玄冬時代

日常の中で思いつくことを気の向くままに書いてみました。

枕の小話

2022-04-19 13:55:49 | 或る話

もう先月の事であるが、年に二回、検診に通っている病院がある。その通り道にふとん屋があった。

そこで2年おきぐらい小枕を買うのが、かれこれ10数年来の癖になっていた。

先月も前の小枕が汚れたので買うために店に寄ったら、いつもの爺さんは出てこず、婆さんが出て来て、もう年だから店をたたむと言われた。

確かに店内を見回せば、布団も座布団も枕もあまり置いていない。

「あ、そうですか。で、いつもの小枕は?」

「もう枕はこれだけ」と奥から出してきた。

 

婆さんは「買え!」と言わんばかりに差し出した。税込み、袋付きで1500円にすると言う。これから病院で検査だけど、まあしょうがないかとそれを買って病院に行くことにした。

持ち帰ったが、どう見ても枕が高過ぎるのだ。

やっと先日に、中の蕎麦殻を抜いて枕を低くした。

ロシアのウクライナ侵略の経済制裁で蕎麦殻も入ってこないだろう。偶然にも、貴重なものを買えた。しかし、アベの時は親切だったのに、ウクライナに支援したと怒ってロシアが北方四島から攻めてくるかもしれない。

当分、枕を高くして寝られない日々が続く。(お後がよろしいようで、…。)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

戦争は不条理

2022-03-10 19:11:52 | 或る話

抑々、戦争というのは、まさかで不条理なモノだろう。プーチンは原爆を落とすかもしれない。その理屈は、アメリカも1945年8月にやったじゃないか、という理屈だ。

大国ロシアは大国として振舞っただけ、とあの表情の薄い冷たい顔で言うだろう。その時彼は世界が認める「狂人の指導者」になる。

この国の戦争のはじまりは浪花節や歌舞伎の世界でもあった。

1941年12月8日の真珠湾奇襲の前に、東郷外相が11月29日の大本営政府連絡会議で「○日ヲ知ラセロ、之ヲ知ラセナケレバ外交ハデキナイ」 と軍部に迫った。

その時、海軍の永野軍令部総長(伊藤整一次長という説もある)は「ソレデハ言フ ○日ダ・・・」と初めて攻撃の日取りを軍人以外の文官に教えた。そして、永野・島田・岡等海軍側は「国民全部がこの際は大石蔵之介をやるのだ。」とも言ったという記録がある。

何と悲しいほど安易で、愚かな大義だろうか。そのおかげで320万人以上の同胞の命を失い、2000万人以上の周辺諸国の人たちの命を奪ったのだから。

平成上皇が一生をかけて周辺諸国の戦地を訪問し、慰霊に努めた姿勢が分かる。そして、昭和天皇が戦犯を祀った靖国に参拝しない理由も少しわかる気がする。

【引用先:『杉山メモ』原書房、保坂正康・半藤一利『「昭和」を点検する』講談社現代新書】

次の桜までは、ともかく梅を満喫しよう。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ごめんなさい

2022-01-14 18:50:19 | 或る話

私の早とちりでした、去年の10月11日付けのブログ記事「ある風景」で、もう花の庭が荒れ放題の話をしたのですが、先日、傍を通ったらすっかりきれいになっていました。驚いて見ていたら、作業をしていたおばあさんが寄ってきて話をしました。

「ここ荒れ果てていたけど、…」と言うと、

「もう花が咲いていないけど、またきれいにするの」と、おばあさんは答えてくれました。

「いやいや、また楽しみにしています。頑張ってください」と言って、去りました。

という訳で、また、花の庭を復活するそうです。ほんとうに良かった。また春になって花が咲いたら記事にします。

今の風景

以前の風景

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

存在証明

2022-01-10 20:07:35 | 或る話

今年の年賀状は一枚だけ来なかった。去年は全部来た。数年前に何人かの友から年賀状を辞めますという知らせが来た。私も辞めようと思ったけれど、私より十歳以上の先輩から来るので、何となく言い出せなかったので、ぐずぐずと今も年賀状をやっている。

うちの女房にも言っている。若し、私が死んだらその年に来た年賀状で欠礼挨拶を書いてくれと。

いつも来る年賀状が来ないという胸騒ぎの時間が少しあって、家人からの欠礼挨拶は身に浸みるモノがある。この理不尽な圀にあって、こうしたやり取りは、日本人らしいやさしい弔いの知らせ方だと思っている。

このコロナ禍ではそういったものも、すべて呑み込まれてしまうような感じがする。今人類は、大きな、大きな災害にあったような気もしないではない。

去年の夏

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ある風景から

2021-10-11 11:33:54 | 或る話

かれこれ10年ぐらい前でしたか、川の側の細長い土地、それでも100坪以上ありますか、いやもっとあるかもしれません。そこは水がすぐ出そうなのですが、盛土すれば10軒ぐらいの小さな区画の家は建つでしょう。

その細長い土地に、小さな小道やベンチや馬の形の木の造作物を置いて、いろんな花を植えて、箱庭のような花畑を楽しんでいるおばあさんがいました。

ある日、その横を通ると、草花の手入れをしているおばあさんの横で大きな声でガミガミ文句を言っているおじいさんが居ました。私は勝手に土地利用をめぐっての兄弟喧嘩だと思いました。だって売れば、大金になりますから。

数年すると、おばあさんの姿が見えません。花壇の道は消えて、花畑となって季節ごとにいろんな花を見せてくれました。

ある日、おばあさんの横でがみがみ文句を言っていたおじいさんが花畑の手入れをしていました。そのうちに、そのおじいさんの姿も見ないようになりました。

その花畑は荒れ放題になりました。今は、秋桜のハラッパのようです、・・・。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする