ウサギ(兎)の”正しい”数え方(数詞)をいまだに「羽」だと思っている人がいるようだ。
そもそもそう主張している人も、その論拠は、日常的(たとえば幼稚園で飼っていたウサギ)に身に付いたのではなく、後から付加された情報にすぎないはず。
問題はその情報源が、一部の言語慣習(符牒)を無批判に”正しい”と認定(誤認)してしまっている誤りにあるのだ。
符牒は、正式な表現をあえて覆い隠すために一部の人間たちだけに通用する慣用表現。
ヤクザ言葉とか若者言葉のようなもの(方言はこれに該当しない)。
たとえば、お米は「シャリ」、ショウガは「ガリ」というのが正しい日本語だと思い込ませるようなもの(ちなみに醤油を「ムラサキ」という優雅な言い回しは、寿司屋の符牒ではなく女房言葉由来)。
ウサギを「羽」と数えたのは、猟師たちの符牒であって、日本語としての正式な数詞ではない。
では正式な数詞は何か。
まず、動物(四足獣)の数詞の大原則は、基本は「匹」でよいこと。
ただ、鳥類は羽が顕著なので、「羽」を使う。
この大原則に反対する人はいないと思う。
この数詞の大原則によれば、ウサギは羽のない四足獣なので「匹」に属し、まちがっても「羽」ではない。
これもよろしいか。
だからウサギをあえて「羽」と呼ぶのは、正式ではないことを前提とした確信犯的な原則違反による符牒なのだ(その理由は他でググって)。
つまり”正しくない”ことを前提にした用法だから、それを”正しい”とするのは滑稽でしかない。
だから日本語が構造的に内面化されている人なら、ウサギを「羽」と数える事に違和感・抵抗感を覚えるはず。
さて、数詞には大原則の他に、形状で特徴のある場合は、それを表現した言い方に分化する原則もある。
器物なら一般的には「個」でいいのだが、平ら状なら「枚」になり、足がつくと「脚」になる。
大きいと「台」になる。
動物もズウタイが大きいと「頭」になるのは、全体が見れないほどの大きさを表現している。
さて、ウサギだが、実は固有の数詞がある(もちろん「羽」ではない)。
これは江戸時代の作法の百科事典といってよい『貞丈雑記』(伊勢流礼法の家元伊勢貞丈の著)に記載されている。
この本は江戸時代の習俗研究には必須で、私も愛用しており、情報源としての信頼性はピカイチだ。
ウサギの数詞は「羽」が正しいとした情報源は、この基本文献を読んでいないことがはっきりした。
それによれば、ウサギは「耳」と数えるという。
なるほど、目立つ形状が数詞となる原則に従っている。
もちろん耳は2個で1単位だから、靴の「足」と同じく、耳が2つある1匹のウサギは「1耳」と数えてよい。
ついでにこの原則を応用すれば、キリンは「1首」、象は「1鼻」と数えても、少なくとも言語表現的におかしな所はない。
羽のないウサギを、「羽」と数えるのが正式だという言語構造的な根拠はまったくなく、それは構造上正しくない使い方であることは確かだ。
数詞の情報源となっている人に特にお願いしたいのは、正邪を判定できる作法とそうでない一部の慣習(≠作法)とを混同しないようにしてほしい。
それから日本語の基本構造と、伝統的用法の研究も忘れずにね。
”数詞の本”を読む人は本に書いてあることが正しいと思ってしまうから。
もっとも現代人にとっては、あえて「耳」と数えるのも使い慣れないので、ネズミにもネコにも使っている「匹」でいいと思うけど。