今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

五日市を歩く

2016年05月16日 | 東京周辺

多摩川の第一の支流である秋川(アキガワ)が流れる山峡の町・五日市(イツカイチ)は、
多摩川沿いの青梅とともに、奥多摩の山地と関東平野との境目にできた町であり、
JRの五日市線がそれまで開けた秋留台地を走っていて終点・武蔵五日市に達すると、
「ここが東京都か!?」と疑ってしまう山中の町の風景になる。

五日市の町は、青梅ほどには開けておらず、かといって氷川(青梅線の終点「奥多摩」駅の町)ほど山奥でない、
いわば鄙び具合が丁度よい程度のたたずまい。

そもそも私が山好きになった中学一年の最初の奥多摩行きは、
同級生と12月に行った払沢(ホッサワ)の滝と神戸(カノト)岩であり(いずれも五日市の奥の檜原村)、
最初の登山は翌年3月の雪が残る金毘羅尾根から日出山までの道で、いずれも降り立った駅が五日市だった。
当時は山手線の駅の乗車券売り場で「五日市まで」と言っても(昔は乗車券をこうやって買った)、駅員がその名を知らなかった(駅の正式名称は「武蔵五日市」)。
都心部から五日市に行く人は、少数の山好きか釣好きに限られていたようだ(単線で3両編成)。

その後、中学3年間を通し奥多摩に通い続けて、
大岳山、御前山、浅間尾根など五日市の奥の秋川を取り囲む山々が好きになった。
だから高校も、これらの山々が毎日見渡せる秋留台地にある秋川高校をあえて選んだのである。
場所で選んだのであり、全寮制が理由ではなかった。
すなわち、私にとっての五日市は、高校の思い出の延長にあるのではなく、むしろそれ以前の原因側にあるのだ。

さて秋留台地の高校の跡地を見て、秋川渓谷の瀬音の湯に泊まり、夜に『五日市物語』(2011年公開)をDVDで観た。
五日市を訪れる人には、ぜひこの『五日市物語』の鑑賞をお勧めする。
本質は地元アピールの映画だけに、五日市のあちこちの名所や名物が、本編のストーリーにからめて紹介されている。
映画に出てきた場所には「ロケ地」の看板があり、またロケ地巡りMAPも観光案内所などに置かれている。
その映画によれば、「ウザい」は五日市弁だったという(ついでに「ダサい」は山ひとつ向こうの八王子弁だったと記憶している)。
実際、かなり昔の私が秋留台地の高校生だった頃「ダサい、ウザい」を日常的に使っていた(当時の最先端!)。 

翌朝、宿をチェックアウトして、今日は久々の五日市を味わおう。
まず、瀬音の湯から十里木を経由して、五日市の風景の象徴、町を上から見下ろしている戸倉城山(434m)に登った。
ここは地元の国衆の城址だという。
五日市周辺の山には中学~高校の時、すべて足跡を残しており、その時以来の再訪。
標高は低いが急峻な山なので、一汗かいて開けた山頂に達する。
山頂からは五日市の町並みが眼下に一望で、その向こうになんとわが母校のメタセコイアの行列が肉眼で確認できる(写真はズーム撮影)。
廃校跡の誰もいない敷地にあるメタセコイアは、それほどに高く成長してしまったのだ。

西戸倉への城の大手道をくだって檜原街道を五日市に進む。
大型車の往来する道を避けるため、小中野から北に平行する小道を進む。
宅地内の細い道を私の様なよそ者風情が歩いていると、畑にいたおじさんと目が合う。
挨拶をすると、なぜこの道を歩いているか尋ねてきたので、
この道の方が車が来ないので歩きやすいと言い訳すると、納得していた。
こういう何気ない会話が地元の人とできるのも楽しいものだ。

「五日市郷土館」(幸い月曜が休館でない)に立寄り、江戸末期の立派な民家を見学し、
また本館には「五日市憲法草案」の全文が展示してある。
明治憲法の候補としてこの五日市の住民らで作られたもので、
戦後の憲法に先んじて国民の権利が丁寧に主張されているのが特徴。
もちろん、明治憲法には反映されなかったが、五日市民の誇りになっている。
郷土館で民話を集めた本『五日市物語』を買った。

郷土館に隣接する都立五日市高校の正門に向かった。
この高校はわが都立秋川高校と兄弟校(わが校は男子高なので)とされているものの、
実は私が在校時にはまったく交流がなかった。
我が校が廃校になってから、我が校の校旗などを保管してくれているのがここなのだ。
昨年の開校50周年行事には、五日市高校の生徒が地元の太鼓を披露してくれた。
それらの厚意に感謝を示したく、正門前から校舎に向かって頭を下げた。

