玄冬時代

日常の中で思いつくことを気の向くままに書いてみました。

この国の人々

2021-10-29 19:01:59 | あれこれ

大分コロナが収まってきたようだが、町に出て駅前広場を眺めても、マスクをしていない人が一人もいない。いかにも、この国の人々だと思った。

自民党は比例では負けないらしい。確かに立民党は魅力がない。立憲主義と言って解る人がどれだけいるんだ?そんなことも分からない頭でっかちがリーダーだから。

モリ・カケ・サクラがあったお陰で何度か時間の無駄遣いの予算委員会を見た。

結果、記憶に残る質問をしたのは立民の小川淳也、国民の大塚耕平、共産の山添拓だけだった。要するに、野党も老害議員が多過ぎるのである。

予算委員会なのだから、本当の予算(一般会計と特別会計を合わせた国家財政の全体予算)の中身の議論をしたらどうなるやら。野党も勉強不足だし、答える首相や閣僚も何も答えられない。これがこの国の国会と政府の実力なのであろう。

明日は「国民審査」の為に裁判官を選別する作業をしよう。あまり意味がないと思うが、主権者の側に立たない不遜な裁判官に✖を付けるために!!

そういえば、この国の憲法だが、GHQから渡された英文は” We, the Japanese people,…“だったから、最初は律儀に「人民」と訳されたそうである。

当時の政府がGHQに泣きついて「国民」なったとか。今となっては、「人民」なら面白かったが、・・・。

コロナ禍にあって、空を見ることが多くなった。

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選挙に行かない理由

2021-10-28 11:30:19 | ブツブツ

若い頃、選挙に行かなかった。その理由はどの政党も、どの政治家も気に入らなかったからだ。かと言って、自ら政治に関わることも嫌だったのだからしょうがない。

当時は、社会党は空想的社会主義者のような気がした。自民党は経済だけの現実論だけで理想も理念もなかった。したがって、右傾や独裁の危険もなかった。両者とも好きではなかったが、自民党にも一部良識があった。

今は、経済排他水域やアラートと必要以上に危機を煽って、国防意識を高め、憲法改正に持ち込もうとしている。これは懐旧的で幼稚な国家主義という理念?なのかな。

今や、自民党が右傾の理念党になって、情報操作も平気でやる独裁政権を目指している。野党の立民党は単に議員の地位と報酬を守る現実主義のリクルート党になっている。

多くの若者は投票所に行っても、反自民であっても投票する政党が見当たらない、という状況だろう。

それで已む無く、野党に投票すれば【山が動いた】と言う人もいる?全く呆れる話だ。

頭を使って動いて欲しいのはまず野党だよ!野党には、長妻氏のように大量の質問主意書で下っ端官僚を虐めるよりも、かつての石井紘基のような鋭い洞察を持った政治家が欲しい。だから石井紘基は暗殺されてしまったけれど。

近頃、財務事務次官がバラマキ政策を批判したけれど、石井紘基が生きていれば何と言っただろうか!バラ撒く前に官僚が勝手に費消しているのではないか!

ただ、自民党の安倍や麻生や菅や二階や甘利、など・・・権力者たちの不正が罰せられないのは民主国家として成立していないことだ。

この際、選挙の時だけ主権を保有できる国民が、彼らに落選や退潮の恐怖を与えてやらなければ、彼らはまた同じことをやるでしょう。そのためにも、嫌々、非自民として野党に投票しに行くのでしょうかねえ・・・。

昔は、歩きたばこ禁止だったが、…。時代は変わった。

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岩波新書について ―終わり―

2021-10-27 11:36:58 | 

近頃、「忖度」という言葉が公用語になりました。昔は、この言葉より、「気配り」とか「ゴマスリ」と言っていたような、時に、それが度が過ぎていた場合に「阿る」「諂う」と言っていたような気がします。

「忖度」が一般語化した背景には、本来権力者に媚びない職業であるべきの公務員やマスコミ・出版関係者に権力者への「顔色窺い」や「従属性」が現れたからかもしれません。

この国には、まだ定説となっていない新しい論考を載せる「新書」という出版形式があります。俗に三大新書(岩波、中公、講談社)と言われても、時代のエポックを巧みに躱しながら、権力と正面衝突をしないというのが、長続きさせるコツなのかもしれません。時に『語らない』、時に『とぼける』という行動を選択する場合もあるのでしょう。

この國は「戦争に負けた」ことを「戦争を(天皇が)終わらせた」という「終戦」という言葉を今日まで使ってきました。

岩波新書の「巻末挨拶」は巻末に在っても、その実は「刊行挨拶」であると思います。

1949年の戦後の再刊にあたって、「崩壊と荒廃の中から立ち上がる」と論壇を再生しました。しかし、60年安保では語らず、ただ沈黙しました。やっと70年安保になって、戦争は「敗戦」だったと認めました。

