玄冬時代

日常の中で思いつくことを気の向くままに書いてみました。

尊王攘夷と原理運動

2015-09-29 23:34:42 | 

勝手な思い込みというのはよくあるものだ。後から気づくと、恥ずかしくて一人で赤面してしまう。先日、古本屋で、アーネスト・サトウの『一外交官の見た明治維新』を手に入れた。結構読み込んでから気が付いた。私は、ずっと歴史上の人物として、アーネスト佐藤だと思い込んでいたのだ。多分その思い込みの先には、幕末に通訳として活躍したジョン万次郎の存在があったからなのだろう。実際の名前は、Sir Ernest Satow だった。彼には日本の血は一滴たりとも混じっていなかった訳である。これでまちがえた知識を一つなおすことができた。

この本は、本国イギリスでは1921年に出版されていたが、戦前は禁書として扱われ、戦後昭和35年になって、やっと日本語に訳されて岩波書店から出版されていた。確かに、その内容は、明治政府の造った歴史とは自ずから違ってくるようである。

例えば、「生麦事件」では、外国人を切るように命じたのは島津久光、その人だとアーネスト・サトウは云っている。我々の一般常識では、「大名行列を知らない外国人が馬に乗ったまま大名行列を横切ったのを先頭の武士が慣習に則って失礼な外国人を切ってしまった」というのが歴史的事実になっていたと思うが、歴史の真実というのは、いろんな見方があるようだ。前々から、私も、島津久光は既に息子に家督を継がせた隠居の身なのに、それが正式の大名行列にあたるのかという素朴な疑問があったのだが、とかく歴史というのは、支配者の側の見方で造られているようである。

当時外国人は、居留地の横浜を一歩でも外に出ると、いつでも尊王攘夷の志士の刃の犠牲になる危険性があったそうである。“尊皇攘夷”というのは、現代に置き換えると、どうもイスラム・シーア派などの原理運動と相通ずるものがあると、私は考えてしまう。いわゆる文明の衝突だと。イスラム教の原理運動と日本の幕末の尊皇攘夷が同類項なんてとんでもない、イスラムの世界を知らな過ぎると批判する人もいるだろう。でも、私は、刀と爆弾という殺傷能力の差異に惑わされているのだと、抗弁をしてみたくなる。

◇湘南百景◇(江の島から)

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強行採決の後はお決まりのゴルフ

2015-09-22 15:24:17 | 時事

何度見てきたことだろう。この二つのシーンの連続。お久しぶりの、昔々のとおりの自民党の強行採決シーン。若いころから何度も見てきて、すっかり目に焼き付いてしまった。彼らはみんな二代目三代目たち、それぞれのお爺さんが、お父さんがやったように、難しい国会運営がやっと終わって、その後は自分たちへの御褒美とばかりにゴルフに興じる。何十年経とうと、相も変わらない風景が繰り返される。

今回の安保法制は、憲法を守らない政治家が、多数決という力で憲法の壁を突き破り、法治国家を内部から剥落させた墓標となった。

ところで、野党は一体何をしたのだろうか。与党の多数決という力の強行採決に、肉体的な力でぶつかって行っただけだった。両者とも、理屈でなく、力なのが、愚かしくも哀しいできごとだった。国民の真意は、今回の安保法制は、憲法改正に関わる重大なことなので、国会ではなく国民の手に委ねることを求めていたのだ。

自民党も、その他野党も、自分たちは国民の代表者で、且つ為政者の側であると考えていた。その裏には、自分たちは国家の支配者でもあるという自負が見え隠れする。しかし、国民は、集団的自衛権なるものは、今の政治家たちには荷が重すぎるとして、国会で決めるなということを主張したのである。

消費税の付加時期を伸ばすかどうかをわざわざ選挙で国民に聞いておいて、戦争に巻き込まれるかもしれない重大な法律の制定をまったく国民に問わない。こんな理不尽な政府はあってはならない。自民党は、未だに国民主権を認めないばかりか、裏表のある姑息で卑怯なやり手婆のような党なのである。野党は、自らの無力を隠蔽して、あくまでも為政者であり続けようとする、夜郎自大で粘着質の与太郎のような党なのである。

どちらにせよ、安保法案の結末は、ああなるのはみんな大人たちは解っていたが、今の若い人たちが国会周辺に集まり、また、憲法に関心を持つようになったことは、この国の僅か70年の民主主義を、彼らがこれからも造って行くのにきっと良いことだろう。また、若者は選挙に行かないと、とんでもなく不実な奴らに戦争に行かされるということの危険を肌で感じたはずだ。それこそが今回の唯一の成果であった。

   壁、それぞれ

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沖縄時間(ウチナータイム)でいきましょう

2015-09-15 13:37:06 | 政治

初めて沖縄に行った時、空港で1時間近く持たされました。実はガイドが遅刻したのだ。その時に、沖縄には南国独特の時間感覚が存在し、それをウチナータイムというのがあることを知った。普天間基地の移設は、ウチナータイムで、ゆっくり時間をかけて、日本全体の問題として考えたいものだ。

