玄冬時代

日常の中で思いつくことを気の向くままに書いてみました。

夏まっさかり

2016-07-30 09:40:19 | 雑感

人の一生を春夏秋冬の四季に譬えるならば、他者から見られる私の一生は秋から冬へ映ろうとしている。

それとは別に、周りの季節は自然界の摂理によって普通に進行して行く。今、夏真っ盛りである。春から夏、眼に映るものはみんな成長していく。収穫の時期も近い。

 成長し過ぎか!

稲の成長は順調!

尤も、晩年の私にはこの先に何の収穫があるのだろうか、…。亡き母から聞いた関東大震災のような大地震も眼にした。高度成長もバブルもあったよ。

常に他者からの圧力によって、明治維新、平和憲法とその形を自在に変貌してきたこの國も、どうやら今度こそは、内部からの世代の交替、或いは、無責任な煽動や情報の操作によって大きく変えられるのかもしれない。その先の世界は何なのかを全く知らされることもなく。

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東京都民ではないけれど・・・

2016-07-19 15:28:21 | 雑感

東京都民ではないけれど知事選には関心がある。リオに行って次の開催都市の代表を演じるには劇場型人間なら見映えがいいだろう。でも帰って来てからは、無難に行政を行うのは、実務的人間の方が安心だろう。

しかし、あの参院選の結果の真偽を確認するためには、老ジャーナリストの活躍を期待したい。たとえ任期途中で倒れて、また選挙をしなければならない危険性もあるが、それでも、本当に有権者の質が変質したのか、確認したいものだ。

かつて、浮動票、或いは、無党派層の中には、政治的な意識は高いが、何らかの理由で投票行動をしない人々が相当数居ると思われていた。今回の参院選でも、憲法改正の危機ということで、満を持して忽然と現れて、当然のように投票行動を起こすものと期待していた。

ところが、参議院の選挙結果からは、そのような特徴は全く窺えなかった。知的な無党派層と言うのはもはや幻想に過ぎないのかもしれない。参議院選挙に来ない有権者の約半分は、確乎とした政治的な意思や信条を持って投票行動を行わないのではなく、悲しい事に、実際に行われている政治の内容、出来事そのものを理解できないで、政治に関心を持っていないという人々が相当数占めているのかもしれない。

今回の都知事選は、所謂、浮動票・無党派層の一種の政治的なリトマス試験紙と成るのかも知れない。

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振り子の理論

2016-07-14 01:29:56 | 雑感

なんか世代の端っこに置かれたような気がした。参院選挙の後だけど、・・・。

かつて、我々世代の上の人たちは、自由民主党は増長すると俗悪金権党に変わるから、危ない時はいつも反対党に入れるんだよ、―『振り子の理論』という旧世代からの暗黙の遺言があったが、いつの間にか失効してしまったようだ。

戦後70年、時代の筋目が変わった、とか言ってたかな。老ジャーナリストが身をもって、そのことをもう一度、都知事選で確認してくれるという。まだこの国も捨てたものではないようだ。

 妖怪婆さんが出てきそうなトンネル

「千と千尋の神隠し」のモデルとなったとか。

於四万温泉(拡大クリックを!)

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ムッとしたこと

2016-07-05 14:25:58 | 愚痴

運転免許の更新に警察へ行った。カウンターの女性職員から「軽度の違反」があったので、別の日に講習を受けるように言われた。今度はゴールド・カードではないそうだ。何故だかムッとした。こういう時に、無性に腹が立ち、文句が言えない暴力を受けたと感じる。

3年前だったかな、農道を前の車に着いて走っていた。突然警官が旗を持って現れ、畑の空き地に誘導されて、10台ぐらいが一網打尽に捕獲された。40キロ道路を50キロで走っていたが、歩行者が誰もいないきわめて安全な道だったが。思い出せば、20代でも、中央高速で前の車と一緒に走っていたら、速度違反で免停になった。その時も3月だった。年度末3月に必ず行われる各警察署の悪名高い違反件数稼ぎのネズミ捕りだ。そんな馬鹿げたことが約半世紀間も延々と行われている。誰も文句が言えないのだ。合法的武力を持つ機関の公然の弱い者いじめだ。

多分だけど、このまま今の自民党内閣が進める方向に、国を向かわせるということは、こういった庶民のムッとした感情がどんどん累積される社会に向かうという事だろう。アベノミクスなんて、とても経済政策と言えるような立派な代物ではないようだ。単なる円安と株高の景気の刺激策と、儲かった大企業に社員の給料の値上げを懇願するだけの、その場しのぎのおっつけ仕事で、結局は国民の一部と大企業への諂い行為でしかない。

最近は、こういうことを愚痴として言うだけで、別に誰も聞かなくてもいいと思う。EU離脱の国民投票で考えさせられた。残された時間が短い人間たちは、将来の国の行き先を決定付ける1票を投じる資格があるのだろうか、悩んでしまう。

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