今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

『夜明け前』ゆかりの地

2013年01月21日 | 
わが定宿・ホテル花更紗は、恵那山麓の谷あいの”湯舟沢”という地にあり
(恵那山の岐阜県側は、東日本の”沢”と西日本の”谷”が混在している境界域)、
そこは神坂(みさか)峠を越える古道・東山道(とうさんどう)と
木曽谷を縦断する中山道(なかせんどう)との分岐となる所で、
北西に斜面を上がればそこは木曽の馬籠(まごめ)宿である。

木曽十一宿の最南にある馬籠宿は、山深い信州の木曽から、
美濃の明るい平野に降りる斜面上にあり、
宿場の中央を走る街道は長い坂で終始している(上写真)。

私は湯舟沢に投宿するたびに、この馬籠にも毎回訪れ(ここも飽きない)、
タイムスリップしたような宿場風情を堪能しながら、地元製の木の器などを求めることにしている。

気まぐれに訪れる観光客なら、宿場の中をそぞろ歩きするだけでも”行った”事になると思うが、
この地をじっくり味わうなら、
馬籠出身の作家・島崎藤村の『夜明け前』を読むことは外せない。
この作品、文学史上の衝撃性では同じ藤村の『若菜集』や『破戒』に譲るが、
小説としての充実度の点で、彼の最高傑作といえる。

ちなみに”夜明け前”という表題、
未読の人には、明治史観がそうしたように”旧弊の江戸時代”を指しているものと誤解されるだろうが、
この作品では、明治維新の方を指している。
すなわち明治維新に対する痛烈な皮肉なのだ。

馬籠宿の本陣庄屋の主である青山半蔵(藤村の父・島崎正樹がモデル)は、
幕末の流行思想である平田国学に心酔し、その立場から王政復古を理想の実現と期待した。
しかし、維新を迎えて後、新政府の圧政と洋化政策に失望を重ね、
次第に気を病んで菩提寺に放火し、家族に幽閉されて狂死する。

時代の思想とリアルな政治に翻弄された、
あまりに真っ直ぐな心根だった草莽(そうもう)の民の精神的悲劇が、
何しろ我が故郷と実父がモデルなだけに、他の追随を許さぬ迫真性で描かれている。

幕末維新というと、龍馬や薩長、あるいは幕閣や会津・新選組などの”最前線”の活動だけを見て
理解しているつもりになってしまうが、
彼らの活動を支え、時代の大変動の根幹を構成していたのは、”半蔵”のような一定の知性をもった草莽の民であった。
これは中津川にある「中山道歴史資料館」 を見学してもわかる。
『夜明け前』は、そのような草莽の民の激動の人生の記録であり、
正当化された歴史観への疑義である。

この作品は、馬籠が舞台であるから、隣の湯舟沢はもちろん、
中津川から妻籠(つまご)あるいは木曽福島までの地が登場するので、
この地一帯の歴史的読み物としての価値もある。
この作品を読めば、妻籠に向かう馬籠峠の手前にある「峠」という小さな集落も、
歴史的事件ゆかりの地として、素通りできなくなる。

ただ文庫本で4冊分と大著なので、読破するには覚悟が必要(私は馬籠の民宿に泊まって読んだ)。
実は『夜明け前』には新藤兼人製作、滝沢修主演で映画化されており、140分の長さだが、
それでも原作に比べてかなり端折っていて、ストーリー展開がせわしない
(若き大滝秀治が端役で出ている。氏の「おじいさん」でない映像は貴重。
同じく出演している宇野重吉に地声の悪さを批判されたのは有名)。
この映画、VHSビデオで販売されていたのを書店のガレージセールで偶然見つけ、
自分でDVD化した(レンタルビデオには出回っていない)。

この映画作品は、もちろん地元馬籠でのロケが中心で、
宿場の建物や道路は今と違っているが、恵那山の風景はいまでも変わらない。
湯舟沢に泊まるたびに、地元を訪れた楽しみとしてDVDをパソコン経由で観ることにしており、
投宿第一夜の昨晩も、酒とふんだんのつまみをかかえて部屋の大きな液晶テレビに接続して鑑賞した。

そして翌日は、久しぶりに馬籠の藤村記念館を見学した。
ここは、藤村の生家であり、その家も一部残っており、また映画にも使われていた。
丁度、企画展で『若菜集・破戒・夜明け前』の3大代表作の特集をやっていた。
馬籠に隣接する永昌寺(「夜明け前」では「万福寺」)にも足を延ばし、
藤村とその父正樹(この寺を放火した)の墓に詣でた。

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