玄冬時代

日常の中で思いつくことを気の向くままに書いてみました。

なんか似ている風情

2025-01-21 09:25:39 | 『断腸亭日乗』ヨリ

永井荷風の『断腸亭日乗(上)」1928(昭和3)年6月26日の件に「警視庁、警察及び新聞社は暴力団の巨魁と隠然聯絡あり、新聞社は目前として言論を為さず、警察署は徒に刑事を派遣して無用の質問を為すのみにして一向取締りを為すべき様子もなし」と書かれていた。

今の、兵庫県のこと、フジテレビのこと、なんか似ていないか。警察、検察、裁判がおかしい。日常生活の公平や正義がおろそかになると、社会は確実に曲がってくる。

この翌年に満州某重大事件が起き、3年後の1931(昭和6)年9月18日には、軍は謀ったとおりに満州事変を起こし、この國は15年戦争に突っ込んでいった。

この國には自衛隊という名の軍隊があり、陸軍省・海軍省はないが、防衛省という名の国家暴力組織がある。昨今の韓国のことは対岸の火事ではない。

 

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日記が符合するとき

2024-04-11 11:45:04 | 『断腸亭日乗』ヨリ

1941年4月4日の永井荷風『断腸亭日乗』には、「新橋橋上にビラに『もう一押しだ我慢しろ南進だ』とあり」と記されている。

1941年3月26日の種村佐孝の『大本営機密日誌』には、「陸海軍は穏健論に落ち着く。最近南方施策が『バスに乗り遅れるな』の軽薄な考えはようやく一掃せられるに至った、かくして一部のものを除いて、…、」と書かれている。

種村の云う「一部のもの」が新橋でビラを巻いたのか。此処から、7月には「英米戦も辞せず」陸海軍の作戦は変わって、12月には真珠湾奇襲となる。

今やネット時代、ビラではなく、Dappiの類とか報道の端には「台湾有事」「敵」基地「攻撃」能力、等の『戦争の言葉』が鏤められている。この状況は、ウクライナ・ガザの例からも、世迷言ではない。

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「疎開」は造語だった?

2023-09-22 19:03:35 | 『断腸亭日乗』ヨリ

永井荷風の日記の中に「町の角々ニ疎開勧告ノ触書出ヅ」と1944年3月の欄外に書かれている。そして4月、「俄かに「疎開」の語を作り、…」と述す。

「疎開」という語は明治22年出版の『言海』には無い。『漢辞海』には「疎=疏で、意味は、わける、疎んじる、荒い…」等がある。「疎開」の熟語の意味は書いていない。

荷風の云うように政府の作った造語かもしれない。

一番新しい『広辞苑』では、「空襲・火災などでの被害を少なくするため、集中している人口や建造物を分散すること」とある。また「戦況に応じて隊形の距離、間隔を開くこと」という軍隊用語がある。

たぶん都市の空襲による被害を想定し、ヒトを分散して疎にすることなのだ。

此処には一片の人権意識もない。単にヒトという戦争に協力する道具があるだけである。

自民党の憲法草案には、なぜだか「個人」ではなく、「人」となっている。

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