高で過去の外貨預金がどんどん目減りしている最中だったので、
外貨を買うのが”嫌気”になっていた。
嫌な思いをするとそれに対する魅力がなくなる、というのは当然の心理なのだが、
その反応は、経済行動では不合理なのだ。
リーマンショックの時も、すばやく解約していれば損失は最小だったのに、
すばやい下げ止まりそして反動的回復を期待して行動できなかった。
もちろん、今はダウ平均株価は完全に回復している。
私はそれを待ちきれず、大損が確定した所で切った。
今後、私が強気に出てリターンを狙う(=リスクを取る)気になるのは、
どうせまた景気の頂きを過ぎた頃だろう。
思い返せば、バブルの頃には定職がない貧乏で、
株はおろか、年利5%の定額預金すら預ける資金がない状態だった。
そして、貯金する余裕ができてからは、ずっと異常な低金利。
景気は”気”というが、経済の気と私個人の気のズレようはどうにかならないものか。
どうみても、金持ちになれない運命なようだ。