玄冬時代

日常の中で思いつくことを気の向くままに書いてみました。

議会が遠い

2014-12-25 18:48:45 | 政治

泰山鳴動して鼠一匹、多くの税金を使って、国民を選挙に行かせ、内閣で替わったのは防衛大臣一人であった。安倍首相は今回の選挙を行うにあたって、どこに目的があったのか、まったく判然としない。単なるアベノミクスの追認、消費税の延期の承認のためだけに選挙を行ったとは思えない。気にかかるのは、夙に、そして更に、議会が、政治が、国民から遠くなったということだろう。所詮、庶民の眼からは、解散権を振り回して抵抗勢力の出鼻を挫くとか、自民党の内部引き締めに選挙を利用した。長い目では、官僚主導の財政政策に歯止めをかけるために選挙を利用した。いずれも、自民党の幹部連の眼には国民が写っていない。単なる霞が関の赤絨毯の中での権力争いに選挙を使ったとしか思えない。

振り返れば、日清戦争から既に日本には不完全ながら議会があったのだ。それからの日本は、日露戦争、第一次大戦、満州事変、日華事変、太平洋戦争と、どれだけ右傾化して軍国国家に成長して行ったのか。軍部官僚の専断独走に対し、政党も政治家もほとんど抑止力にはならなかった。その間も、ずっと議会があったということだ。ましてや、議会から国民が離れれば、また、政治屋や官僚の独断専制が始まらないと、誰が断言できようか。憂うるべき前触れであると、今回の妙に静かな政情を、そう捉えたい。

先日、何十年ぶりかで湘南平に行きました。

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祭りの後

2014-12-20 22:32:22 | 日記

何も変わらなかった祭りの後。何事もなかったかのように一週間が過ぎた。一体何のための選挙だったのか。どこかに意図や目的があったとは思うのだが、我々庶民には解らない。それを解説するマスコミ人もいない。摩訶不思議な選挙、税金の無駄使いだった。あえて想像するに、あの女性が多かった内閣を何となく消去したかったのでないだろうか。みんなの私党は跡形もなく死滅した。東の王様が引退した次世代任せの党は極小党に陥落した。生活の党は党ではなくなった。自民党はほぼ変わらず、また春の例大祭に行きたがる女性大臣が何人出てくるのか。普通に見れば、現役大臣が靖国神社にお参りすれば、政治的行為と言われてもしょうがない。ほんとに戦争で亡くなった者を考えての行動ならば、是非とも「遊就館」の出口ひとつ前の英霊の写真が壁いっぱいに張られた部屋に入って平和を祈ってほしいものだ。それならば、誰も政治的行為とは言わないだろう。中国もA級戦犯のことを云わないだろう。

 靖国神社 大村益次郎銅像

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憂鬱な祭り

2014-12-12 10:24:50 | 愚痴

いつも選挙の時になると、日本には政党がないと思う。あれだけ多くの党があって、その意見なり主張が新聞に載っていても、今この国の先行きに苦言を呈する政党がないというのは実に情けないことだ。当座の選挙に勝つために国民に心地よいことを言わざるを得ないのは判るが、今の状態はそういう安閑とした事態ではなかろう。東北被災地に行って思ったことは、百年経っても元には戻らないだろう、ということが解った。それは地方の過疎地にも共通している。そこには人もいない、物もない、何より就業の場もない。ただ老人ばかりが残る。その時住民に向かって救済を並べる政治家たちは、どこからその資金を持ってくるつもりなのか。それは簡単に言えば、地方から都市への富の収奪に他ならない。それを長年にわたって続けてきた政党が自民党である。選挙のための地方優遇は政友会以来の党是でもある。財閥頼みは、政友会・民政党以来の旧弊でもある。

結局、安倍政権は株価を釣り上げ、円安にして為替利益を企業に付与し、法人税を下げて企業優遇し、それらの効果が出たら、財界にお願いして、勤め人の給料を挙げようとしている。その間国民の長年の貯蓄を担保に、日銀から空銭を発行して国の借金を一時的に隠蔽している。その程度の安っぽい了見しか持たない党でもある。お祭りで、安物、偽物、紛い物を並べる香具師の濁声の中で、買う物がないのに買わなきゃならない子供の境地に似ている。それが憂鬱な選挙という祭りの姿である。

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「申し訳ない」を安易に使うな

2014-12-09 23:41:32 | 愚痴

医師からの処方箋に有効期限が入っているのを知らなかった。薬局に出したら、もう期限が切れていると突っ返された。病院に電話したら、薬剤師に頼めば、担当医と話して処方できるかもしれない、と教えてくれた。それで、また薬局に行くと、薬剤師は自分では電話をしないと云う。止むを得ず、その場で私が病院に電話をしたら、今度はたらいまわしにされて、担当科の事務員が、「その処方箋は期限が過ぎれば無効だから、もう一度先生に頼んで出してもらうしかない。その場合は、健保が効かなくて、自費になる」との答えだった。何だか無性に情けなくなって、私は言った。「そんな不条理がある筈がない。それはおかしい」と。しかし事務員は何度も「申し訳ありません」と繰り返すだけだった。つい言ってしまった。「貴方の言った〈申し訳ない〉はこの場で使うような言葉としては適切ではない」と。彼の繰り返す〈申し訳ない〉という言葉は、ただ私を遮断している道具ように感じたのだ。〈申し訳ない〉はちゃんと努力したが、残念だけど実現できなかった時に使う言葉だと、私は心の中で思ったが、「貴方と話しても無駄なようだ」と電話を切った。横で、「ほら見たことか」と呆れた顔して失意の私を眺めていた薬剤師が「今は厚生労働省が厳しいのだ」と云った。

正直おかしいと思った。本当に病気で体が動かない人間が、処方箋の期限が過ぎて無効だからと、また病院に行き、長い時間順番を待って、やっと医師に面会し、再発行のために金を払う。どう見ても医療制度の本髄からずれている。

 家に戻って、もう一度別の薬局に電話をしてみた。そしたら、そこの薬剤師は「医療費請求が月を超すので病院は嫌がるけれど、一応電話してみます。もしダメな場合もあるから、わざわざ来るのは大変でしょうから、その処方箋をファックスで送ってくれ」との指示だった。結果は、薬は出ることになった。その薬を取りに薬局に向かっていると、携帯電話が鳴った。先ほど断った病院の事務員の上司らしい人から「すみません。よく判らない者が答えてしまって…」との謝罪があった。

 なんか情けなく、悲しくなった。日本の中に、外人の日本人が居るような時代になった。ゆとり教育なのか、グローバリゼーションなのか、なんでも強く大声で言った者が勝ちの世界だ。

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或る教師

2014-12-02 13:43:57 | 雑感

先週、中学のクラス会に行った。八十有余歳、矍鑠とした担任のA先生も出席された。かつて教壇で黒板に「修身斉家治国平天下」と白墨できれいに書かれたのを今でも思い出す。彼は、また、数か月かけて憲法前文をクラス全員に暗記させた。振り返ると、憲法前文はアメリカ型民主主義の缶詰のようなものだった。戦後教育の中で、今思うと学習指導要領を超えていて、彼は結構大胆なことをしたように思える。当時は随分年上だと思ったが、私たちの担任の時は三十歳前半であった。彼の若さの故の勇気だったと思う。しかし、どちらを教えるのが、彼にとっての本意だったのか、未だに判然としない。

最後に駅で別れたとき、握手して別れたが、次のクラス会は2020年としたので、お互い会えるかどうか、これも判然としない。

 

先月に行った証城寺(しょじょじ)のある街にて

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