今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

北方領土の今後を思う

2016年12月16日 | 時事

日露会談後の安倍首相の説明を聞いて、力づけられたので言うと、
私は学生時代の昔から、北方領土は日露(当時は日ソ)の「共同管理」が最適な落とし所だと思っていた。

なぜなら、日本が主張する4島返還は(もちろんそれが正当だとは思うが)、ロシア側からすると100%ありえないからである。

であるから日本がこの主張をかたくなに続けることは、現実的な解決を放棄した、建前だけの遠吠えにすぎないと思っていた(可能なのは武力による解決だけ)。

なぜ共同管理かといえば、現実にそこに住んでいるロシア人を追い出すことは人道的にできないからであり、彼らと共存するしかなく、またそれが可能だと思っていたからである。

すなわち、国境というものが存在しない、世界でも稀な共同地帯の構築である。

だが、領土に強欲で、条約も一方的に破棄したロシア人がそんなことを許すのか。

確かに、第二次大戦直後の彼らの仕打ち(満州侵攻、シベリア抑留)は戦争犯罪的だ。

だが、その当時の事なら日本側だって自慢できるものではないし、お互いにその時だけの行動を普遍視するのも問題だ。

私は、日本人とロシア人との最初期の出会いに思いを遡らせたい。

18世紀にロシア(千島列島)に漂流した大黒屋光太夫の記録を見ると、哀れな日本人漂流民に対する彼らロシア人の親切につくづく頭が下がる思いになった(時の女帝にとっては政治的利用価値もあったろうが)。

それと、この一行のうちの一人は、現地に残ってロシア女性と結婚した。

たぶん、信頼できる記録として※最初に日本人と結婚した白人女性だ。

※実は、光太夫一行以前に日本人がいたことを彼らは教えられた(救助された漂流者で、1705 年に首都ペテルブルグに日本語教室が開講されていた!。講師は漂流者)。もっと昔に遣欧使節の一行がスペインに残ったかもしれないが確かな証拠がない。

上が事実なら、日本人が最初に愛し、愛された白人はロシア人だ。

シベリアにいるロシア人はヨーロッパの人たちよりは、モンゴロイドに対して違和感をもっていない。

彼らとなら、うまくやっていけるような気がする。
ロシア語はむずかしそうだけど。

ちなみに江戸時代のロシア漂着譚については、吉村昭『漂流記の魅力』(新潮社)が詳しい。