現在の普天間基地の周りには住宅がびっしりと張り付いている。それを知っていて住み付いたのだから基地の騒音に反対するのはおかしいと云う者がいる。一瞬正しいような説明のように聞こえるけれど、それって貧乏人は黙ってろ!という意味なのだ。基地の周りは他に比べて地価が安いのだから、騒音や危険があってもしょうがないということだ。そんなことを厚木基地や横田基地の周りの住民に対しても言えるのかな。沖縄人はもっと怒っていいんだよ。

戦後、昭和天皇は一度も沖縄に行かなかった。1975年、現天皇が皇太子の時に沖縄に行って慰霊塔の前で拝礼をした時に、火炎びんと爆竹が投げられたそうだ。長く虐げられ、傷ついた沖縄の人々の心情を本土の人間は知らな過ぎたようだ。

沖縄は、もともと中国と薩摩藩の両方の支配を受け、明治時代に旧日本国に編入されたという、歴史の浅い領土なのだ。それだから大切にしなきゃいけないのに、戦前は本土決戦の最前線となり、敗戦となれば、昭和天皇がマッカーサー元帥に対して沖縄の長期基地化を持ちかけたという説もあり、本土の独立後もずっとアメリカに占領され、日本に復帰してからも丸ごと基地の島となり果ててしまった。

「法的手続きを粛々と進めます」と、あの官房長官はオウムのように繰り返すだろうが、憲法学者の違憲論を汚い手で攘いのけ、是が非でも安保法案を成立させようという彼らに、その嘘の上手い口で「法を守る」なんてことがどうして言えるのでしょうか。

沖縄人は、そのうち県民投票で日本からの独立を決めるかもしれない。傲慢な政府の方々は、沖縄人にとって、基地の存在そのものが、本土から押し付けられた深刻な人権問題であるという認識はなさそうだ。彼らは、正当な選挙で選ばれた国民の代表者ではなく、何でも勝手にできる支配者だと思い込んでいるようなので、どうしようもありません。

  沖縄の想い出

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「たるんでいる」と財界は云う

2015-09-07 21:55:53 | 時事

かつてほんの短い期間だが、「アート」といわれるような業界の隅で働いたことがある。そこで経験的に知ったことは、実際に作品を造る人はディレクターという職名はあまり使わず、デザイナーとかクリエーターという職名を使うことが多かった。どちらにせよ、現代アートという分野は、普通の人間にはその価値や違いが明確に判らない。ピカソやゴッホというような絶対的な才能を有する芸術家以外は、まあ、誰か力のある先輩の作家とつるんだり、時の権力者に阿って、作品をなんとか世に出して、糊口をしのぐというのが、私の見たその世界だった。

今回のエンブレムの「白紙撤回」だが、誰もが感じたのは、いつの間にか大事なことが決まって、20世紀的な文字デザインのポスターの前で喜色満面のアートディレクターの映像が突如公共の場に出現したということだった。今回の顛末を、財界の偉い人は、国民に良く理解されなかった組織委員会の仕事ぶりを「たるんでいる」と評したのか。組織委員会に民間企業から出向している職員たちが、国民を上手に騙せないで失敗をしてしまったことを「たるんでいる」と叱責したのか、そのどちらなのか、よく解らない。いや、解りたくもない。

 タイの現代アート

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老人の利己主義

2015-09-02 00:25:18 | 雑感

先日銀行に行き、そこで二人の老人を見ました。一人のお婆さんは、定期預金の満期手続きに来たようだが、頑として二階の顧客カウンターでの対応を主張していた。さらに、エスカレーターは躓くからエレベーターで誘導してくれること、女性ではなく男性行員の接客も要求していた。右往左往する女性行員をしり目に、「まあ大げさだこと!」と小声で愚痴るに至っては、あえて面倒事を撒き散らす意地悪婆さんそっくりだった。もう一人のお爺さんは、通帳を亡くした手続きを、何度も何度も同じことを行員から聞いていて、私が用事を済ませる間もいっこうに終わりませんでした。呆けて理解能力がないのか、単に人と話す時間が欲しいのか、理由は判然としていませんが、どちらも悲しい老後の時間と見受けられます。

誰もが老人となり、現役から引退すれば、人との接触は格段に減少し、やがて孤立を深めていきます。そういう時に、老いてなお孤高に生き続けることは至難の業である。多くの場合、同じ寂しさを共有する仲間を求めて、公的施設のサービス等を利用している。中には、民間企業の顧客サービスを自分流に寂しさの穴埋めに利用しようする老人も増えているようだ。なんだか老いの利己主義が、頑張って働いている一般の人たちの時間を侵食しているように見えてしまいます。

 

★高座郡羽鳥村名主の屋敷(湘南百景)

三觜家は、幕末の頃、総村高255石の内113石の持ち高という豪農でした。

 

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