玄冬時代

日常の中で思いつくことを気の向くままに書いてみました。

「まさか」のこと

2019-05-29 21:32:35 | 雑感

先月ネットで、いまだに御巣鷹山の飛行機事故のことを書いている元スチュワーデスがいると知って、その本を買った。以前から日航機の事故には腑に落ちないものがあった。特大のジャンボジェット機なのに、この狭い日本になのに、墜落場所の発見があまりに時間が掛ったからである。

その後、事故の原因はボーイング社の修理ミスということで一応決着したが、墜落機発見までの16時間が不信感を根付かせた。一部では、日米地位協定によってレーダーが使えなかったから、或いは、米軍の軍事機密の関係で遅れたと囁かれた。

青山透子氏の著述では、「自衛隊の練習用ミサイルが仮想敵機として民間機を撃ってしまった」との説である。バカバカしさに唖然とした。

本読み終えた後、パソコンに作成している年表に1985812日「日航123便事故」と記入した時に、下段にあった「8月15日、中曽根首相の公式の靖国神社参拝」という項目が目にはいった。

よもや、まさかの世界である。もし、日航123便の事故が自衛隊の練習ミサイルの誤射だったとしたら、どうなるであろうか。

答えは簡単である。たかが自衛隊の練習ミサイルが、500余人の人命を奪ったとなれば、三日後の中曽根首相の靖國神社参拝は一瞬にしてふっとんだ。今日の自衛隊の憲法9条挿入の議論もあったかどうかも、怪しいものである。

中曽根首相の回想では「日航ジャンボ機の事故の情報は、・・・私が合図するまでは公式に発表してはならん」と指示したとある。

大飛行機事故であったが、首相という権力体は、国民への事故災害の情報にさえ、介入するものなのだろうか。

これを陰謀論と、都市伝説とみるか、よもや、この国でもケネディ暗殺事件があったと捉えるかは、それぞれの自由であろう。

日本航空では、この事故に限って、「遺族への配慮」という理由でボイスレコーダーは公開されていない。あれから33年以上、いまだ風化するきざしがないのでは・・・。

日航123便墜落の新事実  目撃証言から真相に迫る


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修正されていた日本国憲法

2019-05-25 21:16:30 | 憲法

日本国憲法は、かつて敗戦時に、戦勝国のアメリカから押し付けられたという見方がある。しかし、現憲法は、国会において適正な改正の手続きが取られていることに言及する者は多くない。 

最近、国立公文書館所蔵の衆議院可決後の最終案を見た。衆議院での、かなりの訂正、修正事項があることに驚かされた。どこかのあまり教養があるとは思えない首相が、事あるごとに、「みっともない憲法前文」も多くの修正や訂正によって成立していた。 

例えば、修正後の言葉としては、「諸国民との協和による成果」「自由のもたらす恵沢」「ここに主権が国民に存する」「国民の厳粛な信託」「その福利は国民がこれを享受」「恒久の平和を念願」とか、修正箇所は訳文の平易な言葉から漢文的な強い言葉に変わっていた。 

これらを見ると、一概に、押し付けられたとは言い難い気がしている。もっとも、ABE氏は全部が気にいらないのであろうが、とくに、「平和を愛する世界の諸国民の公正と信義に信頼して、我等の安全と生存を保持しようと決意した」という文章が一番気に入らないのであろう。 

確かに、中学生時代にこの文章を見た時に、些か現実性のない国家防衛策だと感じたが、昨今、「戦争をしなければ、北方領土を返還できない」と言い出す超非現実主義者の国会議員を見ると、この程度で良いのではないか、と思わざるを得ない。最近は粗忽で軽はずみな議員が多すぎる。困ったことである。

【参照文献:週刊朝日百科112「日本国憲法」『日本の歴史』朝日新聞社2004年】

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かつて戦う新聞人がいた

2019-05-18 10:26:03 | 雑感

戦前だが、桐生悠々という新聞記者がいた。信濃毎日新聞で、1933年8月11日の「関東防空大演習を嗤う」という社説を書いて退職させられた。

彼は、戦争や軍部を直接批判したのではなく、「東京上空で敵を迎え撃つという陸軍の作戦が滑稽だ」と云ったのである。

また「将来帝都の空に敵機を向かえたら、それこそ敵に対して和を求めるべき」状況であろうという当然の理を述べただけである。

にもかかわらず、彼は在郷軍人会の新聞不買運動によって、退職を余儀なくされたのである。正常なものの考え方が、一部の民衆の圧力で封殺された。この時から、日本は相当におかしかった。もう事実上、戦争への道に突入していたのだろう。

