玄冬時代

日常の中で思いつくことを気の向くままに書いてみました。

さよならミセス・ロビンソン

2015-11-26 23:40:33 | 映画

昨日、CATVで「冷たい月を抱く女」を見た。ギリシャ彫刻のようなニコール・キッドマンの分厚い胴体や背中に眼を奪われた。ただし下半身、特に長い足はX脚でむしろ幼い感じで、アンバランスでもある。まあ、年齢を取らない女優であろう。

すぐ殺されてしまう端役で、駆け出しの時のグゥイネス・パルトロウが出ていた。彼女は「大いなる遺産」や「恋に落ちたシェクスピア」では、欧米人らしくない草食的な細い顔と肢体が魅力的だが、最近の「アイアンマン」では肉感を通り過ぎ、太腿や腰が丸太か樽のように見えてしまう。

何よりも驚いたのは、母親役で、あの「卒業」のミセス・ロビンソンが出ていたことだ。アン・バンクロフト(ANNE BANCROFT)は1931年生まれだという。「卒業」が1967年に制作されている。彼女はあの役を36歳でやったわけだ。あの当時、ダスティ・ホフマンの相手役キャサリン・ロスが大学生という設定だから、その母親だから50歳前後と見た。随分と老け役を演じていたわけである。あの映画が日本を席巻したのは70年前後だろう。社会に出れば、ああいう役得というか大人の遊びがあるのか、と若い男たちの心を揺さぶった女性だった。調べてみると、彼女は「奇跡の人」の教師役でアカデミー賞も貰っていた。蓮っ葉な色好きの人妻役の印象が強く、最後の教会のシーンでの醜い顔が記憶に残った。彼女は既に2005年に亡くなっていた。何かの片割れをなくしたようで、寂しいものである。

映画の役年齢と役者の実年齢とは不思議なもの。ちなみに、「卒業」のダスティ・ホフマンは1937年生まれ、キャサリン・ロスは1940年生まれ、実年齢で云うと、30歳と27歳の恋人同士で、その不倫相手の母親が36歳という訳だ。当然ながら、なんか非現実的な関係で、だから映画なのか!だから、ミセス・ロビンソンが奇妙にセクシーだったのか。

余談だが、この映画の原題は「Malice(性悪という意味かな)」だが、邦題の「冷たい月を抱く女」の方が何となくそそられる気がする。

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あの方は憲法が嫌い

2015-11-16 19:42:17 | 政治

実は、憲法をぞんざいにあつかう首相がこの国にはいる。権力を掌握してからの彼の行動や選択を見ると、今の憲法が嫌いでならないようである。それが苛立ちさえ生んで、投げやりな姿勢が随所に垣間見える。こちらの側で言えば、彼の粗略で扁平な歴史認識で、何でも自分の方向で処理したい腹が見え見えで、そんな程度の頑是ない御仁であるから、なおのこと、彼や彼の提灯持ちで造られる新たな憲法なんか糞くらえという感情なのだ。

 大きな提灯

戦後70年間、日本人は、憲法9条に対してある種の信仰に似た感情を持っていて、それが他人から貰ったものであれ、それを大切にすることで、かつての同胞の犯したアジアに対する非違行為への贖罪や懺悔としていた節もある。そうした感情の襞に全く頓着せず、直線の頭脳構造のままに粗略に邁進する政治家家業三代目を見ると、それが戦後日本を代表する人物像なのかと、落胆と悲しみが混ざり合う。

 この国の前途は暗雲か?

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LIONS FOR LAMBS

2015-11-10 19:58:27 | 映画

大いなる陰謀 (特別編) [DVD]『大いなる陰謀』(2007年アメリカ映画)をCATVで見た。まことに理屈ぽい映画である。最初に大学教授役(ロバート・レッドフォード)と成績不良の学生との会話の中で、学生が云う。

政治学は、有権者がウソを信じるという心理学だと云う。選挙に勝つための学問だとも云う。そして、政治家は選挙に勝てば政治の中身はどうでもよく、平気でバカな悪党面を見せる。そして、極めつけは、大衆の前で「立候補しない!」というのが立候補宣言だ。どこかの国の関西の王様がそうだった。又、学生は続ける。

ワシントンにいる議員は皆そっくりの髪型をし、中身のない言葉を吐き、偉そうに道徳を説教し、机の下ではアレをしゃぶらせる。政治資金を動かし、それがバレると涙ながらに謝罪する。なんと、この国にもピッタリあてはまるじゃないか。

私は、教授と学生の冒頭の会話に惹きつけられて、最後まで見る嵌めになった。普通なら、たぶん見ないだろう。議論が多すぎて、この映画の興行成績は振るわなかったそうだ。難しい映画は、結果としては、二回見ることになる。

別の議論が同時平行的に進んで行く。政治家(トム・クルーズ)が新聞記者(メリル・ストリーブ)呼んで、画期的な戦略を披露し、マスコミは真実を国民に伝えてほしいという。彼は云う。マスコミは政府を批判するばかりだが、この国は、9・11以来、政府とマスコミが共に兵士を見送った。だから、両者はともに戦争を支持したという責任がある、とまくし立てる。この閉塞した状況を打ち破るためにアフガンにおいて新たな戦略を実行する、という。その強引な論法に唖然とするばかりの記者。

以上二つのデベイト劇を挟みながら、同時並行に、その政治家の云った戦略が、アフガンで現に実行されていく戦場シーンが流れる。まあ、ありふれた手法の映画とも言えるだろう。

原題の「LIONS FOR LAMBS」の意味は、「無関心の多数のヒツジのために命を投げ出している少数のライオン(勇者)」らしいのだが、私は、戦争への動因要素は、政治=新聞=思想だと思っている。この映画はその典型の人物を設定し、デベイトさせて、そうしたことと全く無関係に進んで行く戦争現場=戦争の重大さを描きたかったというのが、私のあの難解な映画の包括の印象である。したがって、「羊のためと云いながら勝手にライオンが引き回していく現代の民主政治」というのが、私のこの映画の原題の解釈である。

いずれにせよ、『大いなる陰謀』という邦題は全く見当はずれで、どこからそんな題名が出てくるの?と冗談めかして聞いてみたい。単なるトム・クルーズのイメージに迎合させただけじゃないの?

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社長の涙

2015-11-02 22:18:21 | 時事

横浜市の傾斜マンション事件で、旭化成建材の代表取締役は「担当者に悪意があるとしか思えない」と事件発覚の当初段階で発言した。“悪意がある”という言葉を会社のトップが口にする。これは、組織ではなく担当者個人の責任を他者に感じさせる効果を狙った発言としか思えない。小会社のトップが組織犯罪ではないと匂わせた後で、今度は親会社の旭化成の社長が記者会見の席で涙ぐむ。会社トップの涙には、山一証券社長の「社員は悪くない。悪いのは会社だ」という涙が記憶に残っている。あの方は人情味のある社長として後に評価されたようだが。しかし、今度の旭化成の社長の涙は、一体なんだったのだろうか?元請け・下請けの上下構造の中では、どこでも起こり得る、或いは常態化している実態を知りつつ、たまたま見つかった運の無さを嘆いた涙だとしたら、まったく情けない社長の涙である。或いは、最近の報道の如く組織の常習的行為としてならば、一体あの涙は!どうも日本も、ドイツのVW事件を対岸の火事と笑えないようである。

◆箱根の鄙びた旅館にて

  

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