最近は地上波のテレビを敬遠している。もっぱらBSかケーブルを見ている。先日も『ミスター・グッドバーを探して』という映画を見た。何となく題名は知っていたが、当時は映画のチケットも高かったので、見る機会を逸していた。見ている途中で、これは典型的な70年代の映画であると思った。
終わり方は、妙に斜に構えた暗くて救いのない終幕であった。高学歴で品が良さそうだが、世の中の裏側も知っている自我の強い女性教師役を、人が良さそうで好感度の高い美人顔のダイアン・キートンが演じていた。だから、いつものとおりに終わりはハッピーエンドかと思ったが、豈に図らんや、当時フリーセックスが若者の先端の生き方というのを基調として、その時代の問題事象の解答を求めず、個人的な障害という枠で結末だけを投げつけ、バラバラにして落下させてしまった、と言う終わり方であった。
筋は簡単に言えば、聾唖学校の女教師が毎夜男を漁りにバー行き、ヤクにも手を染め、自らの持つ身体的な障害に捉われ、そこからの脱出ができず、最後はバーで拾ったゲイに殺されるという映画であった。
見た後の不快感から、題名がどうも気にかかって調べてみると、 GOODBAR→とまり木、そして良い棒とのこと。ああ、失笑ものだ。一種の米国版の東電OL事件とも言えるだろうし、ベトナム戦争時代の若者の一つの転落行動パターンとも片付けられる。
感想はと言えば、若い頃に見逃した映画を見れたという小さな納得と、リチャード・ギアの駆け出し頃を見ることができたというぐらいか。