先月ネットで、いまだに御巣鷹山の飛行機事故のことを書いている元スチュワーデスがいると知って、その本を買った。以前から日航機の事故には腑に落ちないものがあった。特大のジャンボジェット機なのに、この狭い日本になのに、墜落場所の発見があまりに時間が掛ったからである。
その後、事故の原因はボーイング社の修理ミスということで一応決着したが、墜落機発見までの16時間が不信感を根付かせた。一部では、日米地位協定によってレーダーが使えなかったから、或いは、米軍の軍事機密の関係で遅れたと囁かれた。
青山透子氏の著述では、「自衛隊の練習用ミサイルが仮想敵機として民間機を撃ってしまった」との説である。バカバカしさに唖然とした。
本読み終えた後、パソコンに作成している年表に1985年8月12日「日航123便事故」と記入した時に、下段にあった「8月15日、中曽根首相の公式の靖国神社参拝」という項目が目にはいった。
よもや、まさかの世界である。もし、日航123便の事故が自衛隊の練習ミサイルの誤射だったとしたら、どうなるであろうか。
答えは簡単である。たかが自衛隊の練習ミサイルが、500余人の人命を奪ったとなれば、三日後の中曽根首相の靖國神社参拝は一瞬にしてふっとんだ。今日の自衛隊の憲法9条挿入の議論もあったかどうかも、怪しいものである。
中曽根首相の回想では「日航ジャンボ機の事故の情報は、・・・私が合図するまでは公式に発表してはならん」と指示したとある。
大飛行機事故であったが、首相という権力体は、国民への事故災害の情報にさえ、介入するものなのだろうか。
これを陰謀論と、都市伝説とみるか、よもや、この国でもケネディ暗殺事件があったと捉えるかは、それぞれの自由であろう。
日本航空では、この事故に限って、「遺族への配慮」という理由でボイスレコーダーは公開されていない。あれから33年以上、いまだ風化するきざしがないのでは・・・。