玄冬時代

日常の中で思いつくことを気の向くままに書いてみました。

コロナと金メダル

2021-07-30 14:13:14 | あれこれ

オリンピックの金メダルはGDPの何百億円に値するとか。経済学者はそういうかも。

男女混合ダブルスの卓球で中国に勝てた。経済で抜かされた中国に一矢報いた感じがするが、負けた男女ペアは中国では国の恥だと言われているとか。その二人が中国に帰ってどういう扱いを受けるか心配だ。

スガはオリンピックの思い出として女子バレーとかヘーシンクを得意げに語っていたが、その後の重圧に負けた円谷もいたよね。今回もアメリカの女子体操の選手が重圧で棄権をした。

確かに金メダルはみんなが喜ぶ。だが、…少し経てば国民は忘れる。

金メダルはGDPでもなく、確かな精神的な高揚でもない。今のこの国では、コロナの辛さを一時的に忘れる興奮剤のようなものかもしれない。

金メダルの受賞者のゆかりの地に金色の郵便ポストができるとか、TVで見た。嘘のような話で確認もしたくない。本当にやるのなら、さすがにセンスのない気色悪い国(内閣官房だそうだが、…)だね。

今回のオリンピックで非常に嫌な事があった。開会式に一万個の弁当が注文され、四千個が廃棄されたという報道があった。開会式の観客は950人だったような、…。どこからこんな数量が出てきたのか!これも関係業界への配慮なのか。

この地上ではどれだけ人々が飢餓に遭っているのだろうか。近頃は、コロナ禍で明日の食べ物に困る人もいるはずだ。この決定的なミスはどうにかならなかったのかなあ。

せめて事前に察知して、上野公園の食事サービスなどに有効活用して欲しかった。

組織委員会の説明は「善意で作った人の気持ちもあるので、…」と取って付けたような業者擁護が余計に腹が立つ。「じゃ、弁当は無料ボランティアだったのか!と聞きたい」どうしてそうなったのか、徹底的に究明するメディアもない。

この国の政治、社会の歪みが異常なオリンピックの厄災と妙に呼応していることが新型コロナように怖い。世の中は金メダルで浮かれているけれど、とても気になる事件だ。

ワクチンの副反応のための解熱薬を買いに行ったが、既に売り切れていた。代替の薬を買ってきた。これが国民に課せられた「自助」努力なのかな、…。

 

 

 

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嘘をついた男

2021-07-29 11:20:17 | 

著者はエマニュアル・カレール、田中千春訳、すでに絶版で市販されていないとか。ネットの「一月万冊」で安富歩が推奨していた。

アマゾンで買ったら3万円とあったので、ケチな私は図書館から借りた。割合中身がないのか、全く解らないのか、乱読の合間で10日間ぐらいで読めた。

現在では、コロナで誰でも知っているWHOという国際機関に勤めるエリート医者を装い、しかも十八年間もずっと嘘ついてきた。周りは誰も嘘を気付かなかった。学生時代から付き合っていた薬剤師の妻も気づかなかった。

嘘がばれる刹那、妻と子供二人、自分の両親、妻の父親、みんな殺して、自らは使用期限切れの古い睡眠薬を飲んで家族の死体とともに家に火をつけて自殺しようとしたが、自分だけ火傷を負ったが、生き残ったという男(ジャン・クロード・ロマン)の話だ。

1993年に実際起こった事件で、本は1999年に刊行された。「事実は小説より奇なり」だ。自分はWHOに勤める医者だという嘘をついて、毎日、WHOのあるビルに行き、1階フロアで冊子やパンフを集め、決してオフィスには上がらない。

そんな生活を18年間続ける、信じられない無駄な空虚な時間だ。時には自分で計画を立てて、出張や旅行もする。遠くに愛人も作る。お金はみんな親族から、国際機関に勤める者の特別優遇された金利の預金ができると集めて、それを生活費に充てていたという。

 

でも考えてみると、私も家族を仕事場に一度も連れて行ったことはなかった。駅から見えるビルの窓を指して「あそこに居るんだよ」と妻に言ったかもしれない。それと同じことを、この主人公も家族にやっていた。ということは、本人がそうした架空の生活に耐えられれば誰でも可能なのかもしれない。

まあ、読み終わっても、何の感動もない。噓がバレれば、自分以外の人は消去しなければならなかったということかな。この人は無期懲役刑だが、フランスは22年間で出れるかもしれないとか。出てくれば61歳だそうだ。

さっき読み終えたばかりだから、これだけ覚えている。私も捨てたものじゃない。なんか感動もない、奇妙な読書時間だった。

でも、今の自分の生活も、死を待つ時間を単に浪費しているだけだから、同じかな!コロナ禍を生き延びたら、ネオ自民党の暗愚で乱暴な政治に殺されなかったら、少しは遠くに動き始めようと思いだした。

興味のある方は、お近くの図書館へ。

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コロナとオリンピック

2021-07-28 11:20:20 | あれこれ

元々、此のオリンピックは間違えていると思っていた。この国で開催するならば、東京以外でやって欲しかった。福島でも、北海道でも、沖縄でも。それなら諸手を挙げて応援できる。

元々、発案者が変な爺さんだった。彼は言語構造を逆転させる(文字をひっくり返す)癖の小説家を名のる政治屋だった。

例えば、「たちあがれ日本」「新銀行東京」「首都大学東京」みんな文字をひっくり返した。でも、みんな消滅したよ。又は元にもどるよ。

二度目の東京オリンピックは彼の時代錯誤ではないのか。

突然のコロナと前首相の決めた日程のオリンピックが重なって、今、この国には多くの課題を突き付けられた。

今回のコロナ禍では、まずアベノマスクで無駄遣い、GO TOキャンペーンでコロナ・ウィルスを全国にまきちらされた。しかも、みんな我々の税金を使ってだ。ほんとうに参りました!

