今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

宇都宮餃子を食べてみた

2016年12月11日 | 生活

今や「餃子の街」と化した宇都宮だが、住んでいない者には、どこの店にいけばいいかわからない。
うれしいことに「来らっせ」の東武宇都宮店では、12の店の餃子を1つずつ味わえる(680円)。
私は、餃子に飯も麺もいらない。
そういう食べ方ができるのもうれしい。

さて、12個の餃子を1個1個、ビールをちびちびやりながら、卓上にあった宇都宮中の餃子店の案内本を見ながら食べた(写真:前列左から、みんみん、味一番、玉ちゃん、飯城園、新三、ねぎにら餃子。後列左から、幸楽、餃子館、餃子会館、高橋餃子、悟空、雄都水産)。

 ちなみに、タレも宇都宮餃子用のタレを使っている(ご覧の通りラー油が多め)。
正直、(微妙な差はあるが)大きな差はわからない。
いずれも普通の餃子の範囲内だった。
実際、「宇都宮餃子」に対する観光客あるいは土産をもらった反応はこのようなもの。

そもそも宇都宮に餃子の店が多いのは、市民が餃子好きであるためで、何も観光用の特化品として意図的に開発されたものではない。
だから、宇都宮餃子っていっても、それは特別なものではなく、日常生活で食べるただの餃子だ。

それで悪いか。
餃子は、餃子であるだけでおいしいのだ。
実際、変わり種餃子や、一口餃子、あるいはジャンボ餃子などあえて趣向を変えたものは、私の舌では、いずれも、バランスが悪く、ただの餃子に負けた。
すなわち餡の構成、皮の厚さと大きさ、皮と餡の関係、裏面の焼き具合と表面の蒸し具合、それらが完成の域に達したのが(ただの)餃子なのだ。
ただの餃子が最高の餃子なのだ。
実際、「浜松餃子」もただの餃子だ(餃子の他にもやしがついているだけ)。

かように私も餃子は大好きなのだが、なぜか日常的な食べ物に近づけていない。
餃子は特別に付ける一品という位置にあるためだ(餃子が”常に付ける一品”になれるのは「王将」においてだけ)。 

店は地元の人たちで満席で、家族連れは餃子を大皿で注文し、取り分けている。
かような餃子パーティはわが家では手作りで年に一度程度。 

私にとって、思い立ったらいつでも餃子を食べられる宇都宮市民は幸せ者だ(有名店でも5個250円程度)。
どこでも「あんかけスパ」が食べられる名古屋市民が幸せ者なように。


大谷・宇都宮巡り

2016年12月11日 | 

ボーナス直後の(東京発)日帰り旅として、贅沢にも新幹線で宇都宮に行った。

行き先は、高校卒業の春休み以来の大谷観音(磨崖仏)と、城廻りとして宇都宮城。
その時行かなかった地中の大ホール「大谷資料館」も行きたい。
さらに前日気づいたのだが、近くの多気山は、全山城址だという。 
山城ファンとして外すわけにはいなかい。
もちろん、餃子も食べる。
以上、かなり充実できそう。

大谷に行き、市内も巡るなら、関東バスの「大谷観光一日乗車券」がお得。
駅の観光案内所で尋ねれば、関東バスの売り場を教えてくれる。 

大谷に行くバスに間があったので、さっそくチケットを使って、馬場町で降り、市街地の二荒山神社をお参りした。
まずは訪問地の産土神に挨拶したかった。

大谷を通る「立岩」行きのバスに乗って、「大谷資料館前」で他の乗客とともに降りる。
しかし、私だけ別方向に歩いて、多気不動に向かう。
高校の時も、この不動まで足を伸ばし、門前のうどんがおいしかったのを覚えている。

ところが、その店は建物はあるのだが廃業の跡。
昼食の予定が…

不動にお参りして、多気山頂への登山道に入る。
するとここでも、山道に入った途端、すれ違う人と挨拶をかわす。

山の登りは、マインドフルネスが実践しやすい。
登りの身体的負荷が、いやおうなく身体への気づきに導くからだ。
そしてゆっくり進むため、踏みしめる道の触覚、顔にそよぐ風、落ち葉を踏む足音、一歩ごとに変わる視野をじっくり味わえる(システム3)。

多気山も300m台と低いので、ほどなく山上に出て、
筑波山までの広大な風景が開ける(写真)。
山上を歩くと、土塁や堅堀を確認できる。

山を下る時は、マインドフルでなくなり、視覚情報にたよってすたすた降りる自分(システム1)と、
それらとまったく無関係なことを考えている自分(システム2)の並立状態となる。

巨大な人工洞窟の大谷資料館は、気温だけは外と差がないが、日射がないぶん体が冷える。
照明による演色で 洞窟というより、夜の街にいるよう。

大谷石は、流紋岩質角礫凝灰岩で、 大谷付近にしか分布していない。
逆に大谷では、いたるところに露岩があり、岩の中に人家がある感じ。
大谷石の固有性もあって、ここ大谷だけが独特の景観を展開している(写真)。

大谷観音もこの大谷石を磨崖仏にしたものだ。
 平安から鎌倉にかけて彫られた仏像は、敦煌の石窟を彷彿させる。

昭和に彫られた27mの平和観音は、一見すると異様だが、正面からちゃんと見ると上品な顔立ちだ。

バスに乗って宇都宮市街に戻り、「来らっせ」で宇都宮餃子を12個食べ比べ(詳細は次の記事にて)、
大谷石で造られた松が峰教会を一瞥し、最後の目的地・宇都宮城址に達した。
ここは復元された櫓が2つあり、資料館もある(資料を購入)。
私としては、この城を一時奪取した土方歳三の足跡を追う意味もあった。

以上、予定をすべてこなして、冷凍餃子を土産に、新幹線で帰途についた。
歩数は2万歩を越えた。