かつて、戦前・戦中世代の政治家たちは、アメリカ民主主義を解からないのに、判っているふりをしていた。
竹下登は田中角栄を裏切った権力亡者だが、1989年の衆議院予算委員会で、竹下はリクルートから献金等で1億5100万円の受領を認め、「これ以外のものが出ない」と断言した。
朝日新聞は竹下秘書が87年同社から5000万円借金したと報道。竹下は観念して辞職した。(石川真澄『戦後政治史』岩波新書)
これがかつての自民党の政治家だった。どんなに権力に賤しくも、国会での自分の言葉に責任を持った。
ところが、戦後生まれの今のアベはどうだ?彼は、自分の権力を玩具のように撫でまわすばかりだ。
「森友で自分も妻もかかわっていたら、辞める」と言ったが、既に妻は名誉校長をやっていた。そして妻は私人だと閣議決定した。閣議決定とはそれほど安っぽいのか。そして、公文書を改ざんさせた。
秘書官と加計学園が事前に会っていたことがばれたら、官邸への通行記録を処分し消した。「桜を見る会」での出席名簿が資料要求されたら、処分して、これも消した。全部証拠を消す。また、すました顔で赤じゅうたんの上で立っている。
ここまでくれば、こんな首領を選んだ自民党と公明党に責任がある。かつての自民党ならば、アベ内閣は3回潰れている筈だ。
このコロナ禍の時の、不運、不幸、痛み、ばかばかしさ、これを肝に銘じなければならない。
いつか、良いことがある。