彼がこの主張をしたときは、1932年5・15事件の後で、1933年国際連盟脱退の直後に、軍国化になだれ込む中で、ただ合理的に、その帝都に敵機を迎えることが、既に敗戦だということを明らかにしただけである。事実、10年後にはそれが現実のことになった。

彼は1941年9月に亡くなっている。結果として1941年12月からの太平洋戦争の予想し、1945年3月の東京大空襲を予言していた。

戦争の責任は軍部や天皇制国家にあるばかりか、一般国民、特に在野の在郷軍人たちが地方組織の末端で与していたことを歴史に爪痕として残していった。

そして、何よりも、桐生の行動を冷ややかに黙殺したマスコミの懈怠も同罪であった。

彼は、蟋蟀(こおろぎ)は鳴き続けたり嵐の夜 という句を残していた。悲しくも、暗示させる深い句であると思う。(鎌田慧『反骨のジャーナリスト』岩波新書より)

今年の春は、梨の花を発見した。


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権力側のマスコミは無用

2019-05-16 22:09:00 | ブツブツ

権力と戦えないマスコミは、国民の支持や賞賛を受けない。今のマス・メディアは、新聞社もテレビ局も、政府広報メディア、企業広告メディアでしかない。

近頃、マスコミは、森友・加計を語らない。韓国の徴用工への賠償の実体を語らない。皇孫の学校にナイフを置いた犯人の動機も明かない。芸能人の覚せい剤スキャンダルや相撲協会・アメフト協会の不祥事は飽きるほどに徹底的に扱うくせに、国民にとって本当に必要なこと、大事なことは何も知らせない。努めて、あたり障りのない事ばかりを扱っている。

だからなのか、民放のニュース番組は、毎日、延々と天気予報ばかりやっている。

もうこの国のマスコミは、「権力を監視する」という、その存在の意義さえも失い、重度の政権忖度病に侵されているようだ。

今や、政府の広報誌や官報と同様な情報メディア程度に成り下がっている。こんなマスコミはもういらない。少なくとも、情報商品としての価値を疑う。

もうテレビは娯楽番組だけでいい。新聞は政治欄をやめて、趣味欄や文化欄を基本に発行すればいいだろう。

今年も、春が来てくれた。

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緊急事態条項と家族

2019-05-12 10:20:00 | 憲法

先日のネットの「永田町フ―ウン録」で、平野貞夫氏が悲痛な顔で云った。「今の安倍政権が進める改憲は9条ではない。既に法律的に集団的自衛権は行使できるのだから、それが主眼ではない。実は他の改憲項目が問題なのである」それでは何かと云うと、「家族と緊急事態条項」だと言った。

なんかいまさら、家族?を中心とした、その天皇を親とし、国家を家族になぞらえた戦前の天皇制を言っているのだろうし、緊急事態条項も北朝鮮などの非常時態の時の建物物移動とかが、頭をかすめた。

今更、軍需工場の総動員体制でもなかろうにと、…。ましてや、徴兵制などは?と打ち消したが、唐突感は否めなかった。

ところが、近年の「日本会議」関係の本では、櫻井よしこ氏は、9条改正を語らず、緊急事態条項と家族の2点しか語らなかったとのことであった。

何かが、ピンと来た。アメリカは北朝鮮やイスラム圏との緊張をむしろ望んでいるのではないか。そして、日本に対して、戦費、つまり自国の軍需産業を守るために、より以上の軍備調達を求めるとしたら、アメリカの法外な軍事製品を購入するには、今の日本は貧乏になり過ぎた。

その時にこそ、緊急事態条項を使って、肥大した福祉や年金をむりやりに削って、高価な米国の兵器を購入・調達するのではないか。

そのために国会を通さない政令(勅令)による予算執行をめざしているのではないか。だから、による平なのである。これはでき過ぎかな?でも、安倍は怖い。これは事実だ。

戦争中毒―アメリカが軍国主義を脱け出せない本当の理由 日本会議の研究 (扶桑社新書)

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