今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

鶴見川を歩く1:河口〜新横浜

2019年03月31日 | 川歩き

里川歩きは、山歩きとちがって、早起きも装備もいらず、ふらりと出かけられる。
それでいてけっこうな長距離歩行になるので、休日の運動としては充分な効果。

川さえ選べば、ルートは川が決めてくれる(川沿いに歩くだけ)。
あとは、上流からか下流からか、右岸か左岸かを決めればよい。
今までの経験から、河口から始めて、水源をゴールにしたい。
右岸か左岸かはどちらに立ち寄る箇所があるかで決める。

都内の名だたる川はだいたい歩いたので、いよいよ他県に足を延ばそう。
以前、町田あたりで鶴見川を一部歩いたら、川沿いの歩道が整備され、
進行方向(上流側)に丹沢山塊が正面にひろがってとても気分がよかった。
ここはひとつ正式に鶴見川を歩いてみたい。

鶴見川は、その名の通り、横浜市の鶴見を河口とする川で、水源は東京の町田の多摩丘陵の奥。
全長は45kmもあるので、4回ほどに分けて歩くことになろう。


1回目の今日は、河口から新横浜あたりまで。
まず京浜急行の花月園前で降りる。
住宅地なので商店街は日曜が休み。
なので、歩く前の腹ごなしは、コンビニで買うおにぎりしかない。

おにぎり2つを入れた白い袋を持って住宅地を抜け、1mほど高い鶴見川の堤防に上がると、
河辺が白い干潟になっている(写真)。
ここは鶴見川河口の干潟で、白いのは全部貝殻。
河口の先には(写真中央)埋立て地が海に伸びているが、本来の河口はこの干潟で、
鶴見川の道程標もここが河口として出発点になっている。

大都市の河口の例にもれず、周囲は大きな建造物が囲んでいるが、
干潟側は住宅地で、人々の憩いの場になっている。
河口に干潟がある(残っている)川は、今までなかった(神田川、隅田川、荒川、渋谷川など)。
河口だけでも鶴見川は個性を発揮。 

まずは堤防の石段に腰を下ろし、水辺で遊ぶ子供たちを眺めながら、おにぎりを口に入れる。
干潟の上流側には釣り船がずらりと繋留されている。
川崎港と横浜港の間ながら近くに魚河岸もあり、魚が獲れるようだ。

さて、ここから鶴見川の右岸(下流から歩くと左側)を歩く。
鶴見川は、両岸の川べりと堤防上の両方に歩道がずっと続いているので、
ルート選定は楽だし、ずっと川を見ていられる。
1キロごとに道程標があり、ジョギングやサイクリング、犬の散歩の人たちとすれ違う(ずっと歩きそうな人はいない)。

さきほど乗ってきた京急線の鉄橋をぐぐると、左側に「鶴見川水難者慰霊供養塔」がある(写真)。
石塔は昭和5年に建てられたもので、さほど古くない千羽鶴(写真左の縦長ビニール袋)が奉納されていた。
特別な水害でなくとも、鶴見川にはよく水死体が上ったそうだ。 
だからこういう慰霊塔は珍しい。

東海道線などのJRの鉄橋をくぐると、対岸に横浜市の漕艇場がある。
さっきから、川上を漕艇用のボートが行き来していた。

第二京浜の道路を横断し、病院脇の下末吉公園では、テントを持出して花見の宴。
左側の自動車教習所越しに台地が見えてくる。
下末吉台地だ。
南関東の地層として有名な「下末吉層」由来の場所。
末吉橋を過ぎた所で、あえて一旦川から離れて、左奥の高台に向う。
そこには甲(かぶと)塚古墳があり、6世紀の古墳の上には太田道灌由来の兜塚があり、
さらに奥に上ると浅間神社がある。
神社のある稜線をさらに登ると、東芝のグラウンドの向こうに横浜中心部の高層ビル群が望める。

また川に戻り、堤防上の道を進む。
ここまでは、河辺の歩道が川に接していたが、
だんだん川と堤防の間に河川敷の空間がひろがりはじめ、草原や公園になっている。

新幹線の鉄橋をくぐると、河川敷が野球のグラウンドになっていて、
堤防の外側に公衆トイレがある(写真)。
これ幸いと男子トイレのドアをあけると、ドアには施錠用のでっぱりが出たままになっているので、
ドアノブ内を回して出っ張りを引っ込めてドアを閉め、
用を足して(ちゃんと手洗いもできる)ドアのノブを回すと、空回りしてドアが開かない。
トイレに閉じこめられた状態になったので、
あせってノブを回しているうちになんとかドアが開いた。
最初の状態にしてある理由が理解できた。
このトイレを使う時は、以上に注意。


東急東横線の鉄橋をくぐると、また左側に大きな自動車教習所が現れ、
こちらはバスやトラックなどの大型車にも対応している。
ここから先は、道も風景も変化のない単調な歩きとなり、
いいかげん退屈してくる(山道のような微妙な変化がないのが里川歩きの欠点か)。

川が左に大きく曲がり、川幅は幾分狭くなり、河川敷が自然状態になって、今までの下流とは様相がちがってくる。
行く手に新横浜の高層ビルや日産スタジアムの白い屋根が見えてくるが、かなり遠い。

左側が公園や浄水場になってくると、桜並木がずっと新横浜まで続く(写真)。
残念ながら花はまだ二分から三分咲きで、裸の枝の方が目立っている。
数日遅ければ、壮観のフィナーレとなったことだろう。

逆に今日は、退屈な風景の延長でしかなく、さらに左脚の付け根・臀筋が筋肉痛になってきた。
左脚ということは山の下りで痛くなる腸脛靱帯と同じ側。
実は、腰にコウノエベルトを巻いているので、アンバランスになった殿筋が鍛えられているのだ。
腸脛靱帯が痛むのも殿筋の弱まりで骨盤がふらつくためと言われている。
だからこの左臀筋の筋肉痛は、私にとって必要な痛みかもしれない。

道程標は河口から12kmを示す。
3時間はゆうに歩いた(時速4km)。
といっても山だったら3時間程度の歩きは、軽いハイキングで物足りないくらい。
平地の川歩きなのに3時間で辛くなるのはどうも解せない。
はっきり違うのは、歩く楽しさは断じて山(の中)が勝っていること。 

というわけで、身体的にも気分的にも限界にきたが、
次回は新横浜の1つ先の駅の小机から出発したいので(小机城趾立ち寄りのため)、
新横浜側にある、太田道灌が小机城攻略のために陣を敷いた跡地は今回まわっておきたい。

新横浜駅とは正反対の「ワールドカップ大橋」という自動車用の広い道を通って
鶴見川左岸に今回はじめて渡って、亀之甲山陣跡に達した。
実際にはそれを示す標識など見当たらなかったが、
ほぼ同じ場所の浅間神社からは、鶴見川の向こうの小机城趾がよく望めた。 


ここから、駅まで歩くには左臀部の筋肉痛がつらいので、丁度来た路線バスで新横浜まで乗った。
新横浜は今では都会の一角をなし、バスも渋滞に巻きこまれた。

新横浜駅の利用は、ラーメン博物館のオープン時以来で、横浜土産に崎陽軒の”シウマイ”(真空パック)を買う。
JR横浜線はホームも電車も満杯で、横浜市内の従来からの交通機関はキャパシティを越えている感じ。
菊名で東横線に乗り換え、武蔵小杉で鈍行の都営地下鉄に乗り換えると、やっとゆったり坐れた。

次回は、小机からということになるが、小机城趾から先は立ち寄る名所もなく、退屈しそうだ。

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