勝手な思い込みというのはよくあるものだ。後から気づくと、恥ずかしくて一人で赤面してしまう。先日、古本屋で、アーネスト・サトウの『一外交官の見た明治維新』を手に入れた。結構読み込んでから気が付いた。私は、ずっと歴史上の人物として、アーネスト佐藤だと思い込んでいたのだ。多分その思い込みの先には、幕末に通訳として活躍したジョン万次郎の存在があったからなのだろう。実際の名前は、Sir Ernest Satow だった。彼には日本の血は一滴たりとも混じっていなかった訳である。これでまちがえた知識を一つなおすことができた。
この本は、本国イギリスでは1921年に出版されていたが、戦前は禁書として扱われ、戦後昭和35年になって、やっと日本語に訳されて岩波書店から出版されていた。確かに、その内容は、明治政府の造った歴史とは自ずから違ってくるようである。
例えば、「生麦事件」では、外国人を切るように命じたのは島津久光、その人だとアーネスト・サトウは云っている。我々の一般常識では、「大名行列を知らない外国人が馬に乗ったまま大名行列を横切ったのを先頭の武士が慣習に則って失礼な外国人を切ってしまった」というのが歴史的事実になっていたと思うが、歴史の真実というのは、いろんな見方があるようだ。前々から、私も、島津久光は既に息子に家督を継がせた隠居の身なのに、それが正式の大名行列にあたるのかという素朴な疑問があったのだが、とかく歴史というのは、支配者の側の見方で造られているようである。
当時外国人は、居留地の横浜を一歩でも外に出ると、いつでも尊王攘夷の志士の刃の犠牲になる危険性があったそうである。“尊皇攘夷”というのは、現代に置き換えると、どうもイスラム・シーア派などの原理運動と相通ずるものがあると、私は考えてしまう。いわゆる文明の衝突だと。イスラム教の原理運動と日本の幕末の尊皇攘夷が同類項なんてとんでもない、イスラムの世界を知らな過ぎると批判する人もいるだろう。でも、私は、刀と爆弾という殺傷能力の差異に惑わされているのだと、抗弁をしてみたくなる。
◇湘南百景◇(江の島から)
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