玄冬時代

日常の中で思いつくことを気の向くままに書いてみました。

散るサクラ

2013-03-28 20:50:52 | 近現代史

今年の桜は薄い色をしている。そう思う。靖国神社の桜は早く咲いたが、その後の満開がいつなのかがはっきりしない咲き方だった。こういうときは散るのも早い。

この神社は非常に数奇な立場にあると言えるのではないだろうか。歴代の首相の参拝が極東の外交に直接影響するというのも脅威であるが、それよりも、神社関係者にとっての最大の不幸は、天皇がお参りをしない神社であるということだろう。

そこで思い出すのは、2006年7月の日経新聞に載った元宮内庁長官富田朝彦氏の「富田メモ」である。昭和天皇は、「私は、或る時に、A 級(戦犯)が合祀され、その上、松岡、白鳥までもが。・・・だから、私はあれ以来参拝をしていない。それが私の心だ」と述べたという。名指しされた二人は松岡洋右元外相と白鳥敏夫元駐伊大使である。

1975年11月以来、昭和天皇は死ぬまで靖国神社の参拝することはなかった。昭和天皇は、戦後一貫して平和と民主化のシンボルであり、「戦争に反対であった」とされている。ということは、「天皇の意を体した戦争」であったはずなのに、実は「天皇の意に反した戦争」であったということになる。そうだとすると、靖国神社遊就館の最後の部屋にある、壁いっぱいの無数の名刺大の若き兵士たちの遺影はいったい何なのだろう。

2006年の時には気が付かなかったが、天皇はA級戦犯という言葉を使ったが、実際に死刑となった軍人たちの名前は富田メモにはなかった。何故だろうという疑問が今沸いてきた。松岡も白鳥も日独伊三国同盟に深くかかわった外務官僚であるが、松岡は公判中に病死、白鳥は終身禁固刑で服役中に病気で死んだ。二人とも病死であり、絞首刑で死んだわけではない。ここに妙な同類性を見てしまう。

A級戦犯の合祀が不快だということは、自らの戦争責任に一線をひきたい、つまり、自分は東京裁判の被告ではない、戦争責任者ではないということを明確にしたいのだと考えられる。しかし、A級戦犯の具体名を挙げた時に、東條以下の軍人の名前を何故あげなかったのか。

その理由は、一つは、太平洋戦争は日独伊三国同盟が原因だと考えていたのか。二つは、軍人の名はあげたくなかったのか。三つはA級戦犯であっても、絞首刑にならなかった者を名指ししたのか。結果は軍人でない官僚で、収監中に病気で死んで行った二人の名前を出した。ここに昭和天皇の孤独で複雑な考慮を感じる。

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名前も知らない木

2013-03-22 23:13:29 | 旅行

ハワイで日立の木を見た。「あの木、なんの木、気になる木、名前も知らない木ですから・・・」と、自然と口から出てしまう。だが、どうやら名前はあるらしい。「アメリカねむの木、別名、モンキー・ポッド・ツリー」というそうだ。南米産の外来種だという説もある。

初めて、テレビで映像を見たとき、神秘的な霧のかかった南米の大地に忽然と立っている大木をイメージしたが、私の勘はあながち外れてはいなかったようだ。しかし、俗的観光の局地であるハワイにあったというのは、些か幻滅であった。映像というのは大衆を惑わすに余りある。日立の木はメディア映像のもたらす幻影であったわけである。あらたまって、メディアというのは、はたして民間に任せていいものやら、いや、国家に任せたら、もっと怖いことになるような気もしないでもない。21世紀はメディアを国家が管理しょうとする国と、管理できないとする国との対立が生じるだろう。

〇先日コメントをくれたVANさんに

偶々知り合ったが故に、普通の別れができない。余計に別れが辛くなるなら、いっそ、新しい友は作らないほうが良いだろう、と思ってしまう。でも、ここで臆病になってはいけない。偶々幸運にも与えられた時間は、残された者として、それを享受できなかった者のために、精一杯生きていくことを、手向けとしましょう。

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The Bus 〈オアフ島の公共交通機関〉

2013-03-19 19:57:58 | 旅行

ハワイというのはオハフ島で、ホノルルのうちワイキキとそれにつながる海沿いの高級別荘地、これを我々はハワイと呼んでいるのかもしれない。ともかくハワイの歴史を知ろうと2番の路線バスでビショップ・ミュージアムに向かった。 

The Bus

2台のバスを連結したバカ長い車両のバスに乗ってみて、気づいたのは前の車両の半分のスペースは弱者の優待席でした。体の大きな障害者の車椅子が乗ると、それを紐で括りつけるなどして優待席のほとんどのスペースをとってしまう。

アメリカは障害者のケアに厚い国である。特に軍人の障害者を大切にしてるからだろう。しかし、合理性を追求するアメリカは、運転手は一人きり、特に女性運転手の場合などは、てんてこ舞いで車椅子を乗車させる。その間、他の乗客はじっと待っている。もう定時運行などはどこかへ行っちまえである。

同行者の体の調子が悪かったのでチャイナタウンを過ぎたところで、、停留所の表記も無く、果敢にトイレを求めて降りてみると、あたりは路上生活者のたむろする公園であった。カギのない公衆トイレで用を足し、いつ襲われるかもしれない恐怖も味わった。

また、バスに乗り込んで、よく見ると、車内は後に行くほど空気が苛立っているように感じる。シートは二人分でも、それすらいっぱいになるほどの小錦のような体格のポリネシア人、太りすぎて、その椅子すら座れず、まっすぐに立つことすら難儀になった四角い身体が哀しい。プア・ホワイトは本国にも大勢居ると聞くが、ハワイには、プア・ポリネシアもいるのではないだろうか。

それにつけても、高カロリー食が憎憎しい。本来のポリネシア人の豊かな体格は当然漁労に適した体格なのだろうが、実際それを使う職は少なく、日常のアメリカ的な食生活が彼らの健康自体を痛めていると考えてしまうのは、早とちりでしょうか?

