1月1日の元日に、石川県で震度7の地震が起きる確率。
羽田空港で航空機同士が衝突する確率。
さらに、これら2つが連日に起きる確率。
これらはそれぞれが非常に少ない確率であることは周知の通り(宝くじで1等が当たる確率も加えてもいい)。
あまりに低確率の現象に遭遇すると、人はそこに人為的な意思を想定したくなる。
これはシステム2の”物語化”の動機による、人間に普遍的なバイアス(認知の偏り)。
最もシンプルな物語論理は、「すべては神の思し召し」。
物語に対する科学的反論(バイアスの脱却)は、”偶然”という解釈。
人はいかに偶然の事象に対する理解が苦手かは、確率論の問題の正解率の低さで証明されている(数学者でも間違う)。
例えば、地震は寒い時期に多いという印象があるが、実際に統計を取るとそうでないことがわかる→「大地震に季節傾向はあるか」
今、ランダムな間隔で、手をたたいてみて(人間では完全なランダム化無理なのでコンピュータにやらせてもいい)。
すると、ある時は、連続して手をたたく場合がある。
その期間だけを切り取ると、事象の発生は連続と見做され、ランダムであることが失念される。
例えば、夜空の星の散らばりは、天の川を除けばランダムといっていいが、人は目立つ星々を繋げて、あえて有意味(解釈可能)な形体を構成する。
この形態認知のゲシュタルト(有意味)化を心の分析に使っているのが、ロールシャッハテストだ。
そう、物語化は、それを語る人の心を表現している。
ちなみに、実証科学の推論は、データの結果が偶然でないことを数学的に精査する作業(統計的検定)を経由しなくてはならない。
逆にいえば、データからランダム性をきちんと数学的手法で取り除くことで、データに潜む周期性(有意味性)が見えてくるのだ。
偶然か必然かの2元論ではなく、データの変動=法則的要素+偶然的要素 の定量的合成(線型モデル)として考えるのが科学的態度。