PCR検査をやらない医者を雇う厚労省。ワクチンの値段と数量を公表しない政府。最後は、超赤字のオリンピックが強行される。みんな自分勝手だ!その為に庶民はまた税金を払うことになる。

政治家や官僚によって、勝手に使われる税金や公金。それを調査も報道も批判もしない既存のメディア。

今まで気が付かなったことを、見えなかったことを、いくつも見えてくる。コロナが教えてくれたのが、なんか寂しいねえ。

民主政治というものは、税金を払って、その経費で議員を雇って、主権者である国民の代わりに政治という面倒な仕事を代行してもらう制度だと思っていた。そのために代議士を選ぶ選挙がある。ところが、代議士たちは「選挙」は自分たちが上級国民=支配側になる為の手段か手続きと思っているようだ。

適切なコロナ防衛政策もなく、ただ自衛隊を使って非常時を煽り、目先の飲食店や酒屋を苛めるだけの無能な政府。

どこかの飲食業の社長が従業員に「ともかく投票に行こう」と呼びかけたそうだ。「自民党と公明党以外の党に投票しよう」と言う飲食店もあった。こういう身近なところから、ほんとうの民主政治が始まるんだと思う。

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近衛文麿と木戸幸一(終)

2021-07-27 11:25:11 | 近現代史

近衛はなぜ死んだのだろう。自らの尊厳とその血統と天皇・皇族を中心とした国体を護るために、自らその口を封じたのだろう。

その切っ掛けは、米国側の非情な措置にあったのではないか。

彼は1945年11月1日にGHQから憲法改正の役目を明確に否定された。そして9日に海上に浮かぶ戦艦に連れ込まれて、USSBS(アメリカ戦略爆撃調査団)の尋問を受けた。初めて「ミスター・コノエ」と呼ばれた。「プリンス・コノエ」ではなかった。この時に彼は自らの有罪を確信した筈だ。

一方、戦争政府の中枢に居た木戸幸一は、米国帰りの都留重人に「米国の論理は、あなたが無罪なら天皇は無罪。あなたが有罪なら天皇も有罪」と教えられた。

彼はその言を信じて、あらゆる者に敵対しても、自己の無罪を立証しようとした。天皇と自己の平和主義を立証するために『木戸日記』も差し出した。

彼は、USSBS(アメリカ戦略爆撃調査団)尋問を、近衛のように海上の戦艦ではなく、都心のビルの一室で受けた。

この差が二人の決定的な運命の別れになった。

12月16日の朝、木戸は自宅で近衛の自死をラジオで聞いた。宮内省の用意した自動車で木戸は巣鴨拘置所に入った。

その日、木戸は近衛の死を「甚だ残念なり」と日記に記した。

その後、木戸は巣鴨拘置所から市ヶ谷の極東裁判所への送迎バスの中で、多くの戦犯から罵声を浴びせられた。

『木戸日記』は同胞たちの有罪の証拠として利用されたのだ。

木戸は自分が無罪になれば、天皇も無罪になると信じていた。果たして、それは実現されたのだろうか。

『木戸日記』を読んで、天皇が戦争に全く無関係なロボットであったと読み取る人はいないだろう。

天皇はマッカーサーの便利な占領統治装置として残されたのである。

逆に、GHQは天皇を残したから、木戸を有罪だが極刑にしなかった。

多分、広田弘毅が近衛と木戸の身代わりになったではないか。

広田は天皇の身代わりだと信じていたが、…。

【参考文献:工藤美代子『われ巣鴨に出頭せず』、『木戸日記 東京裁判期』、城山三郎『落日燃ゆ』】

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開会式を見ない自由

2021-07-26 11:17:35 | ブツブツ

確かに阿部兄弟の金メダルは目頭が熱くなった。これからも、こういうシーンがいっぱいあるだろう。そのたびに涙腺が緩むよ、年寄りだから。

だが、私は「開会式」を見ていない。私には開会式を見ない自由がある。まだ現憲法であるうちは、私を捕縛する法律はない。「今回のオリンピックは最初から間違えていたのではないか」と言う自由もある。

振り返れば、私は石原慎太郎が嫌いだ。小沢一郎も怖かった。しかし、橋下徹が出てきたときに、この国の変調に気づいた。

そして、おとなしそうな顔して、後藤健二さんを見殺しにしたときに安倍晋三という自分以外の人間の命を軽く考える男の害悪に気づいた。そして、その横で手足となって動いていた怪しい官房長官の気持ち悪さを感じた。

その男はどこかの外国メディアに「オリンピックを中止することは簡単だ」と言った。

いや、それは明らかに違う。「君にはオリンピック中止を国民に説明できる能力も信頼も、そして人格もない」だから、「安心・安全」という題目を唱えて進むしかできなかったのだよ。

それぐらいの自己分析もできない男だから、独裁者にもなる危険がある。自らの無学を反省せず、他者を拒否し排除する反動に変える人間は、この国の首相にはふさわしくない。

自民党は安倍の後任の人選すらまともにできなかった。この党は自ずから潰れていくのではないか。

近頃は地上の汚いものばかり見るから、空が雲が目に残る。

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