玄冬時代

日常の中で思いつくことを気の向くままに書いてみました。

松陰神社(その2)ー小田急線散歩番外編ー

2014-02-25 23:54:01 | 散歩

吉田松陰の墓に行く。

井伊直弼の墓に比べると、飾り気がない墓だ。

横に並ぶ墓は松陰とともに尊攘運動をした者たち

墓苑の一角に桂太郎首相が造った招魂碑がある。

長州の偉い人たちが造った神社と墓なのだから、立派であるのは当然である。

安政の大獄の罪人であった松陰は、井伊直弼が暗殺された桜田門外の変の後、盛り上がる尊皇攘夷運動のおかげで復権を果たした。松陰とは不思議な思想家だ。たった二年しか教えてないのに、教え子が明治政府の功臣が多かったため、維新の象徴として崇められた。松陰の遺骸を小塚原から掘り出し、長州藩の火除け地であった世田谷若林に埋め直した。それが現在の松陰神社なのだ。その時に立ち会ったのは、高杉晋作、伊藤博文、赤禰武人らであったという。松陰の妹婿の久坂玄瑞は、その場には居なかったが、必ず神式でやるようにとの指示をしたそうだ。井伊直弼の墓は世田谷の豪徳寺にあったのを、賢明過ぎる尊攘志士であった彼らが知らないとは思えないが、その事に関する記述は、管見するところ無い。

帰りラーメンを食べた。 この色の黒いスープは下北沢のラーメンに似ている。どうでもいいことだけど、・・・。

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松陰神社に行く (その1)ー小田急線散歩番外編-

2014-02-24 14:37:29 | 散歩

おもちゃの電車のような東急世田谷線。 路面電車のようだが、レールはちゃんと複線だ。

小さな店が並ぶ商店街を歩くと、松陰神社はすぐだっだ。

存外立派な神社だった。途中で買ったコロッケを食べながら案内看板を眺めた。

健康と学問を祈った。

社の右手にある松下村塾を見学した。萩で見たものと同じだ。

ここで松陰が教えた期間はたった2年間(安政3~5年)

塾生は80人余り。幕末の尊攘運動の中で主要メンバー30人の半分ぐらいは死んだ。

明治維新は階級闘争にはならなかった。

しかし、松下村塾の生徒は軽輩の身分から士分に取り立てられた。

伊藤博文、山県有朋、野村靖、品川弥二郎等

松陰の墓に行く・・・(その2)

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無視という戦術

2014-02-16 20:59:30 | 政治

安倍首相は苛立って言った。「選挙で選ばれた…私が総理大臣で最高責任者なのだから…政府委員に答弁させるのはおかしい!」民主党議員は憲法解釈論を首相ではなく、内閣法制局の政府委員に求めたのを、彼は怒ったのだ。これって、ちょっと前にあったよね。都議会で猪瀬都知事に「あんたには答弁する資格がない!」と言って、彼に答えさせず全て各局長に答弁させた。これらは“無視”という戦術である。この戦術がとられるのは、相手方の無神経な、あるいは傲慢な態度に呆れて、質問者が最初から対論を拒否するという最終兵器だ。そして、相手のプライドが高いほど余計に恥辱を与える戦術でもある。傲慢な権力者も公式の場で弱者からこの戦術を使われると、瞬間的にはかなり慌てるようだが、そこから生まれるものは両者を隔てる壁がさらに厚くなるだけである。その結果は、権力者の増長振りが明らかになるだけで、その後の関係には大した効果はない。もっとも猪瀬氏の場合はあれで終わりだから良かったのだが、民主党も末期的な戦術を使うのは如何なものだろうか。確かに最近の権力者は自分の主張をゴリ押しするだけで、相手との対話をしたがらない。そこには日本古来の調整という和の精神が失われている。近年の日本は偏頗にグローバル化されたのだろうか。

 壁

相手との対話より、力ずくの選挙を求める者もいる。和を求めない、新しい日本人の一種だ。西の王様は出直し選挙という土俵を作っても、誰も土俵に上がらないということになりそうだ。彼は、それを卑怯と言うが、それはどっちなんだろう。最近、自らを客観視できない政治家が多すぎる。安倍さんも最近の行動を見てると、どうもそのようである。

そう云えば、猪瀬氏はかつての横山ノックと末路が重なってしまう。政治家は金と女によるスキャンダルで辞職すると、ほとんど政治的復活は望めないのだろう。

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オリンピックは嫌いだ

2014-02-13 23:15:08 | 雑感

オリンピック番組はほとんど見ない。勝ったものだけ後から見るようにしている。赤裸々な好奇心と無責任な声援と重過ぎる期待を背負った選手たちは、身体が重くていつものとおりに飛べないよ。可哀想で見ていられない。誰でも人生で何らかの期待を受けることがあっただろう。うまく成功した時は喜びもひとしおだが、失敗した時の周りの落胆や蔑視がとてつもなく重い恐怖に変る。誰もがそれに似たことを少しは体験したことがある筈だ。それなのに人々は、そしてマスコミは、無責任に、興味本位に、勝手なヒーローを作り上げる。それがオリンピックのいやなところだ。だから、私はオリンピックが嫌いだ。

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靖国は墓参りなのか

2014-02-04 20:14:08 | 政治

そういえば、靖国が好きな首相の祖父岸信介は、東条英機とともに満州で活躍した実力官僚であり、東條内閣では商工大臣を務めた。また岸信介の姻族(叔父)である松岡洋右は当時満鉄総裁で、後に日独伊三国同盟を推進した外務大臣であった。また松岡洋右は、10年ほど前に日経新聞に載った「富田メモ」に出てくる、「白鳥と松岡が祀られている靖国には行かない」と、昭和天皇に言わしめた人物でもあった。松岡は東京裁判中に病気で死んだ。岸信介も収監されていたが、不起訴になった。松岡は白鳥敏夫(駐イタリア大使)とともに、1978年に宮内大臣松平慶民の子の松平永芳宮司により昭和時代の殉難者としてA級戦犯14名が靖国神社に合祀された。戦前に日本の権力の側に居て、戦争に深く関わった人物の子供や孫によって、現代の靖国の合祀問題や参拝問題が浮上しているわけである。この点では戦前と戦後は連結しているのだ。

そして、首相の行動を擁護して、数日後靖国参拝をした新藤総務相は激戦の硫黄島で玉砕した栗林忠道中将の末裔だという。ここまで来ると、どうも二人は先祖の墓参りと同じような感覚で靖国参拝に行っているような気がしてならない。そうした一族の子孫に現代の日本の政治が主導されていることは、日本の戦争が、国家として、国民として総括されていないという事なのだろうか。

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