玄冬時代

日常の中で思いつくことを気の向くままに書いてみました。

日記が符合するとき

2024-04-11 11:45:04 | 『断腸亭日乗』ヨリ

1941年4月4日の永井荷風『断腸亭日乗』には、「新橋橋上にビラに『もう一押しだ我慢しろ南進だ』とあり」と記されている。

1941年3月26日の種村佐孝の『大本営機密日誌』には、「陸海軍は穏健論に落ち着く。最近南方施策が『バスに乗り遅れるな』の軽薄な考えはようやく一掃せられるに至った、かくして一部のものを除いて、…、」と書かれている。

種村の云う「一部のもの」が新橋でビラを巻いたのか。此処から、7月には「英米戦も辞せず」陸海軍の作戦は変わって、12月には真珠湾奇襲となる。

今やネット時代、ビラではなく、Dappiの類とか報道の端には「台湾有事」「敵」基地「攻撃」能力、等の『戦争の言葉』が鏤められている。この状況は、ウクライナ・ガザの例からも、世迷言ではない。

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「疎開」は造語だった?

2023-09-22 19:03:35 | 『断腸亭日乗』ヨリ

永井荷風の日記の中に「町の角々ニ疎開勧告ノ触書出ヅ」と1944年3月の欄外に書かれている。そして4月、「俄かに「疎開」の語を作り、…」と述す。

「疎開」という語は明治22年出版の『言海』には無い。『漢辞海』には「疎=疏で、意味は、わける、疎んじる、荒い…」等がある。「疎開」の熟語の意味は書いていない。

荷風の云うように政府の作った造語かもしれない。

一番新しい『広辞苑』では、「空襲・火災などでの被害を少なくするため、集中している人口や建造物を分散すること」とある。また「戦況に応じて隊形の距離、間隔を開くこと」という軍隊用語がある。

たぶん都市の空襲による被害を想定し、ヒトを分散して疎にすることなのだ。

此処には一片の人権意識もない。単にヒトという戦争に協力する道具があるだけである。

自民党の憲法草案には、なぜだか「個人」ではなく、「人」となっている。

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