玄冬時代

日常の中で思いつくことを気の向くままに書いてみました。

中国二千年

2015-10-30 22:13:39 | 

『史記』の「晋世家」の章に、「船中人指甚衆」(船の中、人の指甚だ多し)とある。春秋時代、晋が楚と戦い、敗北した晋軍は黄河まで逃れ、兵たちは我先に船に乗り込もうとする。その時船の中は指で一杯だった、と記されている。これを読んだとき、私は豊臣秀吉の軍が朝鮮に攻め入った時、首の代わりに塩漬けされた耳が戦果として秀吉のもとに送られたことを想い出した。しかし、この場合は、それとは全く関係なかった。事実は、船べりにすがり付く自軍の兵士の指を片っ端から剣で切り落としたのである。この直截で獰猛な行為は漢王朝の太史令(歴史編纂官)の司馬遷によって約二千年前に書かれていた。

先日、習近平はアメリカに行って、二千年前から南シナ海は当然に中国の領土であると言って憚らない。国際法の中では何の根拠のない嘘っぱちだけれど、ただ中国二千年の歴史の存在を考慮すれば、何だか理があるような気にもさせられてしまう。でも、ねえ、漢王朝の末裔と言いたくなるような、中国共産党王朝の國は、自らが生きのびるためには、自らの兵の指も簡単に斬ってしまう、油断のならない隣国人であることは間違いない。

◆箱根芦之湯の昔ながらの旅館にて

  

 

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靖国参拝の方程式

2015-10-21 14:55:29 | 時事

旧国家体制の暴走による戦争で、多くの犠牲者を生み、彼らの悔しさ、虚しさを大切にし、二度と戦争を行わないと誓う行為は、生き残った国民の素直な気持ちの現れであろう。そのことをとやかく言う気は全くない。 

最近の閣僚の靖国参拝には一定のルールがあることがわかった。やっと閣僚に成れたお礼の意味で、新閣僚が例大祭に参拝する(X)、第一次安倍政権崩壊後も二君にまみえずに仕えた議員の忠誠の証として、参拝をする(Y)、X+Y=安倍首相の靖国信仰への代理行為ということになろう。 

彼らの靖国参拝が終わった後のコメントでは、「御霊(みたま)」「祀る(まつる)」という言葉が必ず使われるが、その言葉が彼らの日常用語としてどれだけ使われているかは、到底理解しがたいものがある。 

ふと考えると、幕末時、長州藩は下級武士と庶民出身の奇兵隊の多くの命を犠牲にして、明治維新の立役者に這い挙がった。その藩が、犠牲となった者たちの慰霊のために招魂社を造り、長州出身者が明治新政府の権力を握るとともに、その招魂社が靖国神社へと発展をしたのだ。 

少し遠回りをしたが、長州=山口県出身の安倍首相への姑息な阿りを感じないではいられない。もし、参拝をした彼らが、心の底から、国のために犠牲となった者たちの霊に手を合わせる気持ちがあるのであれば、序と言っては何だが、靖国参拝の後に、ほんの少し足を延ばして、霊ではなく遺骨の眠る千鳥ヶ淵にも行ってもらいたいものだ。そういう気概と勇気のある人物は、永田町にはいないのだろうか。

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恥ずかしいこと

2015-10-13 21:38:57 | 時事

日本はユネスコにたくさん金を払っているのに、中国の申請した世界記憶遺産に『南京虐殺』を入れたから、分担金の停止や削減を検討する考えを、どこかの偉い人はテレビに向かって言った。ここまで来ると、恥ずかしいの一言に尽きる。

まず自分の金のような威張った言い方はやめてほしい。日本は金を払っているから、脅迫するという中国の主張がいかにも正しいように見えてしまうじゃないか。

日本は戦前に南京で三十万人は殺さなかったかもしれないが、実際の数は分からないし、分からないほど殺したのは事実だろう。それが戦争なのだろう。そして、中国大陸では、南京以外でも、同じようなことをやらなかったのか、それも分からないのだろう。それが戦争というものだろう。

そんな戦争をまたやりたくて集団的自衛権を持ち出したのだろう。いい加減にしてほしいな。面の皮が厚いだけ、無反省の無思慮な男の顔は日本の外面を汚している。そのことも気が付かないほど増長しているようだ。

だって、あの記者会見は、よく見ると、記者席は一列だけで、従順な記者だけを入れて、まわりはみんな政府関係者、しかも部屋全体の様子を映すことが殆んどないじゃないか。そんな場所で好き勝手に喋っているのだ。いつも演壇だけの大写しで、まわりが見えない画面は、北朝鮮や中国の居丈高なスポークスマンの画面を笑うことはできないよ。どうやら、恥ずかしい人々がこの國を牛耳っているようだ。

◆もう秋ですね。遠くから見たらスズメと思ったけど、近くで見たら米を喰いに来た鳩の群れでした。

 

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スポーツと外人

2015-10-05 13:14:02 | 雑感

ラクビ―・ワールドカップでの日本チームの躍進が素晴らしい。五郎丸の祈りのポーズは、きっと日本のスポーツ史に残るだろう。高校時代にラクビ―が体育の正課に入っていたので、ルールは少し判る。よくも強くなったものだと並んでいる選手を見てみると、半分ぐらいは、どうも日本人ではない。まあ、グローバリゼーション時代のスポーツはこういうものだと納得はするが、なんか応援する場合に、民族意識の高揚とか、誇らしい日本人への賛辞といったものが減少する。他面、ナショナリズム的な感情が薄れるので、サッカーのように変てこな日章旗が舞うことはないだろうから、安心してスポーツを楽しめる。

想えば、国技である相撲は、番付の上位はモンゴル人や東欧の出身者で占められているが、四股名が漢字の所為か、世間は何となく気が付かないようなふりをして、たまに日本人の横綱が欲しいと愚痴る程度である。他方、国民的人気のスポーツである野球は、未だに外人を助っ人と呼んでいる。日本人の保守的な考え方や狭い了見が垣間見えて、なんか変だなと思う。

去年のカメと今年のカメ◆(拡大はクリックして)

『今年は狭いぞ!』

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