今日は、年に2回目の麻婆(マーボー)ナスを食べる日。
今回は、実家に帰る日なので母が作っておいてくれた。
目のおかずに「賞与明細書」を見ると、昨年と同額なのに控除額がふえたせいで、手取りが少し減っていた。
とりあえずの使い道はないが、さっそくAmazonでバッハ全集(CD172枚)を大人買いした。
先月買ったモーツァルト全集(170枚)に続いてだ。
私にとって一生聴き飽きない音楽を手に入れた。
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とりあえずの使い道はないが、さっそくAmazonでバッハ全集(CD172枚)を大人買いした。
先月買ったモーツァルト全集(170枚)に続いてだ。
私にとって一生聴き飽きない音楽を手に入れた。
昨日、津久井の城山を登りながら、「今自分はここにいるんだな」と実感した。
この実感は、中学時代に山に行き出して、傾斜のある山道を登っている時に、「気がつくと、自分は山を登っている」と実感した時から、登山中にのみ、たびたび体験している。
こういう実感て他の人も経験するのか不明だったが、後年、マンガ家つげ義春の『やなぎ屋主人』という作品に、主人公がやなぎ屋という宿の布団の中で「ぼくはいまここにこうしているんだなあ」と実感しているのを読んで、自分と同じ体験している人がいることがわかった。
この実感(実感以上でも以下でもない)は、日常レベルの意識と、多少は違った状態になっていることを示している。
それは、『意識障害の現象学』の著者・安芸の用語を使うと「意識水準XII(意識清明)」の一段上の意識水準XIII(これは私が追加)すなわち超意識清明状態に近い。
心のこの状態(心のサブシステムの1つ)を私は「システム3」と名づけている。
システム3は、日常的に作動しているシステム1やシステム2(既存の二重過程モデル)ではなく、意識している自己(システム2)を意識する非日常的なメタ認知状態であり、通常はマインドフルネスなどのトレーニングによって達成できる状態である。
中学の時、月一回の頻度で山に行っていたので、私の心にシステム3が作動するのは月に1度、山に登っている時というわけだ。
しかも、こうなるのは登り始めてある程度たってからで、逆に山頂に近くなると元の意識レベル(システム2)に戻る。
山頂という目標が目の前に出現したため、気持ちが「いま・ここ」から離脱してしまうためだ。
また山頂からの下りも、加速度のかかる身体運動の制御に心が奪われるため、システム3が作動する余裕がなくなる。
私にとってマインドフルネスは、システム3の作動の1パターンであり、システム3の下位概念となる。
だから、追究したいのはマインドフルネスを可能にするシステム3の心理学だ(神経科学的分析はすでになされている)。
論文になるまでには時間がかかるので、アイデア段階でもここに披露していきたい。
東京宅からの日曜の出かけ先に3候補あり、迷った末、一番近場でかつ歩きが長い、津久井湖にある城山に行った。
相模川上流には相模湖と津久井湖(どちらも人造湖)が続いているのだが、相模湖は観光地としてそれなりに知られ、実際、私も学生時代にボートに乗った記憶があるが、津久井湖の方は、街に近いこともあり、あえて行く気にならなかった。
ところが、津久井湖には湖畔に山城がある。
地元の領主・内藤氏(後北条に服属)の居城だという(戦国前期の関東の反乱児・長尾景春も一時拠点にしていた)。
その山城(津久井城)は標高375mの宝ヶ峰という山全体を城郭にしているため、山自体が「城山」と称されている。
相模原市の橋本駅から頻繁に出ている三ヶ木行きの神奈中バスに乗り、津久井湖畔の観光センターで降りる。
そこから遊歩道そして登山道になってそれなりの山の中の雰囲気になる。
たかが300m台の山なのだが、山道に入ると、すれ違う人同士で挨拶をしあう。
そして、遊歩道に降りると挨拶しなくなる。
飛鳥の畝傍山(200m弱)でも同様だった。
日本の面白い習慣だ。
頂稜部の曲輪群を縦断し、南側の御屋敷(居館跡)に降り、ついでに内藤氏菩提寺の功雲寺を詣で、根古屋諏訪神社脇から、湖畔の遊歩道に入り、観光センターに戻った。
城山の西半分を一周したことになり、およそ3時間の行程。
津久井湖の周囲の山は低いのだが、人工物が少ない側が見えていることもあり、自然豊かな風景に見える(写真)。
そもそも、たとえ人工的に造られても、水が溜まる「湖」って、それなりの風景を作る。
それに、登り口の観光センターに入ってみると、地元の野菜の他に、地元名物の「かんこ焼き」という”おやき”や地酒もあった(地元産のルッコラと地酒を買った)。
観光センターを出て、おつりをサイフに入れながら、バス停に向っていると、小学校低学年くらいの男の子が、後ろからかけ寄って「すいません」と言ってきた。
なんだと思っていると、私が歩きながら落したという1円玉を渡してくれた。
たった1円のために、わざわざ拾って、走って追いかけてくれるとは。
お礼の言葉も自然に丁寧になる。
さて、今回の歩き。
歩数計によると、18000歩で624Kcal(1食分)を消費(ただし過敏な歩数計なので、実際の歩数より多めに出ているはず)。
デスクワークが多いので、休日はこうやって歩数をかせぎたい。