五日市の鎮守・阿伎留神社に訪れないわけにはいかない。
わが高校は五日市の東の秋留台地にあり、秋川でこの神社とつながっている。
今では、秋留台地の「秋川市」が五日市町と合併して「あきる野市」になっている。
その名の元であり、今では「あきる野」の総鎮守なのだ(写真)。
社は秋川に向かって舌状に伸びた台地上にある。
この台地からも我が校跡の並木が見えた。 

かように五日市を堪能して、武蔵五日市駅に到着。
山に囲まれたここから、1時間半も電車にのれば文京区の自宅に帰れる。

次回は映画に出てきた町内の老舗旅館「油屋」にでも泊ってみたい。


瀬音の湯に泊る

2016年05月16日 | 温泉

東京の奥庭・秋川渓谷に「瀬音(セオト)の湯」という新しい温泉宿がある。
宿はコテージ形式で別荘気分が味わえる。
しかも一人客もOK。
いつか泊ってみたいと思っていたが、いかんせん東京都内なのであえて泊るには及ばない距離にある。

そこに、高校同期会の宿泊企画。
企画に参加できなかったものの、一日遅れで参加したつもりになって一人で宿泊した。
一泊朝食付きで11000円。
夕食は施設のレストランか、コテージ内にキッチン(食器と電子レンジも)があるので自前(or コンビニ弁当)でも可。

バスで行くには、武蔵五日市駅から西東京バスで「十里木」で下車(直通バスもあるが本数が少ない)。
長い吊り橋の「石舟橋」で秋川を渡って少し林の中を歩いて到着。

コテージのベランダは秋川側に面しており、 河原に降りていける。
降り立った所は”The秋川渓谷”という風景(写真)。
水の透明さに驚く。 

さっそく湯に入る。
日曜の午後なので混んでいたが、宿泊客は離れたロッカーを与えられる。
内湯は源泉かけ流し、露天は塩素循環と書いてある。
泉質は「アルカリ単純泉」 なので、成分的に薄いわけだが、そのアルカリ性がpH10と半端ない(源泉での値)。
内湯を計測してみるとpH9.3。
この値はすごい方だ。
実際アルカリ泉特有のぬるっとした軟らかさを感じる。 

内湯の酸化還元電位を測ると、-105mVと完全な「還元水」
かけ流しの源泉だから新鮮なわけだが、電位が−側に傾くのはアルカリ性が強いためでもある。

温泉の濃さの指標である全溶存量は473ppmなので、単純泉としては中程度で、入浴剤よりはずっと濃い。

ちなみに、脱衣場でいつものように計測値を記録しようとiPadを開いたら、係の人に使用禁止を言われた、
東海地方では無いことなので戸惑った。
どうやら首都圏の日帰り温泉では盗撮行為があるようで、カメラ・通信機能付きのタブレットは使用禁止なのだ。
今後は紙でメモするか。 

夜、一人酒宴のお相手は持参したDVDビデオ 『五日市物語』(2011年公開)。
ここ瀬音の湯もコテージ、レストラン、河原、そして石舟橋がロケ地になっている。 
映画の中でも遠藤久美子演じる主人公がたまたま空きがあったということでコテージに一人で泊った。 
メゾネットのコテージって居住性はいいが、一人だと空間の中にぽつんといて寂しさが身にしみる。
ここは仲間やカップルに向いている。 

翌朝、浴場の営業前なので、コテージ内のバスタブに湯を浸し、備え付けの「瀬音の湯」の入浴剤を入れる。
せせらぎを聴きながらの朝風呂はやはり気持ちいい。
レストランに行き、宿泊客だけの朝食。
実際の宿泊客は友人同士・カップルばかりで、やはりコテージに一人客は不釣り合いか。 

ロケーションそのものは素晴らしい(写真は宿に向かう途中の石舟橋)。

といっても派手な風景はなく、清流と山の木々があるだけだが、その素朴な自然美を素直に味わえる(私はもともと奥多摩が好きだし)。
同じ東京都内にこんな素晴らしいロケーションの温泉宿ができたことはうれしい。
今までは日帰りでせわしなく素通りした風景を湯に浸かりながら味わえるのだ。
何もあえて遠方の他県に行く必要を感じなくなるほどだ。