ニュースにも品格が有ってほしい。近ごろのニュース番組は見るに堪えない。特に今週は韓国の客船転覆事故が酷い、目に余る品性のない報道ぶりだ。乗客に日本人は一人もいないのに、日本が救援に行っている訳でもないのに、記者は隣の国にわざわざ行って、船で海にまで漕ぎ出して長々と中継をし、人々が埠頭で泣き叫ぶ様子を、どう助けるわけでもないのに、延々と映している。どう見ても興味本位としか思えない。他人の家に土足で上がって、その家の不幸をただ眺めている。そういう事だよ。隣国の民の不幸と嗚咽を報道輸入して、自らが巻き込まれていないという安堵感と気持ちだけの同情を求めるだけのニュース。今まで他人の国の歴史教科書まで口を出してきた非常識な隣国に対して、こんどはまた、その報復ではないだろうが、ずいぶんと残酷な同情をそそぎこんでいるものだ。これじゃ、マスコミに関する限り、情けない隣国と同等の品性で、まさに同罪だよ。視聴率至上主義のマスコミだけの罪なのか。それとも、だんだん人々心が荒んできたのか。佐村河内、STAP細胞と、単なる興味本位だけで、あたりかまわずごったまぜで食い散らかす獰猛な報道番組の存在は、ただ恥ずかしく、嘆かわしいことだと思う。
日本の近現代史は、天皇に人間としての感情や行動があることを明確には言わないので、歴史上は天皇の存在が空白になってしまう。そのため歴史上の歪みが生まれる。孝明天皇が日米修好通商条約を忌避し、攘夷運動を自ら煽ったということを書いてある歴史書は少ない。一般的理解では、条約拒否で幕末日本の世論が沸騰し、それを受けて朝廷・天皇が浮上するというストーリーになっている。孝明天皇は、通商条約は「神州の瑕瑾」で「許すまじきこと」だと述べる。天皇の意を受けて朝廷の公家(近衛、三条、その他の平公家)は条約拒否に動いた。(井上勝生『幕末・維新』岩波新書)そこから尊王攘夷運動が盛んになった原因が生まれたとも言える。一方、「攘夷をとるか、開国をとるか、国論を二分する大問題となり、両派が朝廷に働きかけた」という教科書的表現はあたりさわりはないが、天皇の権力者としての存在が消えてしまう。
ところで、昭和においてはどうなのだろうか。戦後の天皇の「人間宣言」というのは、そう思うと、重いものがある。果たして、人間として戦争をどう考え、どう動いたのか。これもまた、この21世紀にあっても明解ではない。