ところが、その後に日中国交正常化をしました。その際に中国は先の戦争は日本の軍閥が起こしたもので、決して国民に責任はないという理解をしてくれました。その中国の好意を真に受けて、岩波書店は僅か7年後の1977年に、「日本軍部は中国に侵攻し」という一文を入れました。そして「戦争は終わった」という言葉も使いました。

その後、この国の政府は、元号法を成立させ、8・15を終戦記念日と定め、天皇在位60年を祝いました。

そこでまた、約10年後の1988年「日本軍部は日中戦争の全面化を強行し」と軍部の責任を現す一文を挿入し、天皇と国民の戦争責任に触れない立場をとりました。

本来は、時代の表象の変化を捉えて、刊行挨拶を変えるべきなのでしょうが、昭和天皇崩御に、加えて、ベルリンの壁崩壊も、運悪く一年後であったため対応できませんでした。

一旦、機を逃すと、事件はそう都合よく起きません。そのまま漫然と時間が経ちました。

漸く2006年になって、自社の刊行部数をきっかけに、戦争の関わることは「過去のモノ」として葬り、主に未来に目を向けた刊行挨拶としました。

以上が、私の少々勝手な、岩波新書の「巻末挨拶」に関わる「戦争の(責任)の捉え方」の感想や気付きです。

2006年以降現在まで、この國は、特定秘密保護法・集団的自衛権憲法解釈・安保関連法と急速な右傾化の道を進んでいます。そろそろ刊行挨拶を変える時期であろうと思います。下手して「憲法改正」がやってくると、また難しいことになってしまいそうです。

我家の書架には数十冊の岩波新書があります。そこに一冊だけ「巻末挨拶」がないモノがありました。それは丸山真男『日本の思想』1961年版です。丸山は1949年の「巻末挨拶」が気に入らなかったのではないか、と勝手に想像しています、…?参考までに以下に添付します。

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松山に行きました

2021-10-26 11:32:24 | 旅行

市電に乗ってみると、松山城の中に県庁も市役所もあるようです。そこで、ふと思い出しました。

加計学園騒ぎの時、立民党の議員は愛媛県庁に突撃訪問をして門前払いをされたのをTVで見ました。その前には森友学園にも突撃しましたよね。それに必ず付いて行く大勢のマスコミ記者、一種のイベントでした。

あまりのバカさ加減に唖然!!国会議員たるもの事前連絡もせずに突撃するのか?そんなことの為に税金を使うのか!あれ以来、立民党の古い議員を信用しなくなりました。(余談です)

多分、ここは松山市の一大繁華街なのでしょう。

道路上のアートの立派さに少し驚き。

街はキレイで小ジャレた店も発見しました。三越もありました。でも?この町はよそ者に冷たいように感じます。「坊っちゃん」のイメージですかね。それともコロナへの警戒感かしら?

こちらもコロナの自粛疲れで、帰りは無理をせずに飛行機で帰りました。忙しい旅でしたが、日本人の同調性は随所で感じられたました。欧米と違って、このマスクの王国は被害を少なくしているのかもしれません。

でも、約2年間、アホな政治家や利権漁りの企業、そして医系官僚の非人間性を見てしまうと、この先は明るくない気がします。ともかく、また当分は湘南の田舎で静かにしていよう。

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愛媛県へ行ってきました

2021-10-25 11:20:05 | 旅行

実は先週のこと、コロナが収まりそうだったので、先を見越して自分GO TOをやってきました。どうしても会わなければならない人に会ってきました。ほぼ2年ぶりですか、元気だったので安心しました。

私は根っからの飛行機嫌いです。仕事以外では、北海道と九州以外は飛行機に乗りません。いつもの通り、新幹線ですが、今度ばかりは勝手が違いました。

必ず、熱海あたりからビールを飲んでホロ酔いで京都に着く。ところが新幹線の中は整然としたものでした。酒はもちろん、コーヒーすらマスクを外すのを躊躇する程の張りつめた空間でした。

やっと岡山を降りて、予讃線の「汐風」にのって、松山をめざしました。

風景は見慣れた四国でした。 

今治はよく見ました。例の加計学園の大学ビルは見えたような気もしました。

私は四国と縁が深く、よく行きますが、愛媛は過去に一回しか行っていません。

もともと松山には市電があって、予約した宿までそれを利用しようと思っていたのですが、駅を降りて驚いたことに、目につく所に市内の案内図や宿の地図も見当たらないのです。観光地なのに、驚くほど他者のことを配慮していない町だと改めて気づきました。

どうも目が悪いせいか、グーグルのマップでも降りる駅が判然としないのは参りました。多分あまりに旅行をしなかったので、そうした能力が退化してしまったのかもしれません。

では、次回に・・・。

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