去年の桜と今年の桜、一年経てば、桜は変わらなくても政治状況は変わってきたような感じがする。威勢の良かった西の王様は従軍慰安婦発言以来やること為すことが全部空回りしている。尖閣に火をつけて知らん顔の東の殿様は隠居してみたものの、後継ぎがお決まりの金券にまみれてお家断絶。ここにきて、アメリカから失望された三代目首相一人が、周りに鈍感なのか、妙に元気がある。地方の乱暴な王様や殿様が、何かの間違いで権力の頂点に着くことを恐れていたのだが、もっと怖いことは、この三代目政治家が実は戦前DNA型人間なのだということだ。彼の観念は、結局、戦争を知らない「想像の靖国」でしかないから余計に危なっかしい感じがする。極東に位置する日本という小さな国がこのさき“散る桜”の國にならないことを願う。
政治家は心に響く言葉が言えることに価値がある。先日、菅官房長官が中国の李克強首相が安倍首相の歴史認識をけん制したことに対して、「我が国が歴史と逆行することはあり得ない。戦後、自由と平和の民主主義の道を歩んできたのが基本方針だ」と切り返した。国民が言いたいことを言ってくれたと思った。菅官房長官への見方が少し変わった。彼は秋田の片田舎から東京に出てきて、一代で政治家に成ったと聞いている。
中国も、韓国も、更生した者を決して許さない狭量の国のようだ。我々の爺さん世代は確かに戦争を起こした。隣近所にも迷惑をかけました。それは事実です。だから戦後は必要以上に頭を下げて、できる限り隣人に優しく、常に平和を第一に世界と関わってきた筈である。そのことを一切認めようとしない、彼の国の政治家たちは如何なる人間なのか。そう、投げ返してみたくなる。政治家がおかしいと、国民までそう思われる。
それは、この国にもあてはまる。安倍首相の目を覆うばかりの時代遅れな振る舞い、国民もそう思われてしまう。国民の心情を掴めない感の鈍さは、政治家としていかがなものか。明治維新の元勲は誰一人自分の実子を政治家しなかったという。かつて、福沢諭吉はアメリカに行って、ワシントンの子孫を誰も知らなかったことに驚嘆をした。そこにこそ民主主義があると教えた。だから、三代目の政治家は信じないことにしている。そういう人たちばかりの政党は言わずもがな、である。
最近人の名前が思い出せない。思い出そうとすると頭が痛くなるし、思い出すまで気持ちが暗くなるので、名前は忘れても良いことにした。先週近所のDVD屋で旧作50円だというので4枚借りた。その中の1枚が「あるいは裏切りという名の犬」だったと思う。ともかく題名が洒落ていたんだ。見始めて少し経って、先のストーリーが解るのに驚いた。こいつは確かに見たことがあるよ。でも不思議なことに結末は忘れていた。今週、また借りに行ったら80円でした。3枚借りて、昨晩その中の1枚を見ました。「ドラゴン・タトゥーの女」これも題名が妙に気にいったんだ。ところがどうだ、こいつは最初から気が付いたよ。でもなんか女の髪型が少し違うんだよな。犯人は出てきた時から判るんだけど、…。モヤモヤしながら、何せ2週連続の呆けなので、自らをまだらボケと罵りながら見終ったけど。でも結末が覚えていたのと違うんだよね。なんか腑に落ちないんで、インターネットで調べたら、氷解しました。英語のリメイク版を見ていたのでした。そして、リメイク版の結末はオリジナルと違うそうだ。私はリメイク版の結末の方が気にいったけどね。なんとか呆けの進行は止まっているようだ。こんなことでもありがたい。