今は亡き「都立秋川(あきかわ)高校」の残り火を消すまいとする頼もしい同期会幹事がイベントを企画してくれた。
皆で高校跡地を訪問し、さらに秋川(あきがわ)の河畔でバーベキューをし、上流の秋川渓谷の温泉宿で宿泊し、翌日はもっと上流の集落で同期が住職している禅寺で坐禅するというもの。
すばらしい企画だが、都合で当日には行けない。
元々その温泉宿に泊ってみたかったこともあって、1日遅れで、一人で挙行した(といっても跡地と宿のみ)。
まずはJR五日市線の「秋川(あきがわ)」駅で降りて、高校跡地を訪れる。
敷地はそのままにされ、周囲を柵で囲まれ、立ち入り禁止となって草が生い茂るままに放置されている。
校舎や寮などの建物はすでになく、唯一現存しているのは、メインストリート沿いの大きく成長したメタセコイアの並木(写真)。
その並木も無駄に成長しているようにしか見えない。
敷地の広大な周囲を一周してみたら、敷地の西半分にできた「都立あきる野学園 」(養護学校)がわが秋川高校の卒業証明書の発行を請け負っているという表示板があった(写真)。
受付は学校が開いている平日のみだが、あえて今は亡き高校の卒業証明書が欲しくなった。
こうして学校敷地を一周して、この高校跡地を訪れるたびに、心の中で泣いている自分がいる。
この気持ちは何なのか。
単なる「懐かしさ」では説明しきれない。
そこには、ほのぼのとしたあるいは感動的な過去との再会とは違う、心の痛みがある。
自分が通った小学校も中学校も今の家の近所にあり、在学当時の建物さえ残っている。
脇を通っても懐かしさすら感じない。
大学は遠方だが、やはり在学当時の建物が残っている。
だが行く気がおきない。
高校だけが違う気持ちになる。
その高校が廃校になり、跡地だけがかろうじて残っているためであるのは確かだ。
心の中で泣いているのも、その無惨な姿がそうさせているといえる。
だが、それだけではないと思う。
その高校時代の想いが特別だった。
親元を離れた全寮制で厳しい生活の辛さ。
生活を共にした同級生たちとの濃いつながり。
いつも見守ってくれた奥多摩の山々。
その時の思いが切なく蘇ってくる。
「懐かしさ」 を「望郷の念」と言い換えるなら、
”ここ”に在学当時の望郷の対象は、”ここ”ではない家族のいる自宅であった。
親しい故郷から遠い見知らぬ土地にいる違和感こそが当時の”ここ”での思い。
そして今感じる望郷の対象は、3年間を過した”ここ”。
他所では体験できなかった”ここ”だけの思い出。
”ここ”に居た時の辛さが蘇り、その蘇った思いを結びつける”ここ”が跡地になってしまったことが新たに辛くなる。
私が心の中で泣いているのは、望郷の念を噛みしめていた場所を失ったという二重の故郷喪失のためであるようだ。
これだけは当時と変わらぬ奥多摩の山並みを見ている時も、心の中で泣いしまうのもそのためだ。
このような感情を抱かせる所は、私にとってここしかない。