クリーム・パイハムポテトロコモコ

路線バスに乗らなければ、知らなかったことでした。地上の楽園ハワイの陰を見た気がしました、・・・以上。

 

 

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ハワイのトロリーバス

2013-03-14 12:58:20 | 旅行

トロリーバスとは、車輪がゴム製の路面電車だと理解していた。先日、初めてハワイに行ったが、トロリーバスがあると聞いて興味津々。ところが、ハワイのトロリーバスはワイキキを中心とした日本の各ツアー会社が運行する自社専属バスであった。したがって、ワイキキの通りには、ツアー会社の色とりどりのバスがひっきりなしに走っている。しかし、そのバスに乗るにはツアーの発行するカードが必要で、相互の互換性がない。つまり自分のツアーのバスしか乗れないのだ。

 

二日目あたりから、奇妙なことに気がついた。バスには屋根があるが、(実は屋根のない2階だてバスもある。)窓はなく素通しで外が見れる。乗客にとっては外が見れて、風も気持ちが良い。しかし、それは自分たちが外から見られているということでもある。歩道を歩く人には奇妙な集団に映ったに相違ない。こんな事をやっているのは日本人だけだろう。(正確に言うと、JCBの運行するバスもあり、それには外国人も少し乗っている。)

時には、このトロリーバスのシステムを知らない中国人や韓国人は、金さえ払えば乗れると勘違いして、乗り込もうとして断られている。不満そうな黄色い顔よりも、黙って見ている白い顔の方が恐いものがある。日本人以外は、決して気持ちは良いものではないだろう。

他国に来て、斯くもあっけらかんと自国民の観光サービスを追及してよいものだろうか。海外旅行に慣れていない国民だといっても、他国の地で日本人旅行者がトロリーバスで嬌声をあげる。まるで劇場バスのようだ。この日本人が繰り広げるハワイ観光なるもの、何か上手く言えないが、きっと恥かしいことのような気がしてならない。自分が降りてみて、歩道から行きかう派手なトロリーバスを見てると、南国なのに背筋にヒャとしたものが走る。とかく日本人は暗いといわれるが、いやいや底抜けに明るい国民だ。見ようによっては周りを気にしない阿呆な国民性である。それをほほ笑ましいと感じてくれる外国人は居るんだろうか。

トロリーバスに乗れなかった中国人や韓国人も、日本に見習って自国のツアー会社専属のトロリーバスを運行するようになるのだろうか?そうしたらハワイのワイキキはアジア系人種のトロリーバスでいっぱいで、いつも渋滞してしまうことになるかもしれない。また、南国ハワイでも、極東三国の対立の火種にならない事をせつに祈るばかりである。

  ワイキキ海岸

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テレビも、たまには

2013-03-10 00:23:27 | 芸能

たまには、テレビも面白いことがある。

いつもはミュートにして、部屋の壁絵の替わりにしていたが、ふと見たとき、北野たけしと国分太一の司会の番組だった。

行儀作法のことで、確か部屋の上がり方を家元の女性が実演したときに、主人に背を見せないで横から上がる所作をしたときに、たけしが女性が風呂に入るときを連想して、「高級トルコのようだ」と評したら、間髪いれずに国分太一は「バカやろう」と言った。

国分太一は真面目に行儀作法の番組をやっているつもりで、それを高級トルコ嬢の仕草に譬えた北野たけしの言動を許せなかったのか、又は放送禁止を恐れた機敏な措置であったが、たけしの譬えはさすが往年のビート・タケシを髣髴とさせる切れの良さを感じさせた。

北野たけしは国分太一の強烈な罵倒に出鼻を挫かれたのか、「先輩に向かって馬鹿と言うとは、・・・」と、その場でも、番組の最後でも、そのことを蒸し返していた。浅草芸人出身の北野とジャニーズ出身の国分、両極の経歴を持つこの二人の司会者のテレビ対する向き合い方が、私にはとりわけ面白かった。

かつて、テレビ創世時代は、お茶の間に居ながらに非社会性・反社会性が公共電波に計算抜きに突如出現したものだ。

それが、テレビというメディアの瞬時性と意外性の骨頂でもあった。残念だが、それが、今はネットにしかない。

たけしの「先輩をバカ呼ばわりしていいものかね、云々」のうそぶきがフランスから勲章をもらった映画監督である芸人のプライドが言わせているのか?俄か映画監督の浅はかさを自覚して、計算して言っているのか、今一解らなかったが・・・。

おまけとして、国分太一も高級トルコなるところの経験があることを、図らずも露呈をしてしまった訳だ。テレビもたまには面白い。

 

○B級グルメシリーズ~昔ながらのラーメン

鎌倉なら、文句無く此処、「赤坂飯店」。観光客が行かない地元の名店。

ただし、注文が難しい、店主に聞かれるまで客の方から注文ができないのが、この店の決まりである。しかし、厳格な店主は順番を絶対に間違えないから安心である。

 

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